声を大にしては言えないが、僕は今猛烈な連勤の真っ最中だ。カレンダーが1枚切り替わって、少しお釣りがくるくらいの日数の途中である。
流れに乗ったり、環境に順化したりしてしまうと、人は疑問を持たなくなる。たとえそれが暴政であっても。そのことは歴史が証明している話だ。
「なんかおかしいぞ?」という問いを差し向けないと、異常であることには気づけない。ましてやそれの是正をや、という話である。
ということで今日は、僕の働き方は「オカシイ」という前提に立脚したうえで、人はなぜ連勤をするのだろう、ということを考えてみたいと思う。
人はなぜ連勤をしてしまうのか?
実を言うと、僕は連勤自体はそこまでストレスになっていない。することも無く退屈で、家でゴロゴロしなければならない時間よりかは、よっぽど好きなくらいだ。
だがこれは周りから見ると異常なことであり、ときには仕事を変えた方が良いと言われることもある。環境に対し過度に適応した結果ではあるが、すごく驚かされた。
ただし、連勤自体ストレスではないと書いたが、それが同時に幸せを意味するかというと、断固として違うと言い切る。
そういう本心がある以上、このような働き方は僕にとってもつまり本意ではなく、なんなら会社の将来にもデメリットがあると感じる。
老害は、自分が苦しいと感じた過去を、そのまま若手にさせるのを強いるという。このままだと僕は、若手に、苦しさを体現するモデルとなってしまう。夢の無い話だ。
だからここできちんと棚卸しして、自分自身のおかしさを整理整頓しておこう。改めてそう誓っている。
ならばそもそも論から考えよう。連勤はなぜ発生するのだろうか。
この条件自体は非常に簡単だ。休みの日に仕事をしているためだ。それによって出社日数がどんどん繋がり、気付けば恐ろしい長さにまで連なっていく。
悲しい話だが、今でも「休みとは予備日!」とか、「翌日の仕事の準備を整える時間!」という思想を散見する。ヤバいとこだと、「休日は甘え」とさえ言われる。
休みの日を「出社もしなければ、タスクにも取り組まなくていい日」と認識せず、「平日の仕事終わらんかったし、土日でやるか」と捉えている人も一定数いる。
これ自体を、口を酸っぱくして組織の上役が注意しているような文化なら、まだ救いはある。本当にマズいのは、組織を率いる側が、文化や環境をそうしている場合だ。
そして僕のいる会社も、多忙・繁忙によってストレスや疲れが溜まってきているせいか、休日だろうがポコポコ仕事の依頼が飛び交うことが凄く増えてきている。
「忙しいんだから仕方ない」「休める方がおかしい」と別に誰もが口にしないけれど、文化や環境がそうなりつつある現状に、僕は強い危惧を抱きっぱなしである。
一度このレベルにまで刷り込まれてしまえば、刷新は極めて困難だ。できれば、過酷な環境こそが当然という文化になる前に、食い止めたいところである。
―連勤をしてしまう理由には、もう1つ心当たりがある。それはその人の責任感に起因するものだ。そして僕ははっきりと、このタイプである。
休むこと自体が悪いことではないと、頭では理解しているつもりだ。しかし一方で、自分が出している営業成績を見ると、堂々と休むのが後ろめたいとも感じてしまう。
経済学で習った目線で考えれば、休みの日に仕事をすることで発生する人件費を、生める利益でペイできれば問題は無い。
だが、さして定性的にも定量的にも利益にならないのであるなら、感情度外視でバッサリカットすべきというのが、すごくわかり易い答えだ。
休むことは悪という考え方。休むことは面倒という枯渇。そのどちらかはわからないが、とりあえず休める日は今後意識的に仕事から離れようと、改めて誓った。
では今日はこの辺で。