精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「パターン化」はひたすらに悪いことってわけじゃなく、使い方次第って話。

ちょっと今更感があるが、サッカー選手の長谷部誠氏が書いた、【心を整える】という本を読んでいる。

 

その時ふと、競技者の言葉の中で、彼らが「気が楽になった」と語る場面が時折出てくるのだが、そのトリガーが結構似ていることにふと気づいた。

競技が違うのに、「・・・そう思うと、心がふっと軽くなった」「上手く気持ちが切り替わって、集中できた」というフレーズの前に出てくる部分が、不思議なほど似ている

 

恐らくアスリートの方々にとっては、普遍的な暗黙知となっている部分なのだろう。ならば、それが言語化された結果似た意味になるのは、すごく納得だ。

 

となれば、そのトリガーの解像度を高めておけば、いざというときに活用できる知恵になるかもしれない

 

そう思ったので、今日はその共通点に基づき、記事を書いてみる。

 

 

既知のパターンに敢えて当てはめる。

 

気が楽になる瞬間のトリガーを端的に言えば、目先の苦しいことが、実は自分が経験値として持っていることに似ていると気づくことだ。

 

「今すごく苦しい思いをしているけど、これはあのときの流れに似ているな」と気付けば、不透明ゆえの不安は軽減し、淡々とした流れに身を置けるようになる。

 

例えば僕は今、前夜から今朝にかけて、僕が寛いでいたり寝ていたりしていた間にタスクがそこそこ振られてしまい、出社と同時にすることが山積という感覚を持っている。

 

到着したら様々な雑務が僕を待っている。そう思うと本当に気が滅入るし、終わっていないこと自体が気になって、目の前のやりたいことにも手が付かない。

 

そんなとき、「似た経験が自分の中に無いか」と、仕事以外の思い出に意識を向けてみた。すると、あることを思いついた。これは野球部の練習メニューと似ている、と。

 

少し専門的な話になるが、中学の野球部はまず集合したらグラウンドに並んで大声で挨拶し、隊列を組んでジョギングから練習が始まる。

 

その後は輪になってストレッチを行い、そのまま塁間を軽く走ったり、8割の力で走ったり、もも上げをしてから走ったりと、段々とギアを入れていく。

 

そうやって身体があったまり、下半身の筋肉がある程度疲労してからやっと、キャッチボールが始まり、守備や打撃の練習へ流れていくのだ。

 

こんな風に、いわば仕事場に着いたらやることがたくさんあるという状況なんてのは、よくよく考えたら慣れっこなのである。それに気付いたら、肩の力が凄く抜けた。

 

数多のルーティンを経てスイッチを入れていく過程は、あくまでも到着してからやればいい話であって、例えば残業したり出社前に家でやったりする必要は皆無なのだ。

 

そしていくら鬼コーチと言われる人であっても、グラウンドに来る前にそういった流れを済ませておくことを期待はしないだろう。むしろ余計なことだと怒られそうだ。

 

―と同時に、僕はなぜたった数時間タスクに集中したら息切れをするのかという自責も、ずいぶん的外れだと気が付いた。

 

例えば、野球部だった頃、1日練習という枠の練習があった。大抵朝9時くらいに始まって、夕方4時に終わる。それを”ニチレン”と呼ぶのだが、時間に起こせば7時間だ。

 

しかもその間には小休憩や昼食も挟む。なだらかな集中と休憩を挟んでも、そもそもそれくらいが限界ということは、ぶっちゃけ既知のことだと思い当たった。

 

今自分が苦しんでいることは、決して初のものではない。未知という不安が消えるだけで、苦しみは相当和らぐ。それもまた、知っている話だった。

 

やはり、スポーツ選手のメンタリティは、学びとして取り出せば、日常生活でも十分活用できる。皆さんも、是非試してみて欲しい。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

 

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