精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「一人の時間」が示すものは、思った以上に”独り”である。

最近、一人になる時間を重視している。僕がHSS型HSPだとしても、超内向型だとしても、提唱者だとしても、どれにしたってそれが要ると書かれているためだ。

 

日々の暮らしの中で、仕事の中で、如何にして一人になるか。これをきちんと設計しないと、僕のメンタルは猛烈に削れて、摩耗し、いずれ壊れてしまうだろう。

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元々その時間は大事にしていたつもりだったが、あくまでもそれは我流で、かつ「こんなもんやろ」という適当さもあった。

 

その意識が変わったのは、長谷部誠氏が書いた「心を整える」を読んだことがきっかけだ。

まだ読了していないので浅いコメントしかできないが、正直に感じたことは1点。それは、「一人の時間とは、思った以上に独りなんだなぁ」ということだ。

 

今日はそれを踏まえて記事を書いてみる。

 

 

独り=遮断。

 

【Quiet】でも読んだ話だが、内向型に振り切った人間は、日々のところどころで一人の時間を設けなければ、簡単に消耗してしまう。それは僕も同じだ。

 

その特性には、10代の頃から薄々気付いてはいた。実際、野外活動や修学旅行を終えると、ただ「楽し疲れた」とは違う猛烈な疲労感を、都度強く感じていたくらいだ。

 

そのときはそのことを「燃え尽き」と思っていたが、今は単に他者の存在に心が擦り切れかけていたんだなと、どこか優しい目線からそれを受け止めることができている

 

とはいえ、一人になることは、思った以上に難しい。例えば駐車場で独り、コーヒーを啜るとか、誰もいない教室でただぼーっとしてみるとか、色々なことを試してきた。

 

しかしながら、全て同じ「一人の時間」であるはずなのに、全然疲労が抜けなかったり、逆にとてもリフレッシュできたりと、そのそれぞれですごくブレがあったのだ

 

なぜこうも、その効能が安定しないのか。色々考えたが、疲れが取れなかったときは恐らく、実は一人になれていなかったことが原因だろうと納得している。

 

例えば僕の仕事場は、駐車場が通りに面しており、人の往来は結構ある。だから話し声は聞こえるし、雑踏の音も絶え間なく聞こえてくる。

 

僕はその辺りも敏感なのか、ただの雑音ではなく、そのセリフ一つ一つが情報を伴った言葉として、頭にずっと叩き込まれてくるのだ。

 

結果として脳は、その”言葉”に込められた意図を勝手に推察し、慮り、僕の心のリソースを勝手に消費していく。さながらコンピュータウィルスのような恐ろしさだ。

 

一方、きちんと寛げたと思うときは、偶然だと思うが他者の影をうまく排除し、環境の音以外が聞こえてこないような空気が、きちんとできていたように思える。

 

これを考えると、一人の時間という定義も生ぬるいといえる。一人の”時空間”をどうクリエイトするかという問いにして、やっと正しいのではないか?

 

繰り返しになるが、一人の時間を大切にすることは、内向的で心を消耗しやすい人にとって特に重要である。これは全く、甘えでもなんでもない。

 

僕らはむしろ、日頃から全力で脳を酷使している。体力が人より無いのではなく、常時ハイパフォーマンス設定のPCを起動しているようなものなのだ。

 

適切に休みを挟むことをきちんと集中力が回復させれば、つまりハイパフォーマンスを維持できる可能性があるということだ。

 

内向的な人が猛烈な成果を生むためには、これがある種の【型】である。最初から、マラソン型のスケジューリングは諦めた方がベターなのである。

 

だから僕は今、仕事場にあるデッドスペースをコツコツと片付けている。今はゴミの一時的な置き場になっちゃっているのだが、そこを僕の一人の空間にするのだ。

 

疲れたときは、そこに隠れて一服する。誰にも理解されない奇癖と思われるだろうが、知ったこっちゃない。僕は僕の世界に隠れなければ、すぐに死んでしまうのだ。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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