今、憂鬱だ。目の前のToDoリストには、今日電話をしなければならない人達の名前が4つ書いてあり、それをただぼーっと眺め続けて30分が過ぎてしまった。
元々暇な時間帯ではあるのだが、だからといって電話ひとつ掛けられないままというのは、とてつもなく情けない心持がする。なぜ自分はかくも電話が嫌いなのか。
気付けば「電話が嫌い」というnoteを読み漁り、同じ思いをしている人の言葉に触れて「わかるわ~」と共感し、また時間を無駄にしたと気付いて、落ち込んでいる。
そんなクソ無駄な時間を過ごしているときに、急に発想が転換したというか、「ん?」と思うアイデアを得た。これは天啓か、それとも適当な思い付きか。
今日はどっちであるかを見極めるため、それを基に記事を書いていく。
「苦手」を克服するには、「仮説」を立てることが一番かもしれない。
電話嫌いを調べているときにふと閃いたのは、「そもそも得意な人は何を考えて電話をしているのか」という問いだ。それが移植可能なら、一番話が早いではないか、と。
そして心掛けについていくつか調べていく内に、僕が今心に留めている事柄と全く違う構え方や基準を、その人達が多く採用していることに思い至っている。
だから思った。”ちょっと試してみたいな”と。これがあると全然違うというのなら、本当にそうなんだろうなと挑戦したくなっている。
メモを用意し、会話口に集中し、聞き取ったことを復唱しつつ、クッション言葉で基本的には応対する。そして都度、そのときの感情を振り返っておく。
これをやっているから得意なのか、得意な人はこれらができる人を指すのか。それ自体はわからないが、つまりこの辺は「怖いけど、やってみないとわからない」のだ。
これは、骨折や靱帯負傷からのリハビリにすごく似ていると思う。嫌だ、痛い、キツいとわかっているからやらない、だから増々億劫になり、基本すら身体から消えていく。
僕も経験があるが、関節や筋肉をギプスで固めると、それが取れてからも全く動かないし、無理矢理でも動かすと強い痛みを覚える。だから動かしたくなくなる。
しかし、例えば温水プールに入れて血流を良くし、痛みを軽減した状態に持っていってでも絶えず動かし続けないと、永遠に解れないし、機能も改善してこない。
だからその痛みに対し、「確かに痛い、けど動く」という風に意識的にトラウマを軽減、或いは打ち消すような言葉を自分にかけ続ける。
気付けば、機能も改善しているものだ。僕の場合は、ギプスが取れてから大体1ヶ月程度で、その部分の伸展等は問題なくできるようになっている。
電話の話に戻ろう。
電話が得意な人は、得てして序盤の成功体験から全てが始まっている。電話をすることに抵抗が無いのは、単にそれによってトクをした経験があるからなのかもしれない。
一方僕は、壊滅的な失敗の経験なんて無いのに、不思議と物凄く嫌いっぱなしなのである。どうせキツい、できない、痛い、苦しい、だからイヤ。頭が全てを止めている。
ここまでくれば実際の痛みと同じで、「どこがどう痛いのか」「この痛みは前と比べてどうか」というのを、実際に動かして、あとから観察し、検証しなければならない。
僕自身の心の奥底にこびりついた電話自体へのトラウマを、仮説・検証に
そこまで思い至った瞬間、気付けば僕は電話を手に取っていた。あれだけ嫌いな電話が、「後で検証したいことがある」という仮説の存在により、実行できたのだ。
仮説や問いの持つ力は、苦手や嫌いを超え得るのだろうか。だとすれば、またもう1つ、めんどくさい生き物である自分のトリセツが掴めるヒントになるかもしれない。
ということでここからは、実際に電話を掛け終わった後の感想を、忘れる前に書き殴っておく。
実際にかけてみた。
まず1件、一番重いところから電話で話した。やはり電話は嫌いであり、終わった今も、決して愉快な感情は抱いていない。疲労感でいっぱいだ。
―ここでふと思う。なぜこんなに強く疲労感を抱くのか?僕はただ話をしただけだ。肉体的な疲労は感じないはずなのに、すごくぐったりとした重さを身体に感じている。
と同時に、この精神疲労は何かに似ているという引っ掛かりもある。振り返ってみると、思い当たる節があった。格闘ゲームだ。
特に、強い相手を追い詰めて、逆に追い詰められ、素早いコマンドやガードの応酬が勝敗を分けるような、そんなヒリつくような試合の後みたいだ。
僕はその充足感は皆無に、ただ強い疲労だけを感じている。僕は電話によって、格ゲーで強いゴーストと戦うときと同等のメンタルへの負荷を受けるのか。これは驚いた。
声色以外のすべての情報が見えない中、そこに神経を研ぎ澄まし、適切な言葉選びやアイデアを返していく。なるほど、確かにこれは、猛烈に疲れる。
そしてゲームでも、こんな歯応えのある勝負をしてしまったら、数分は何も考えられないほど消耗するのだから、電話が連発出来ないのは至極当たり前だともいえる。
・・・するとここで、ある救いのあるヒントにも気付く。僕はまだその水準から遠く及ばないのだが、正直僕が苦戦するゴーストをザコ扱いするプレイヤーも多々いるのだ。
コマンドや攻め方、守り方のパターンを即座に見抜き、的確に受けて、正確にコンボを叩きこんでいく。当たり前のように彼らは操作するが、次元が違い過ぎるのだ。
となれば、鍛えるか経験値を積むかすれば、僕も電話嫌いを好きにすることは難しいにせよ、そこに食われるエネルギーを大幅に節約できるのではないか。
よく考えれば、僕は電話自体を猛烈に避けるため、平均すれば1日に1本以下の本数しか、電話でのやりとりをしない。
本数自体を意識的に増やすか、或いはゴースト対戦や詰め将棋のような、独りでもできて効果のあるトレーニングをルーティン化することが、手段として頭に浮かんでくる。
だから早速、「電話 トレーニング 一人」で検索した。そして10個くらいサイトをザッピングすると、どこも似たことをまとめているのに気付く。
それは、流れと決まり文句の徹底した暗記だ。【型】をまずは身につけて、それを場面に応じて組み合わせて、一つの応対を作っていく。
どうしていいかわからない、未分化の【遊】を卒業し、【型】を覚えて、使い、腹落ちさせていく。僕としては、もうこのレベルで満足だ。【観】【心】はもういい。
電話における【型】を一つ決めて、丸呑みする。それを愚直に繰り返す。僕の苦手克服のロードマップが一つ見えてきた。
なるほど、確かに、苦手を克服するには仮説を立てることが大事になりそうだ。それが直接解決してくれることはなさそうだが、新たな道はそこから拓けそうである。
いい学びになりましたわ。では今日はこの辺で。