精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

本が読めないなら話を聞け、話が聞けないなら本を読め。

脇腹の筋肉痛が4日目になり、何かやっちゃいけない筋肉でも破壊したかと心配な中元です。

 

いきなりだが、皆様は普段、本を読まれるだろうか?ちなみに僕自身は、多分お察しの通り、毎日4~50分は読書に充てている。

 

そして現状、この世の中を見る感じ、「読書しないとか人生損してるぜ」勢の方が、気持ち優勢だと感じている。なんなら、本を読まないとか馬鹿という風潮さえも。

 

うーむ。僕はつくづく思うのだが、別に本を読む人が自動的に賢いわけじゃないし、本を読まない人が自動的にアホというわけでもない本質はそこじゃないのだ。

 

そしてこの本質を考えると、タイトル通りの結論に至ると思う。それは、「本が読めないなら話を聞け、話が聞けないなら本を読め」というもの。

 

今日はそんなお話を書いていく。

 

 

読書家は何のために本を読んでいるのか。

 

そもそも読書とは、何を目的として行うのだろうか。単に読んでる様子を見せてかっこいいと思ってもらうという厨二的理由の人もいるだろうが、そりゃ少数派だろう。

 

思い切って分類すれば、娯楽か情報収集のどちらか、あるいは両方ということになるのではないだろうか。

 

小説や絵本であれば前者、ビジネス書や参考書は後者、という風に。もちろん、そのいずれも満たすような本もあるっちゃあるのだが。

 

そう考えれば、読書とは単に、そういった目的を満たすためのツールのひとつに過ぎないと言い切ってよさそうである。

 

となれば、読書が性に合わないのなら、無理してそれにかじりつく必要も全然ないだろう。

 

実際、人間は目と耳、どちらから得た情報の方が処理しやすいかは、結構個人差があるらしいのだ。(視覚優位・聴覚優位という語句を調べるとよくわかる)

kohaken.net

 

ということで、目で見た方が理解しやすいなら本を読めばいいし、耳で聞いた方がわかりやすいなら、誰かの授業を聞けばいい。そういう話なのである。

 

かくいう僕ははっきりと視覚優位であり、人の話を聞くのがめちゃんこ苦手である。例えば、会議が50分あれば、42分は話を聞けていないほどだ

 

最近はもう開き直っているフシもあり、一応その対応策も考えてあるが、大抵はそれを使うことなくスルーして、議事録だけぱっと読んで終わりにしている。

 

それで何とかなっているので、僕はやはり、文字で書かれている方が有難いという話なのだ。

 

読書の方が情報量が多いという謎理論。

 

一方、「50分話を聞くのと、50分読書するのとでは、頭に入る情報量が全然違う!」という人もいる。読書する方が、情報のシャワーを浴びられるという意味だろう。

 

これについては、実は最近までも僕も同意していたが、今ははっきりとダウトに感じている。

 

例えば誰かに対して話をしようと思うと、たとえ話やジェスチャー、声色や抑揚の変化など、文字に起こされない情報を無意識にたくさん混ぜるものである。

 

これらによって伝わる情報量の多さは、決して侮れない。人と人のコミュニケーションにおいて、どうやら言葉で伝わる情報は、全体の7%らしいのだ。

test.jp

 

残りの93%は、よほどの文才があれば別だが、活字にすると失われる情報ということである。それを補うために、修辞法とか表現技法が発達したとさえ、今は思う。

 

確かに、とある小説を基にした映画を作ると、もちろん割愛される部分も多いが、数百ページ分の情報が2時間にまとまったりもする

 

ということで、読書の方が情報量が多いというのは、必ずしもそうではないという意味でダウトである。

 

本を読むのが苦手な人は、無理せずYouTubeの動画とか、誰かに質問して答えてもらうとか、そういったやり取りで情報を得ていくのがオススメである。

 

恐らくそこに、大差はつかないから。

 

ということで、合ったやり方で勉強しましょうというご提案でした。では今日はこの辺で。

 

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