精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記135】"Quiet"読書感想ブログⅩ ~追い詰められて回復し強くなる~

僕はよく言われる。「なんでそんな人見知りなのに、人前に立てるの?」と。それについては、なんででしょうね、と言う外ない。

 

あまり会話をしたくない、日常から人と付き合いたくないというのは、嘘偽りない本心だ。時たま、山奥の狭い寺で座禅を組んでみたいと思うことさえある。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

しかしそうであっても、時には外へ発露させたい、知ってほしいといった何かを、胸の内に溜め込むことはある。自分なりの観察の成果とでも言おうか。

 

外向的な人は、まだ精度が低い内からそれを出せる。内向的な僕らは、精度を上げてからじゃないと、気恥ずかしさゆえに出せない。そんなもんではないかな、と。

 

そうやってぼやいたところから、本題に入っていこう。

 

 

7月10日(月) 退路を断つメリット。

 

意識的にできるかどうかはメンタルのタフネスが求められるのだが、シャイとか内向性を打ち破って人前で活躍するのに必要な要素の1つに気が付いた。

 

それは退路を断つことだ。背水の陣と呼べるかもしれない。実際僕自身、すごく抵抗のあるタスクを認識したとき、まず真っ先に回避や依頼を考える

 

器が小さいのだが、それが人間というものではないかな、と。しかしながら、絶対に逃げられないと悟ったら、立ち向かうことに全部の意識が向くことも承知している。

 

これを覚悟とか腰を据えるとか、色んな呼び方をする人がいる。だが結局、同じことを言っているのだろう、と。

 

退路を断つには宣言が一番オススメの方法らしいが、僕の「引退」という目標は軽々しく口にして良いものか、本当に迷う。

 

しかし、退路を断たねばヌルい状況のままだらだら行くこともわかっている。そしてそれが全くつまらない環境であることも。地味な正念場だなと、本当に思う。

 

7月11日(火) 「できた」後の罠。

 

僕自身演劇の経験は1㎜も無いのだが(幼稚園のお遊戯会だけ)、興味が無いわけではない。ただそれは、やってみようという熱量に至る程ではない。

 

ところで、本当にやってみたいという思いがあれば、内向的という殻をぶっ壊し、挑めてしまう人がいる。そして一度でも挑めば、評価は「できる人」に変わる。

 

そこにちょっとした罠がある。できるのはあくまでキャラクターの一つであり、自分がしたいと心から思った何かだけなのである。

 

だから、さして興味もない、あるいはアドリブを要求されるようなことをさせられると、途端に内向性へ逆戻りだ。さながらビッグクランチの如く、である。

 

僕自身、授業をしろと言われれば特に抵抗なくできるが、落語をしろと言われれば、素養ゼロのため全くできない。

 

できることは取っ掛かりにこそなるが、全体的な成長には寄与しない。僕らではなく、僕ら以外の人に知っておいて欲しいことだなと、強く思わされる。

 

7月12日(水) つまり「練習」あるのみである。


内向性が強いと、人前で話すのなんてとんでもないと思う。僕もそうだ。今も場面によっては、反射的な嫌悪感・無力感を強く覚える。

 

とはいえ、そういう「足りない」という実感は、練習の強い動機となる。不安だから安心したい。だから練習する。すると、能力が伸びて、上手くいく。

 

極めてシンプルだが、内向的による天性の観察力があると、他の人に比べて長大な自分の弱点チェックリストができる。その克服には、やはり練習しかない。

 

ある種のダークな気質を上手く転化すれば、こんなにもポジティブな力になる。何事も解釈と使いようなのだと、改めて納得した。

 

7月13日(木) 不安だからこそ・・・

 

内向性最大の弱点にして強みは、その強い不安性な思考だ。不安だからこそ、大体の未来について、存在しないリスクを想像し、割に合わないと判断し、足を止める。

 

しかしそれは裏を返せば、メタから強く、「準備をしろ」とケツを蹴られているようなものである。だから素直に蹴られて、必死で準備をすればいい、と。

 

僕らの武器は解像度の高さだ。それによって他の人が気にしないことが気になり、他の人なら見過ごすことに、観察の意識が向けられる。だから活用しない手はない。

 

不安だからこそ、備えることに全力たれ。すごくいい言葉である。

 

7月14日(金) 人見知りと発表の場。

 

結局僕らは、舞台に臨むとき、準備をしなければ不安に潰されるというのが本当のところだ。誰よりも入念な準備が必要で、それをすることにより、真価を発揮する。

 

「どうすればアドリブで堂々と人前で話せるようになるのか」というのは、本当に強みを殺すことに他ならないので、発想の時点で色々と間違えている。

 

僕らは不安を強く感じる。これはつまり、誰よりも準備に対し、高いモチベーションを保てるということだ。

 

完成度でブチ抜こう。多分それが、僕らに向いた、立ち回り方なのだから。

 

7月15日(土) 寛げる場、僕だけの秘密基地。

 

ゲームによっては、アジトにいると、体力がゆっくり回復するスポットが用意されているものがある。

 

これは僕らの体力や精神力を可視化したモデルとして、非常にしっくりくる。僕らが癒される場所は、ニッチな秘密基地やアジトという風に、独りになれる場所なのだ。

 

誰かといる時間は、つまらないわけではない。しかしそれは多大な精神力を要するため、そこに身を置き続けると、体力がゼロになってしまうのだ。

 

営業トークや面接に疲れた人が取るべき手段は、もっと場数を増やすとかもっと心を安定させる鍛錬を積むとかそっちじゃなく、まずはしっかりオフを取ることである。

 

今月は逆に自分の限界を叩こうと思って、フル休みを1日という過ごし方をしているが、やはり心がめげそうである。

 

自愛のためにも引きこもる。その場所を作る投資は惜しんでられない。改めてそう誓った。

 

7月16日(日) 回復の場所を用意する。


人とガッツリ話す時間は別に嫌いではないが、多分一般的な外向性を持つ人の5倍くらい、その最中に体力を持っていかれている自負がある。

 

昨日も30分程度の面談を四コマ取って、そして今日も似たようなスケジュールで動くのだが、失われる体力や大変さが想像できて、家にいる今、既にしんどいくらいだ。

 

オマケに今朝は、やたら外が騒々しくて、ベル式の目覚まし時計が鳴り響くような音が10分程度続き、もっと寝たいのに叩き起こされてしまった。

 

不十分な回復が相次ぐと、心は結構簡単にめげると思う。試しに今日は、面談の合間合間にがっつりした休憩を意識的に入れてみる予定である。

 

仕事にいる場であろうと、回復の場は用意したい。でなければ、色んなことの寿命が早めに尽きてしまうリスクを感じている。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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