精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

マジで話を聞くのが苦手なので、いい加減色々と調べてみた。 ―そして得た、新しい授業づくりのヒント。

もはや開き直っているフシもあるのだが、僕は他人の話を聞くのが凄く苦手である。昔から先生の話や板書をノートに取れないため、酷いノート点を連発したものだ。

 

大人になっても相変わらず、「音声」によって理解することが大変困難なので、情報収集として講演会や授業を活用することは、マジでほとんどない。

 

極まれに利用することもあるが、最大で10分程度、自分なりに予習を進めて「このピースがハマれば解けるんだけどな」というそこだけを求めるように活用するのみだ。

 

それくらい苦手なのだが、「それもセンス」と諦めてしまっていて、”話を聞けない”こと自体の勉強を完全にサボってきていたことに、ふと気づいた。

 

ということでいい加減色々と調べてみたので、今日はそんな話を書いてみよう。

 

 

話を聞けない人は、何ができるのか?

 

人は外界から情報を取り入れるとき、「言語」「聴覚」「視覚」のどの刺激を得意とするか、その比率に結構個人差が出るのだという。

 

これを判断するのに丁度いいテストを発見したので、早速空き時間に試してみた。リンクを紹介するので、興味がある方はやってみてほしい。

www.cogtem.com

 

さて。その結果は、これまでの自分の経験則を鑑みても、すごく納得のものだった。僕の情報処理の術について、ざっくり関係性を書き起こすと、こんな具合だ。

 

視覚>>言語>>>>>>聴覚

 

僕は、目で見た情報を処理するのが得意らしい。そしてそれは、言語になっていると、より理解度が増すようだ。確かに僕は、読書が好きなので、その傾向は感じる。

 

一方、聴覚の優位性を示す質問は1つしか無くて、僕はハナから耳を使って情報を集め、処理するということを、無意識下で避けていることがよくわかってしまった。

 

その上で「聴覚 処理 苦手」というワードで検索をかけてみると、これまた読めた流れなのだが、そういう特性(障害)があるよ、という解説ページに辿り着いた。

apd.amed365.jp

 

とはいえ、その辺は割引いても、「あー、これわかるわー」と思うエピソードや症例は結構並んでいた。その中でも特に僕が同意することを、箇条書きで引用してみる。

 

雑音の中では話が聞き取れない


聴力検査では問題無いと診断された


複数の人との会話や音は同時に聞き取れない


口頭で言われた事は忘れてしまったり、理解しにくい


テレビや映画は字幕が無いとよくわからない

 

先生の全体への声掛け(指示)に気づかず、周りを見てから行動し始める

 

会話中に目が合わず、口元を見ている

 

電話やオンライン会議が苦手

 

等々。テロップが付いていない動画はとても苦手で、ポッドキャスト系の番組は、全く観ない。正確に言うと、作業中に流すといったBGMとしての利用しかしない。

 

メモを取りながらであればギリ長尺の会議もついていけるが、議論が袋小路に入って脱線を繰り返すと、途端に集中も興味も失い、メモが落書きに変わるから困りものだ。

 

さて。これらを踏まえて、僕のこの耳からの情報処理が困難という特性をカバーするには、果たしてどうしたらいいのか。その答えは極めて簡単だ。

 

なるべく文字・図・イメージに起こすこと。これに尽きる。できれば脳内に浮かべるのではなく、実際に紙か何かに書き出すことが良さそうだ。

 

これ自体も、実は原体験がある。僕は英検準1級受検の時点からリスニングがそこまで得意でも無かったのだが、特にメモをせずとも、安定して合格ラインを取れていた。

 

しかし1級となると、それまでのやり方では6割すら届かないという有様が続き、どうにかして対策をしなければならないという状況に陥ったのだ。

 

その際は、聞こえてきた言葉を片っ端から英単語・日本語・イラスト・記号を織り交ぜつつ、即座にアウトプットし続けることで、なんとかそれをカバーした

 

