個人的にメンタルが沈んでいた時期は抜けたように感じる。今はテンションが高いわけでもなく、心が凪いだ状態がずっと続いているような具合だ。
特に新しいことを始めたいとも思わない。どちらかといえば、家にあるものの半分くらいを処分して、身軽になりたいという欲が段々増しつつある。
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着ない服、捨てるのが面倒で放置していた壊れた家電、ぼろぼろの靴。愛着と貧乏性を丁寧に区分けしながら、一つずつけじめをつけて処分する。
自分で自分に問いかけを入れながら、少しずつ捨てていく。1つの脳で考えているはずなのに、なぜ僕は僕へ問うことができるのだろうか。まるで意味が解らない話だ。
僕が問うている僕とは何なのか。そんな脳の神秘について、今週も思い巡らせていこうと思う。
- 3月18日(月) 「誘い」に乗る。
- 3月19日(火) ゆるやかに、あいまいに。
- 3月20日(水) 心身の連動。
- 3月21日(木) 気持ちを一言で言えるわけ、ない。
- 3月22日(金) 【観】を大事にする。
- 3月23日(土) 万物はネットワークである。
- 3月24日(日) バカとハサミは・・
3月18日(月) 「誘い」に乗る。
うつ病になると、投薬による治療も開始となる。これは気休めではなく、きちんとしたメカニズムがある。
感情はホルモンである程度決まるが、絶対的な予測は出来ないと書いた。ただ、近いところまで誘導することは可能だ。
無理やりテンションを上げると言えばドラッグの感じが出るが、正常に戻すならば、そのためのホルモンを誘発すれば良い。
科学とはやはり、盲信するのではなく、適切に付き合いたいなと、強く思わされた。
3月19日(火) ゆるやかに、あいまいに。
外部からの刺激や成分によって、思考や感情はある程度調整可能。その最たる例はドラッグではないだろうか。
常用者の話を聞くと、喜怒哀楽の中でもポジティブな感情が爆発したかのように高揚し、思考も言動も大きく変わるという。
その揺り戻しか、薬が切れた状態には耐えられず、常にそれを求めて、結果人生が瓦解することになる、という。
一方、サプリや漢方などは、喜怒哀楽の中のポジティブなそれらの、最も薄い感情をサポートしてくれる感じがある。
歓喜ではなく安らぎを高める。そんな風に。そして僕は、それくらいが丁度よくて、ありがたいものだと、強く感じている。
3月20日(水) 心身の連動。
例えば計算ができれば頭がいいと言うと暴論になるように、いい気分も悪い気分も、一言で括るのは無理なのだという。
だから薬さえ飲めば気分が高まるという考えは、不可能ではないが、ドラッグのような非合法性と劇薬っぷりを纏うことになる。
身体を動かせば気分が良くなったり、メンタルを整えれば身体の動きが変わったり、これらの要素はやはり複合的だといえる。
頭の中の話を頭だけで考えるのはちぐはぐなのだ。そう思い直すきっかけを得たように感じている。
3月21日(木) 気持ちを一言で言えるわけ、ない。
自分が今感じている気持ちを冷静に分析してみると、大体はいくつかの感情が混在していることに気づく。
単なる怒りだと思っていたら、そこに嫌悪や悲しさが乗っていた、と言う風に。日本語も英語も、怒りを表す言葉だけでも何種類もあるのが、その一例だと思う。
それこそ、感情を表す言葉だけで辞書が作れる程に。気分とは、そこに身体的な影響も加わった、とても複合的なものなのだ。
一言で言えなくて当たり前。そう気づいてから、その時々の不安や苛立ちの感受が、少しは楽になったように感じている。
3月22日(金) 【観】を大事にする。
「連動性」という言葉が、最近自分のなかで興味深い言葉になっている。
【熟達論】の「型」と「観」でも指摘されているが、一連の動作は一部分ずつ取り出して直す、ということはそもそも不可能に近い。
例えば僕は腰痛持ちだが、その原因が筋肉なのか骨盤の歪みなのか、可能性はいくらでも思い付く。
しかしそのどれかが致命的なバグになっていることもまた稀で、どれもが組み合わせって痛みを生んでいるとしたら、どうか。
アプローチとして、そこだけを直そうとするのはそれ自体が歪なことに思えてくる。
脳もそこは同じだ。不安が強い人が、扁桃体「だけ」狙ってケアしても、何にもならないのと似ている。
包括的ケアという言葉の意味と重要性が、急に理解できた章であった。
3月23日(土) 万物はネットワークである。
メンタルの不調はカオス理論に等しいという話が出てきて、こないだまで読んでた本との繋がりを感じ、ひそかに興奮している。
例えば僕はネガティブ感情がかなり強めで、時折それが思考を支配することさえある。
そのためには例えば激しい運動や娯楽が効果的とされるが、それによって溜まった疲労により、後々の集中力が失われることにはならないだろうか。
こんな風に、あらゆる物事はネットワーク状に繋がっている以上、何かをいじれば別の何かのパラメータも、確実に変わるのだ。
脳を突き詰めて考えると仏教哲学に似た話になるのは、とても示唆深いと感じている。
3月24日(日) バカとハサミは・・
不安や怒り、視野狭窄など、思考がいわゆる「好ましくない状態」にロックされた際、それをどう解決するのか。
これ自体がかなりの難問で、それについてできることはゼロでこそ無いが、ほぼ無いと見て良いそうだ。
それよりも、感情が持つ正の側面を見るようにしたい。例えば悲しいとき、人は作業の細部に意識を巡らせられるという。
また、怒りのときは逆に、仕事が猛烈な勢いで片付いていくのだという。感情は良いも悪いもなく、使いようなんだと、やはり思う。
では今週はこの辺で。