精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「仕事が速い」とは、一体なんなんだ。

僕は仕事が遅いと言われる。あまりにも言われすぎて、潜在意識に刷り込まれているのではないかと思うくらい、自分でもそう思っている。

 

「僕は仕事が”遅い”のだから、さてどうするか。」最近自問自答をする際も、ちょっぴり悲しい前提に立脚していることに気付き、流石に少し落ち込んでいる。

 

ただ、僕は別にバリバリで仕事をしたいわけではない。むしろ自分のペースで取り組んで、そつが無ければそれでいいと感じるタイプだ。元の性格はせっかちなのに、だ。

 

羨望を集めたいとか、社会的にのし上がりたいという願望は特にない。ただ最近、自分の処理能力が低めのせいで、自分の時間が失われつつあるようにも感じている。

 

2023年も労働基準法ガン無視で働いてきたが、成果はそれに比例しているとはとても思えなかった。ただガムシャラで在ることが成果に繋がる段階に、僕は居ないらしい。

 

だからもっと、「仕事の速さ」というテーマから逃げずに、腰を据えて向き合うべきではないか。結構な焦りとともに、最近はそう思い始めるに至っている。

 

ただし、「仕事の速さ」とはとてつもなく抽象的なテーマだ。だからまずはここを定義しなければ、何も思索は始まらないだろう。

 

今日はある意味序章として、このお題をしっかりと言葉にするまでを、この記事にまとめておく。

 

 

「仕事が速い」のはどんな人?

 

「仕事がはやい人」。この言葉で検索をかけると真っ先に気付くのが、「早い」と「速い」の2種類の表記が混在しているという点だ。つまり、定義の統一が不徹底なのだ。

 

そしてそれを評した文章を読んでも、「作業の処理速度が高い」人を指すこともあれば、「成果をたくさん作れる」人を意味することもあり、そこもまた曖昧であった。

 

だからまず、起点を変えてみる。僕は「どう仕事が速い人になりたいのか」をしっかりと考えてみたい。まずは目指す像を、きちんと絞ることから始めるのだ。

 

例えば「モテる人を目指す」とだけ決めても、第一歩目は全く動かない。嫌な話だが、モテる人は得てして収入が高いか、見た目がイイか、頭がイイ。

 

どのタイプを目指すのか、まずは現在地から考えてみるのだ。例えばそもそも体重超過気味なら、ダイエットを頑張り、見た目を磨くのが真っ先にできることだろう。

 

それと同じように、僕は仕事が速くなってどうなりたいのか、ちょっと深めに考えてみた。そして出た結論は、これまでの自分の否定になっており、少し面白さを感じた

 

僕は仕事を速く終わらせることで、もっといろんなことに手を出したい人生のポートフォリオをもっと充実させたい。そのために、仕事への割り振りを削りたい、と。

 

簡単に言えばオフの時間を延ばしたい。これが僕の深層心理に在るようなのだ。実際、仕事を速くして社会的にステータスを得ることには、微塵も興味がない。

 

有能と評されなくても構わない。今までと同じかそれ以上の成果を出しながら、休みをキッチリとって、残業も不要なスケジュールを送り続ける。

 

歪になってしまった自分を自覚しているからこそ、僕は仕事の速さを一助としてそれを正したい。自分の想いに到達した今、迷いは一気に減ったのを感じている。

 

そこまで整理できたので、では早速、具体的に仕事を速くする方法を探っていきたいと思う。

 

「仕事が速い」のはどんな人?

baigie.me

note.com

 

参考のため、上記2つの記事を読んだ。そこで得た気づきは、自分にとって本当に目からうろこであった。まだまだ実験の途中だが、取り急ぎ記事にまとめておく。

 

特に自分のことを見直すきっかけになったのは、後者のブログに書かれていた、思考と作業を切り分けよというアドバイスだ。

 

僕の中での再言語化はまだ途中だが、いわゆる思考すべき段階と、作業に集中すべき段階がごっちゃになっていると、仕事の効率は恐ろしく下がる、とのことだった。

 