結果として7割という合格ラインは本番でも取ることができ、一つの成功体験を得られた稀有な経験だと考えている。(TOEICはメモ不可能なので受検したくない)

 

・・・ところで、これを踏まえると、ある可能性を思いつく。それは、話を聞けない生徒に対し、誰よりも当事者意識を持ってアプローチできるというものだ。

 

要は、僕がされてつまらない説明や指導方法を避ければいいということ。もちろんそれが万人受けするとは思えないが、学校の授業が苦手な子には響くかもしれない。

 

ということでここからは、僕にとって快適というか、人の話が聞けないヤツでもわかり易く思う授業のテンプレを、実体験を通じて模索していきたいと思う。

 

僕にとって辛い授業。

 

【観察力の鍛え方】にも書いてあるが、大事なのは大当たりを狙うのではなく、最低点を底上げすることである。だから、失敗の要因を”避ける”方が、再現性が高い

 

さて。僕が秒で観ることを投げ出す動画や説明には、どんな特徴があるのか。色々思い返すと、結構な共通点を拾うことができている。

 

まずはとにかく、一方的な説明が続くものだ。タイマーで計ってみるとちょっと笑ってしまったが、僕は3分以上の連続した説明が、どうやら聞けないようである。

 

特にスライドも板書も資料も無い、講演会型のそれは僕と最悪の相性であり、人生で何度か強制参加させられた講演会の学びは、そのほぼ全てが記憶から消え去っている。

 

そしてさっきも少し触れたが、僕は字幕が無い動画を地獄としか思わない。だからそうだと判った瞬間に視聴を止めてしまう。あるいは別の作業をしながら聞き流す。

 

実況中継シリーズという参考書があるが、それを読んでも思う。僕は授業を”される”より、文字に起こしてもらったのを”読む”方が、数倍理解しやすいと感じるようだ。

 

これらを踏まえれば、話を聞くのが苦手な子に対し(あるいはそういう子がいるクラスにおいて)、以下のポイントはなるべく除外した方が良さそう、という結論になる。

 

① 5分以上の連続した説明

 

② 文字・図・スライドの無い説明

 

僕らはスピーチが仕事なのではない。そのことをきちんと自覚していればこれらのデメリットは回避できそうなもんだがと、書いてみて少し呆れている部分もある。

 

僕にとって素晴らしい授業。

www.youtube.com

 

最近、↑の動画のシリーズがとても気に入っており、繰り返し何度も視聴している。別にどこを怪我しているわけでもないが、その哲学や見識に感動しっぱなしだ。

 

なぜそんなに観てしまうのか。もちろん、得られる学びの多さや語りのウマさもかなり大きい。

 

だが何より、僕にとって凄く理解しやすいフォーマットが用いられているのがその理由なのだと、今は考えている。

 

まず動画内においては、トレーナーの性なのかもしれないが、質問とレクチャーを何度も繰り返すことで、テンポの良いやり取りが始終行われている

 

そして実演が動画になっているので、一旦動画を止めて、自分でそれを”やってみる”こともできる。(結果、僕は肩甲骨の可動域が少し狭いと判ったのだが・・・)

 

のみならず、セリフはほぼ全て、かといって冗長にならない程度にテロップで文字起こしされており、耳からの処理がとても苦手な僕にはありがたい構成になっているのだ。

 

これらを踏まえれば、僕にとって良い授業・講義を作ろうと思ったら、以下のようになると言える。

 

① テンポの良いやり取りを通じて話が進んでいく

② 実演をする・してもらう機会がある

③ 文字・図などで可視化されている

 

おぉ、話を聞くのが苦手という少ししょうもないテーマから派生して、結構面白いヒントに着地できたような気がする。

 

あとはそれを意識して授業を作ってみて、そこで得られたことを再度検証して、という感じかな。ここにきてもう一つ、授業づくりが楽しくなるとは。

 

まぁ、2025年での引退自体は軽々しく撤退する気はないのだが・・。僕が今感じている型ごと、誰にどう引き継ぐかも、大事なテーマになりそうだな。

 

ということで今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村