精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「継続癖」の課題と、その活かし方。

自分でいうのもなんだが、僕は平均値よりは高い水準で、継続が得意だと自負している。要は三日坊主になる可能性が低いという話だ。

 

もちろん今では止めてしまったものも多々あるが、そろばんの練習、バットの素振り、ゲームのコンボ練、英文音読、そして毎日2000文字くらいのブログ執筆等々。

 

そもそも1発で劇的な効果を生む施策に全く期待していないのもあるため、我ながら本当に健気だなぁと感じているほどだ。

 

一見、周りから見れば羨ましがられるスキルといえるが、僕は当事者故、どちらかといえばそのネガティブ面がここ最近ずっと気になっている

 

うちはマダラも言っていたが、「どんな術にもリスクはある」のだ。ということで今日は不思議な話だが、継続のリスクという観点から、色々分析してみようと思う。

 

 

リスク1:ダメな習慣も継続しやすい。

 

僕は悪習慣とされるものも、実は簡単に継続できてしまう。代表例は酒だ。僕は何度も試みたが、週に1回といった酒の飲み方が全くできない

 

一度飲酒のスイッチが入れば、2~3週間は平気で飲み続ける。しかしそれがバチっと切れれば、1ヶ月連続で断つことも普通にできる。ゼロかヒャクしかないのが僕なのだ。

 

こないだも2か月くらい酒を止めていたが、それもある意味継続の力だ。ただその目的を達成した今、気付けば”理由もなく”僕は飲酒を継続している。

 

それだけではない。中~高校の頃はモンハンなどに熱中し、正直それの熱が冷めたのちも、日課として毎日30分程度プレイするという謎の時間を過ごしてきた。

 

サンクコストに意識を向け難く、そしてそれを理由として習慣を断つことができない。これは強みというより、もろ刃の剣に当てはまるポイントだと僕は考えている。

 

リスク2:途切れるとどうでもよくなる。

 

程度にもよるが、自分ですると決めた事柄が”途切れる”と、ものすごくそれに対する興味を失ってしまう。断続的というやり方で物事に向き合うことが、不可能なのだ。

 

このことを考えると思い出すのが、大学卒業時には1000日以上継続していたとあるモバゲーだ。僕は律義に、ログインボーナスを貰うことだけひたすらに継続した。

 

しかし、たまたま泊りでの研修が入ったことで、ログインを忘れてしまい、その記録が途切れてしまうということがあった。翌朝僕は躊躇わず、そのアプリごと消した

 

筋トレをはじめとするトレーニングでもその癖は抜けず、毎日筋トレか散歩のどちらかで「体を動かせた」と自分に言えないと、途端にやる気のすべてを失うのだ。

 

波に乗れば、1日くらい途切れるのは堪えられるが、序盤で躓くとわかり易く習慣ごと抜けてしまう。

 

それこそ、頑張った自分にご褒美というのを与えると、僕はそれを毎日続けてしまうのだ。だからあまり意味がない、と。

 

ということでざっくりと、継続力が強すぎてもこういうリスクがありますよ、というのを紹介してみた。

 

ここからは、それらを踏まえて、今僕が講じている対処策を紹介してみようと思う。

 

リスクヘッジ1:悪習慣は別行動で断つ。

 

矛盾という話に似ているが、上記の2つのリスクに優劣はあるのか。実は、ある

 

例えば、自分の生活にとって好ましくないことが連続している際、実は1日でもそれを断てば、どうでもよくなるという気持ちの方が上回るのだ

 

僕は断酒を始める際、必ず仕事の帰り道に外食をする。腹いっぱい食べてしまえば、酒を飲む余裕がなくなる。それを起点に、断酒の日々を重ねていくのだ。

 

こんな風に、その行動を「しない!」と思うのではなく、別の行動で置き換えて途切れさせるようにすると、悪い習慣に飲まれることはかなり減っていった

 

僕は基本的に、僕の意志の力はアテにしていない。システムやツール、自分へのルール設定で、淡々と対処するだけだ。

 

結構これは、アスリートの方が書いた本を読んでいると見かける思考なので、部活などで運動に取り組んでいた人は結構はまりやすいかもしれない。

 

リスクヘッジ2:合格点を思い切り下げる。

 

また、意外と大切なのが、合格点を下げることだ。例えば、瞑想を日課に取り入れたいとするならば、その時間・姿勢のいずれにも定型を設けないと思う。

 

それこそ寝る間際まで忘れていたとすれば、「眠気がくるまで、鼻からの呼吸に集中しよう」と、寝っ転がったまま行う。そして、「やった」と自分にOKを出す。

 

筋トレも同じだ。時間が全然ない時は、「懸垂を限界まで3セットやろう」と決めて実行し、そして「やった」認定をちゃんと出すのだ。

 

継続に真面目過ぎると、そもそも続けようという意欲が無くなる。自分に甘いと言われようが、努力量ゼロの人よりは遥かに前進できるので、そこは割り切っていい。

 

終わりに。

 

継続癖はいつから自覚があるだろうか。少し思い出してみたが、実はちゃんと習得できたのは中学2年の頃だったと思う。

 

当時僕は、スポーツが上手くなりたいと思ったこと、格闘ゲームにはまったことなどがきっかけで、筋トレを始めるようになったのだ。

 

別に多忙というわけでもない中学生活、これしきも継続できないのは嫌だなと考えて、

毎日何かしらの形でトレーニングを続けていた記憶がある。(数回ケガしたが)

 

以来断続的ではあるっちゃあるが、トレーニング自体はもう18年続けていることになる。一番長く続いている習慣として、これを超えるものはもうゲームしかない。

 

気づけばハンサムだった同級生がどんどん肥えていき、それを横目にスリムな体型を維持できていることから、羨ましがられることも増えてきた。なんという話だ。

 

継続は力なりというが、僕は在りがたいことに、それがぶっちぎっている。だからまわりまわって、酒を飲み続けるように、リスクになることもある。

 

どんなことも使い方だ。これからも自己観察を通じて、自分をもっと上手く操縦できるようになりたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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