何の料理を作るか決めていない状態で、食材の下処理をするようなものだろうか。この際、手が動かないのは想像に難くないし、レシピが決まらないのもまた然り、だ。

 

思考と作業をどう切り分けるか。言い換えるならば、思考という段階を如何に早くクリアするかが、僕の作業効率を左右していると感じている。

 

ここでキーワードになるのが、前者のブログに書かれていた「決断の速さ」だ。これを鍛えておくと、思考の段階が短くまとまり、作業や行動に移行できるようになる。

 

そのために必要なのは、知識や経験値の総量を増やすことだとあった。材料がたくさんあれば、パッと閃くように、過去のパターンを基に即決が可能になる、と。

 

これは僕の中にもエピソードがある。英検1級を目指していた頃、Q&Aやスピーチの返答が咄嗟に閃かず、練習の段階ですごく苦戦していた記憶がある。

 

その壁をぶち抜いて、1級レベルの問答がすらすら話せるようになったのは、分厚い参考書の問答集の半分以上を暗記できてからだったのを覚えている。

 

つまりは知識と経験値だ。その総量が閾値を超えると、速度としてそれがフィードバックされてくるのだろうと今なら思う。詰め込み教育は、ちゃんと正の側面も持つのだ。

 

その上で、脳が最速で思考を行える方法を自分なりに開発し、更に効率を高めることで、あとは単純作業に集中できるようになるこの組み合わせが、仕事の速さだ、と。

 

思考を最短で終わらせ、悩みを限界まで減らし、作業の間は没頭して素早く片付けていく。何なら依頼したって良い。なるほど、全てが繋がってくる感じがある。

 

仔細は違うかもしれないが、僕はこれら2つのブログを読んで、仕事の速さをそう理解している。

 

―となればまた新たな課題が浮かぶ。僕が最速で思考を行えるツールはなんなのか、だ。自分ではずっと「文字」だと思っていたが、実はそうではないかもしれない。

 

最後にそんな「可能性」について触れて、記事を終わりにしたいと思う。

 

僕はノートが取れない。

 

僕はノートとメモを取ることが昔から苦手である。最近は模範解答とされるそれらを自分が再現することに、もはや何の希望も抱いていないくらいだ。

 

その理由を言うと頭がおかしいと思われるかもしれないが、正直、自分が聞いたことや黒板に書かれたことを文で書き写す時間と労力が、とてももどかしいのだ。

 

自分にとって不要な情報が多いものを、そのまま書き写すことが、とてもじれったい。それが本心であることには、割と最近気が付いた。

 

だから逆に、どういうノートを書けば、自分にとって理想的なのかを考えてみることをやってみた。その辺は、以下のブログにまとめたので割愛する。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

そしてこのことを思い出した際、ふと気が付いた。ひょっとしてこのやり方で考え事をしているときが、自分にとって最速なのではないか、というものだ。

 

試しに現在少し悩んでいることを、このやり方でゴリゴリとメモ帳に書き出してみた。判読がギリギリな字と、矢印等を使い、自分なりに関係性を持たせつつ、書き出す。

 

すると、不思議なことが起こった。あれだけ悩んでいたことが、数分で行動に落とし込めたのだ。僕にとって最速のやり方の、端緒が掴めたかもしれない。

 

僕はもしかしたら、意外と文字で思考していないのではないか。文字よりもさらに前段階の何か、例えば記号とかその辺を基に、”後から”言葉にしているのだろうか

 

この辺りは僕自身の内省というより、科学的見地による情報がもっと必要だと思えてきた。ただ、このやり方の速さは、我ながら驚いている。

 

書くことがあれだけ嫌いだった僕だが、そのやり方をイジることで、それが僕の最高の友達になるのかもしれない。なんと面白い帰結だろうか。

 

職場と家中にメモとペンを転がしておいて、しばらくはその練習に充てることとしよう。では今日はこの辺で。

 

 

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