僕は講師よりコーチでありたい。そう納得してからというもの、インプットの質も対象も変化したのを感じている。
もはや僕自身がただ知識を吸収することに興味は無く、様々なインプット・アウトプットの方法自体に、強く興味が向いている状態だ。
例えば僕自身がsin、cos、tanを理解することにはあまり興味がなく、それが腑に落ちない生徒がどうすればそれを覚えて使えるか、という方法を僕は知りたい。
僕は単位円を書くというやり方が凄くしっくりきたため、他のやり方を模索することさえしなかった。しかし生徒の中には、単位円を書いた方がわかりにくい子もいる。
そもそも論、文字より記号で理解するのが得意な子もいる。黙読より音読の方が理解できる子もいる。読むより聞く方が好きな子もいる。そして全ては逆もまた然りだ。
自分がしてこなかった学習法をどう取り込んで、どう伝えるか。今日はそれについてぼんやりと考えを巡らせてみる。
僕は学び自体を移植できる存在になりたい。
優れたコーチとは何か。まだ全然思索が深められていないが、僕は何より、手数がとにかく多く、矢継ぎ早に努力のプロセスを提案できる人を頭に浮かべる。
選手として優れているというより、選手が抱えている障壁を理解し、それを取り除く観察眼に長けている、とでも言おうか。
その眼力を以て課題を見抜くだけでなく、それを克服するためのアプローチを提案する。それも押し付けではなく、その人自身の個性も十二分に踏まえたうえで、だ。
スポーツだと、このやり方は結構簡単にイメージがつく。目的に対して柔軟性が足りなければストレッチを、筋力が足りなければトレーニングを、それぞれ推す感じだ。
だが勉強となると、動き自体がかなり少ないため、その辺がとてもわかりにくい。全ては結局思考の話であり、文字なり言葉なりにして出さないと、評価さえできない。
そういう抽象世界において、それでもその子が何で・どう悩んでいるかを突き止めて、成果に繋がり得るアプローチを如何に的確に示せるか。
そのハックの方法は、本当に多岐にわたる。以前の僕は、アクティブラーニングとされる学習法をたくさん知って、それを伝えることが正義だと感じていた。
だがそれは、僕が【型】をただ知識として丸投げしていただけに過ぎない。僕自身がそれを試し、熟達のステップを重ね、せめて【観】まで深めねば、何も生まないのだ。
その子は視覚優位か、それとも聴覚優位か。言語で理解するか、記号で理解するか。アプローチできる観点は、それこそ無数だ。
しっかりした観察をもって、学習法を提案し、成長を見守る。それに応じて、更に手数を切り替えていく。コーチとして寄り添い、点を上げる。
セミナーの形式で、大枠を伝えることは可能だ。だが、やはり思う。集団授業で伝えられるのは、【型】が限界だ。それを各々にカスタムするには、別の施策が要る。
僕は【型】を伝えること自体が上手くなりたいとズレたことを考えて、それが成績の向上に繋がり切らないことに、どこか違和感を覚えていたことになる。
違う。どうすれば各々が”日々の生活や学習の中で学力を最大効率で伸ばしていけるか”こそが、僕が考え抜くべき部分だったのだ。
では、それを達成するために、僕は何をしていけばいいのか。それはまだ、具体的に「これだ!」というものが見つかっていない。だが、指針にはなり得るだろう。
学び自体を移植できる講師。もしそうなれれば、なんと楽しい人生になるだろうかと、ワクワクする気持ちもある。旅路は長いが、だからこそ楽しみである。
ということで少し尻切れトンボだが、今日はこの辺で。