精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記169】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログⅤ ~全ての道は仏教へ通ず?~

個人的にメンタルが沈んでいた時期は抜けたように感じる。今はテンションが高いわけでもなく、心が凪いだ状態がずっと続いているような具合だ。

 

特に新しいことを始めたいとも思わない。どちらかといえば、家にあるものの半分くらいを処分して、身軽になりたいという欲が段々増しつつある。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

着ない服、捨てるのが面倒で放置していた壊れた家電、ぼろぼろの靴。愛着と貧乏性を丁寧に区分けしながら、一つずつけじめをつけて処分する。

 

自分で自分に問いかけを入れながら、少しずつ捨てていく。1つの脳で考えているはずなのに、なぜ僕は僕へ問うことができるのだろうか。まるで意味が解らない話だ。

 

僕が問うている僕とは何なのか。そんな脳の神秘について、今週も思い巡らせていこうと思う。

 

 

3月18日(月) 「誘い」に乗る。

 

うつ病になると、投薬による治療も開始となる。これは気休めではなく、きちんとしたメカニズムがある。

 

感情はホルモンである程度決まるが、絶対的な予測は出来ないと書いた。ただ、近いところまで誘導することは可能だ。

 

無理やりテンションを上げると言えばドラッグの感じが出るが、正常に戻すならば、そのためのホルモンを誘発すれば良い。

 

科学とはやはり、盲信するのではなく、適切に付き合いたいなと、強く思わされた。

 

3月19日(火) ゆるやかに、あいまいに。

 

外部からの刺激や成分によって、思考や感情はある程度調整可能。その最たる例はドラッグではないだろうか。

 

常用者の話を聞くと、喜怒哀楽の中でもポジティブな感情が爆発したかのように高揚し、思考も言動も大きく変わるという。

 

その揺り戻しか、薬が切れた状態には耐えられず、常にそれを求めて、結果人生が瓦解することになる、という。

 

一方、サプリや漢方などは、喜怒哀楽の中のポジティブなそれらの、最も薄い感情をサポートしてくれる感じがある。

 

歓喜ではなく安らぎを高める。そんな風に。そして僕は、それくらいが丁度よくて、ありがたいものだと、強く感じている。

 

3月20日(水) 心身の連動。

 

例えば計算ができれば頭がいいと言うと暴論になるように、いい気分も悪い気分も、一言で括るのは無理なのだという。

 

だから薬さえ飲めば気分が高まるという考えは、不可能ではないが、ドラッグのような非合法性と劇薬っぷりを纏うことになる。

 

身体を動かせば気分が良くなったり、メンタルを整えれば身体の動きが変わったり、これらの要素はやはり複合的だといえる。

 

頭の中の話を頭だけで考えるのはちぐはぐなのだ。そう思い直すきっかけを得たように感じている。

 

3月21日(木) 気持ちを一言で言えるわけ、ない。

 

自分が今感じている気持ちを冷静に分析してみると、大体はいくつかの感情が混在していることに気づく。

 

単なる怒りだと思っていたら、そこに嫌悪や悲しさが乗っていた、と言う風に。日本語も英語も、怒りを表す言葉だけでも何種類もあるのが、その一例だと思う。

 

それこそ、感情を表す言葉だけで辞書が作れる程に。気分とは、そこに身体的な影響も加わった、とても複合的なものなのだ

 

一言で言えなくて当たり前。そう気づいてから、その時々の不安や苛立ちの感受が、少しは楽になったように感じている。

 

3月22日(金) 【観】を大事にする。

 

「連動性」という言葉が、最近自分のなかで興味深い言葉になっている。

 

【熟達論】の「型」と「観」でも指摘されているが、一連の動作は一部分ずつ取り出して直す、ということはそもそも不可能に近い

 

例えば僕は腰痛持ちだが、その原因が筋肉なのか骨盤の歪みなのか、可能性はいくらでも思い付く。

 

しかしそのどれかが致命的なバグになっていることもまた稀で、どれもが組み合わせって痛みを生んでいるとしたら、どうか。

 

アプローチとして、そこだけを直そうとするのはそれ自体が歪なことに思えてくる

 

脳もそこは同じだ。不安が強い人が、扁桃体「だけ」狙ってケアしても、何にもならないのと似ている。

 

包括的ケアという言葉の意味と重要性が、急に理解できた章であった。

 

3月23日(土) 万物はネットワークである。

メンタルの不調はカオス理論に等しいという話が出てきて、こないだまで読んでた本との繋がりを感じ、ひそかに興奮している。

 

例えば僕はネガティブ感情がかなり強めで、時折それが思考を支配することさえある。

 

そのためには例えば激しい運動や娯楽が効果的とされるが、それによって溜まった疲労により、後々の集中力が失われることにはならないだろうか

 

こんな風に、あらゆる物事はネットワーク状に繋がっている以上、何かをいじれば別の何かのパラメータも、確実に変わるのだ。

 

脳を突き詰めて考えると仏教哲学に似た話になるのは、とても示唆深いと感じている。

 

3月24日(日) バカとハサミは・・



 

不安や怒り、視野狭窄など、思考がいわゆる「好ましくない状態」にロックされた際、それをどう解決するのか

 

これ自体がかなりの難問で、それについてできることはゼロでこそ無いが、ほぼ無いと見て良いそうだ。

 

それよりも、感情が持つ正の側面を見るようにしたい。例えば悲しいとき、人は作業の細部に意識を巡らせられるという。

 

また、怒りのときは逆に、仕事が猛烈な勢いで片付いていくのだという。感情は良いも悪いもなく、使いようなんだと、やはり思う。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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