今日は嫌な記憶と向き合う方法について、持論を書いてみる。正直普通に生きていれば、皆さんも1つや2つではなく、10や20にもなる嫌な記憶があることだろうと思う。
不思議なもので、年齢を重ねるにつれて、古い記憶に伴う嫌な思い出の数は、大きく減少していく傾向があるように感じる。(残っているものは相当強いトラウマだけだ)
僕自身も恐らく人並み以上の数で、嫌な記憶が頭に刻まれている。ただよく思い出すものはあまりレパートリーが無く、かつその大抵はここ数年の出来事に集約される。
当初は暇な時間にフラッシュバックするそれらが嫌で、なんとかして記憶自体を根こそぎ消そうとした。それが無理だと判ると、原因となる暇な時間を失くそうと頑張った。
だがその努力を何年にもわたって続けた結果、過去の嫌な記憶は絶対に消せないことが身に染みて理解できただけだった。これは人間である限り、逃れられない宿命だ。
例えば、身長や骨格のようなものだ。そう考えることで、多少はもうちょっとコントロール可能な部分に目を向けながら、嫌な記憶と向き合うようになりつつある。
今日はそんなお話をば。
その痛みを、指針に変える。
嫌な記憶と向き合う方法の内、パッと閃く建設的なものは、その記憶から何かしらの教訓だけを抽出し、感情の部分は忘れたうえで、今後の糧にすることだろう。
少し思い出話をする。人生において、僕が最も長く悔やんでいる出来事の一つは、約20年前、父方の祖父の最後のお見舞いに行かなかったことだ。
当時の僕は、衰弱していく祖父の様子に直面することができず、会いたいという想いも汲み取れぬまま、最後のチャンスを逃してしまった。
この後悔が今も、時折古傷が疼くように、文字通り痛む。僕が死んだら真っ先にしたいことは、実はその祖父へ謝ることだ。それくらい強い罪の意識を持っている。
だが、もう過去には戻れない。悔やんだところで、その祖父が生き返るわけでもない。これからしか、もう変えていけないのだ。
だから僕は、残り時間が少ない大事な人に会うという局面において、僕の感情を脇に置くように決めている。感情に従えば、確実に悔いが残る。それだけは確かな話だ。
母方の祖父、実家の犬、癌で退職した講師。いずれも僕は、その辛さと痛みを強く感じながら、しっかりと向き合い、その人の覚悟に寄り添ったつもりだ。
繰り返すが、これは僕のエゴでしかない。その人の想いに比べたら、僕のそれは微々たるものかもしれない。不幸者と僕を恨みながら、逝ったかもしれない。
とはいえ、その答え合わせは僕が死んでから好きなだけできる。今は自己満足でいいから、過去の記憶を活かしたいというのが本音である。
昇華して取り出し鑑賞しシェアする。
もう一つ浮かぶ方法は、その嫌な記憶を、媒体はどうあれ作品にすることだ。音楽でも絵でも彫刻でも小説でも、それは何でもいいと思う。
トラウマとは、とても根源的な本能に根差す、強い記憶だ。それを詳細に言語化するのは、脊髄反射のプロセスを言葉にするくらい難易度が高いことだと僕は考えている。
しかし、言葉だけが、自分の内にあるマグマを形にする術ではない。「こんなの」という曖昧な感覚を基に、過去の人は秀逸な絵画や彫刻をいくつも作ってきた。
嫌な記憶であっても、形を持った何かにして取り出してしまえば、また違った観点を得られる。場合によっては、同意者さえ得られるだろう。
そういえば僕も、気が滅入っているときほど、何故か小説を書いてみようかなという気になる。もしかしたら、その理由はこの辺にあるのかもしれない。
ということで取り急ぎ2つほど紹介してみた。何かヒントになることがあれば嬉しく思う。
では今日はこの辺で。