精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「鬱っぽさ」における、身もふたもない原因の一考察。

先週はメンタルに風神拳を毎日数発ずつ食らうような日々だった。一度でもそうやって浮かされれば、些細な出来事もすべてコンボのひとつと化し、連続でダメージが入る。

 

そうやって疲弊しきったため、活動量をなるべく抑えて過ごしたのが3月の一週目だった。正直適応障害の診断を食らった頃並みに、体調はしんどかったように思う。

 

今はとぉにかく寝て、寝て、寝続けて、何もせずに寝まくった結果、少し気持ちが上向いて、散歩とかその辺に出かけられるようになり、回復の兆しは見えている。

 

とはいえ、鬱的なメンタルは本当に厄介だ。治ったと思ったらただ沈静化しているだけであり、つまり揺さぶればまた簡単に再発する。

 

もう1週間くらい少し慎重に暮らさないとな、とは思っているが、実はこの鬱っぽさについて、心への風神拳とはまた別の心当たりに気づきつつある。

 

今日はそんな身もふたもないことを書いてみようと思う。

 

 

 

アレが足りてない説。

 

こないだ友人に会った際、自分では全く無自覚なあることを指摘された。それは顔色の悪さだ。曰く、真っ先に心配になるほど、僕は顔色が悪いらしい。

 

冗談めかして「茶色い・・ってコト?」なんて聞き返してみたが、そうではなく、青白いうだ。それはそれですごく気になる。

 

そういえば僕は10年以上前から、顔色が悪いと指摘されることがままあった。ぶっちゃけその時は仕事の繁忙期であるなど、他の理由が思いつくため、何も思わなかった。

 

しかしながら、その時はメンタルの調子もさほど良くなかったように思う。この二つはつながりがあるのではないか。そう思うと、気になる記事に行き当たった。

yuchrszk.blogspot.com

 

まさに、である。隠していたわけではないが、僕は割と日頃から、最近食事や栄養が足りているかを生徒・肉親問わず、心配されることが多い。

 

それは一種のイジり及び肉親故の特性みたいなものかと思っていたが、どうやらガチで、そう見える何かを僕は表情にたたえているのかもしれない。

 

ということで、顔色の悪さに繋がり得る栄養素を調べてみると、それは鉄分であった。僕の体には血が足りないということか?

 

確かにここ最近は忙しさにかこつけて、コンビニ弁当で済ませていた。以前より肉をガッツリ食うなんてことは減り、その辺が不足するのも納得といえば納得だ。

 

ということでしばらく、意識的に鉄分の摂取量を増やす食生活を心掛けている。具体的には肉を200g以上食うことと、意外かもしれないが、水菜を食べることだ。

 

水菜に行き当たったのは、以下のサイトの【非ヘム鉄含有量が多い食材】を眺めていて、痛風ゆえに避けたいほうれん草や、嫌いな納豆を除けたら残った食材だからだ。

brand.taisho.co.jp

 

他にもマグロやカツオなど、工夫をすればまだまだガツガツ摂取はできそうというのが感想であった。サプリから摂るのも考えたが、食事で十分そうなのでパス。

 

そんな風に意識的に鉄分を増やしてみると、身体にどんな変化が現れてくるものなのか。以下、現時点で感じている変化について、つらつらと書いてみる。

 

プラセボの可能性も高いが、そういう食生活に切り替えてから、確かに体力的なしんどさをあまり感じなくなった。集中力の持続時間が伸びたという感じだ。

 

顔色が変化したようには思わないが、体感できる変化を一つ得られている以上、例えばさらに鉄分を増やしてみるとか、組み合わせを変えるとか、仮説はまだ作れる。

 

今日はもし売っていればレバーを食いたいと思っている。ただやり過ぎたら痛風発作にも繋がる得るので、そこは気を付けなければならないが・・・。

 

さて。病は気からというが、それ以前に栄養不足でそうなることもあるんだなと。無自覚ゆえに、今は正直ショックという感じが強い。

 

僕の身体には血が足りない。それを前提に、もう少し摂取量的な意味で、自分を労っていこうと改めて思った。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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