精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

心の中の9歳児を制御したい。

子供の頃からずっと、良くも悪くも治らないと感じる性質がある。それは、いつでも何かのテーマを設定し、それに則って日々を送りたいというものだ。

 

例えばこないだまで、僕は減量に取り組んでいた。元々は年始に急性アル中をやらかした反省からスタートしたものだが、途中からそれが目的にすり替わったのだ。

 

思えば、昔からそうだった。一例として、バットの素振りを500回、とりあえず1週間やってみようと決めたら、本当にそうしていた。たとえマメが潰れても、だ。

 

また、節約したいから、ここから10日くらいカレーで過ごそうと決めたら、これも難なく実行できたものだ。かなり食費は削れたので、この企画はまた近くやりたいと思う。

 

かっこよく言えば、僕は常に、新たな挑戦や実験、観察を自分に課していないと落ち着かないタイプなのだ。要するに、子供の頃から、この無邪気さが変化していない。

 

しかし同時に、この常に新しい刺激を求める性格こそが、僕のメンタルを休ませず、それどころか消耗に繋がっていることもまた、理解しているつもりだ。

 

だから休む必要がある。とはいえ、完全に停止してしまうと、それによってストレスが生じ、回復を思い切り阻害してしまう。落としどころはどこにあるのか。

 

【心を整える】という本を読んで以来、僕は自分におけるその術を、意識的にずっと探そうと試みている。今日はその途中経過を、せっかくなので記事にする。

 

 

自分の身体で実験をし続けてしまう。

 

60日にわたるダイエット生活を終えた現在、新たに何を始めようか、その難民になっている。この時点で何かがバグっている気もするのだが・・・。

 

今のところは一か月一万円生活よろしく、食費をカットする生活が第一候補になっているのだが、それはつまり身体を痛めることに繋がらないか、薄々危惧している。

 

自炊は好きなので、この暮らし自体は苦ではない。しかし、それに真面目になり過ぎれば、もやしで1週間とか平気で暮らしそうな自分も見え隠れする。

 

常に新しい刺激を求める一方で、それによるダメージを感じつつ、それでいてそれと回復のバランスを取ることに困難さを覚える。要は、心のケアが手薄なのだ。

 

この性格を無邪気に発揮し続けることは、最悪の場合適応障害に繋がる可能性もあると自覚している。言ったか言わずか、僕は過去、そうなったことが実はある。

 

それゆえ僕は、静かな時間を過ごすことや、心を整えることの重要性を改めて認識し直しているつもりだ。そのはずなのに、気付けば連勤術をするという矛盾。

 

日頃の過ごし方や考え方にはバグがあると自覚したうえで、どう調整していけばいいか。この問いは、今まで入れてきたつもりだったが、どうやら不十分だったようだ。

 

好奇心の強さが年を取っても衰えないのはある意味僕の強みになり得るのだが、それを好き勝手に発動させた結果、最近はデメリットの方が増えてきているのを感じる。

 

かといって僕は、頭の中を静かにさせることも難しい。僕のメタは何時だってうるさいし、周りも僕にぽんぽこ仕事やメッセージを飛ばしてくる。

 

日々の環境や生活、他者を極端に変えることなく、一発逆転も狙わず、心のケアやバランスを保つ術を丁寧に設計するにはどうすればいいのだろう。

 

たまにオフを取って、独りでゴロゴロしてみる。すると、隣人が立てる騒音が気になって仕方なくなる。読書も手につかず、苛立ちが募る。

 

すると経験値として、暇な時間は結果ストレスにしかならない、と刷り込まれてしまう。今の僕が採っている思考や言動は、そういった学習の集積なのだ。

 

【熟達論】でいうところの、根本にある積み木にまで降りて行って積み上げ直す作業が、今の僕には必要だ。じゃなきゃ心の中の9歳児は何時までも五月蠅い。

 

心の中の9歳児を制御したい。大人になれない僕だけど、このことは強く感じている。ということで、ある意味何も言ってない記事になってしまったが、今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村