精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

コミュ障の僕だけど、コミュニケーションから逃げてたら、校舎が潰れることは理解している・・・つもりである。

僕は自他ともに認めるコミュ障だ。喋ろうと思えば多少は喋れるが、気の利いた冗談は言えないし、当意即妙という言葉から最も遠い人種だとも思う。

 

【Quiet】という洋書を最近読んだが、そこに登場する内向的な子どもたちの切実な胸の内は、ポジティブなものも、ネガティブなものも、よく共感できた程である

僕にネアカなコミュ力を注入すれば、途端に拒絶反応を起こして、全身の細胞が壊死するだろう。それくらい相容れない。そのことは強く自覚している。

 

だが、コミュニケーションから逃げていたら、組織内に不協和音が生まれ、気付けば瓦解することも目に見えている

 

だから前向きな問いに持っていきたい。僕の気性に合ったコミュニケーションとは、何か。スタッフ全員に笑顔で「おはよう!」と言って回る僕は、想像ができない故。

 

今日はそれについて、脳内整理を兼ねて、記事にしていく所存である。

 

 

僕を中心とした組織は、すごく居心地が”悪い”。

 

まず僕自身の想いを言語化してみる。薄々感じていることではあったのだが、僕は特にここ最近、お祭りのようなイベントへの参加に抵抗を感じている

 

最近は「主役になれる場所」のニーズが高まっているというが、僕はそういう意味では時代に逆行しているらしい。

 

地元の広島にも「とうかさん」というリア充御用達の大きなお祭りがあるが、今そんなところに行こうもんなら、眩暈が止まらなくなるだろう。

 

しかし、参加するのはそれくらいイヤなのだが、そのようなイベントを企画し、裏方として”創る”ことには、実を言うと嫌悪の念がないむしろ、楽しいとさえ感じる。

 

昔暫定的に出した結論と同じなのだが、参加者としてではなく、舞台を作り、楽しんでいる人たちを観察し、それに満足感を覚えることが、僕には合っているようである。

 

この感覚は、佐渡島庸平氏が著書「We are Lonely But not Alone」において述べた言葉に通底していると思う。

 

自身の思考や仮説をコミュニティに還元し、それを観察したいという願望。これを自分の価値観に当ててみると、「共感できる」と素直に思えた。

 

しかし、僕自身がキャンドルのような存在となって、場を照らし上げるイメージは全く持てないし、現実的だとも思えない。

 

楽しい場所とは、高いカリスマ性を持った個人のみが成しえる環境にも思えるが、それは本当にそうなのだろうか?僕のようなタイプにも、それは可能ではないか?

 

続いては、無謀だとは承知しながら、それについて考察したい。

 

たのしい環境2.0。

 

楽しみが欠如している場所からは、人々が露骨に去っていく。それは危惧や予感ではなく、実際に観測されている事実だと感じる。

 

楽しい人が居るから、校舎は楽しくなる。それはそうだろうが、それ以外に、例えば仕組みによって楽しさを生むことはできないのか。大袈裟だが、僕の挑戦はそこにある。

 

実際、優れたコミュニティを創っている人の中にも、飛びぬけてネアカというわけではない人もいる。才能に依らない再現性は、どこかに無いものか。

 

上手く言語化できていないが、繁盛している塾、生徒が集まる塾は、場所自体が楽しそうだ。一体何がそれをそうしているのか、ずっと観察して、試行錯誤している。

 

今の時点で目標にしていることは、校舎全体に、僕自身の理念をきちんと反映させることだ。ヒト然り、モノ然り、レイアウト然り、インテリア然り。

 

そして僕が大事にしたい理念とは何か。これは我ながら内容はブレないのだが、【学びを楽しみ、共有し合える場所】である。

 

このモノサシをベースに校舎を眺めてみたが、どうしても「なんか足りない」という感想が拭えない。それは具体的にどこに何が、というのが言語化できていないのだが。

 

抽象的だが、僕が生みたいのは【共感】だ。生徒と講師、講師と講師、生徒と生徒。その場にいる人たちの間で、共感を生めれば、自然と笑顔がそこに出てくる。

 

互いのアイデアや経験を共有し、共感を生めば、笑顔に繋がり、僕が思う”楽しさ”が満ちていく。規模のでかい妄想だが、これを目標にできれば素敵だなとも思う。

 

となれば、それを実現するためのドミノの1枚目はやはり、コミュニケーションだ。避けているつもりはなかったが、どうしてもここに繋がる以上、腹が決まってくる。

 

ただの情報のやり取りではなく、人としての血の通ったコミュニケーション。その文化を育むためには、入念な準備と、僕自身の発想の転換が不可欠であると言ってよい。

 

安直に考えれば、例えば「バーベキュー的なイベントを企画すりゃいいんだろ」とでもなりそうだが、果たして本当に、そうか。

 

まず僕自身に参加意欲があまりないことと、それに、年齢が10個も違う上司的な立場にある者がイベントを開いたとて、若い者は来るかどうか。僕は疑問視している。

 

明確な答えは無いとも思うし、仮にあるにしても、刻々と変化する。見つけては捨てて、新しいものを探し、少しずつ雰囲気に楽しさを醸成していく。

 

繰り返しになるが、ドミノの1枚目はコミュニケーションに関する僕の考え方や解釈を少しずつ変えていくことだ。恐れず、僕という個をさらけ出していきたい。

 

手持無沙汰なドライブ中の長い独り言をつらつらと推敲していると、またかつての自分が立てた誓いに回帰できて、かなり嬉しく思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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