仕事をたくさん詰め込んで、忙しくする。これ自体はデメリットの塊に聞こえるのだが、物事はすべて一長一短であり、これにも良い面は存在する。
僕にとっては、メリットの方がまだ大きい。「忙しい」という状態は、結局は自分が選んだ道である。そのことは、念頭に起き続けているつもりだ。
だがこれもまた視野狭窄だった。僕はこの状況が生んでいる大きなリスクに、ずっと気付けていなかった。失って初めて気付くと言われるが、今まさに、そんな心持である。
タイトルにもあるが、退職希望が出ている。その社員は週に2日は僕の校舎に入り、休みも無くずっと校舎に居る僕の背中を見てきたことになる。
その姿を見て夢を感じろ、こうなりたいと思えなんて、どだい無理な話だ。どんな部下も身の危険さえ感じる状況下に、上司たる僕は身を置いていたと感じる。
今日はそんな反省を記事にしておく。
僕が見せたのは夢ではなく絶望か。
「今どきの若者は」という言葉で括る気はないのだが、若者ほど、仕事一色で人生を塗りつぶすことに強い抵抗を抱くものだと捉えている。僕もその道は通ってきた。
どれだけ情熱を持てるかよりも、どれだけ休日があるかの方が気になる。残業はあるのか、あるならどれくらいか、手当は出るのか、出ないのか。
そういった福利厚生面を重視する価値観。繰り返すが、僕も最初はそうだったので、これ自体を間違っても「生ぬるい」なんて断言することはできやしない。
1つの仕事にだけ集中し、打ち込み、人生のポートフォリオをそれだけにすることは、単なる博打である。若い人ほど、そのことにはとても敏感なのではないか。
可能性が開けているからこそ、同時にあれこれ手を出しておき、人生に対ししっかりと保険を打ちながら、充実した人生を達成しようと考える。
20代は正直、可能性をガンガン押し広げるために使うべき年代だろう。それが”広げる”ことか、”打ち込む”ことかは、個人個人が選ぶべき手段の一つである。
僕は流れに身を任せた結果、”打ち込む”ことに費やした。もっとも、元来内向性が強く、新たな出会いを求め続けると強いストレスを感じるという特性もあるのだが・・。
20代前半は、1日15時間働く暮らしを、3か月以上送ったこともある。そのときにある程度の体力と理不尽耐性を会得してしまったため、今の黒さにも鈍感なままである。
そんな僕が背中で示す姿は、昭和であれば「まさに鑑」と評されただろうが、令和の今は、「ここで働くとそれだけに打ち込む未来が待っている」と評される。
仕事は単に給与を得るための手段という考え方を、僕は否定しない。そんなものは価値観であり、人それぞれだ。他人がつべこべ言うべき話ではない。
自己実現を仕事で果たすか、趣味で果たすか。僕は正直、その境目が曖昧だ。遊んでいるのか仕事をしているのか、たまにわからないときがある。
ただしそれは言葉にしない限り、仕事に人生を捧げているようにしか見えないだろう。僕は僕の仕事を夢中と取った。だが周りから見れば、ブラックと受け取られる。
僕はつまり多忙によって、後進にとって魅力的でない職場を醸成してしまったのだ。全てではないにせよ、休まないことの功罪をまた一つ、失ってから学んでしまった。
その職員は今後、公務員を目指すという。安定した雇用、保証された休日。かつての僕も目指した道。だけど、なんだかんだで諦めた道。
僕はその選択に対し、どう向き合えばいいか、実はまだ立場を決めかねている。背中を押してあげたいとも、面罵したいとも、どちらとも思わない。本音は、興味がない。
僕が変えられるのは、いつだってこれからの僕だけなのだ。この状況を仕方ないといって割り切ることも考えたが、どうにかして今後に活かす糧を得たいとも思う。
だから僕は、「自分が全く休まないで働くことで、ここから離れようという選択の材料を与えてしまった」という風に、ネガティブに解釈することとする。
そうでもしないと、今後も僕は休まないだろう。なぜなら、メリットばかりに目が向いていて、リスクに対してあまりにも鈍感だからだ。
だから今回のことを敢えて自分の心に刻む傷として受け止めておく。もちろん愉快な心地はしないが、人はいつだって挫折から学ぶ生き物だ。そう考える。
「休むことは他者のためにもなる」という視点もあるが、僕はその意味がよく解らなかった。ただし”他者”を”組織”に置き換えると、それがまた違った意味を帯びる。
ミスマッチはいつだって生じる。滅私奉公が存続のために求められる場面があるのも承知している。だからといって、自己犠牲になってはいけない。強制するのは論外だ。
たとえ言葉で直接強いていなくても、雰囲気でそうしてしまうことはある。ここはベンチャー企業ではない。労働環境は、意識して白くしないといけないのだ。
限られた時間で最大のパフォーマンスを生み、オフはしっかりと取らせること。そしてそれに口を挟まないこと。さらに言えば、挟ませないこと。
僕に乗っかった課題は結構多いのだが、出されたからには片付けないと落ち着かない。しばらくしっかりと、向き合っていく所存である。
では今日はこの辺で。