以前なんかの記事にも書いたが、僕にとって最速のアウトプットは、「書き出すこと」で達成されると考えている。
確かに数学の問題を解くときも、わかる情報を書き出して、計算をとりあえず始めると、すごく解きやすいように感じる。自分にとって適した方法に違いなさそうだ。
そんな僕は、実際のところ、よく悩む。未着手のタスクや漠然とした負担が頭のどこかから立ち込めてきて、それによって思考が支配されるのもざらだ。
だから今までは、それに気付くたび、言葉にして記してきた。だがそもそも、言葉にまとめる時点で、少しタイムラグがあるのではないか。
もっと直感的に、ぐちゃぐちゃのまま、頭の中のものを出すくらいで丁度良いのではないか。つまり僕にとっての最速を突き詰めるには、まだ改善の余地がある。
では、何のツールを用いれば、それは達成されるのか。これは頭で考えても仕方がない。心当たりを片っ端から試さない限り、見つかりっこない。
ということで、その実験の一環として、日頃僕がよく居るところ近辺に、メモ帳とボールペンをセットで置くようにした。
具体的にはベッド、リビング、仕事デスクの上だ。そして何かが頭に浮かんだり、少しでも手が止まったりしたら、即座にそこへ書き出している。
そんな生活を、ざっくり1週間程度過ごしている。それを経て今思うことを、一旦ここで簡単にまとめておこう。
【凪】にもっていく。
一番恩恵として感じるのは、ネガティブ思考に振り回されるのが激減したことだ。これはあくまでとても主観的な話だが。
文章どころか単語とも呼びづらい何かを書き殴るだけで、作業を阻む「悩み」のフェーズがあっさりと終わることもしばしばだ。
時には、書こうとペンを握っただけで、何に悩んでいたか忘れることさえある始末だ。これはなかなかに不思議だし、拍子抜けする話ではないか。
ではなぜ、ただ書き出すだけでこんなに落ち着くのだろうか。この時点では、考え事は何も解決されていないのに、だ。
これを思った際にふと心に浮かんだのは、最近再読している【五輪書】の、水の巻の一節だ。
まだ深くは読んでいないが、その中では無駄な集中を意識して外し、対象の「全体を掴むこと」の大切さが説かれている。
モノを見るときも、焦点が合っているところに集中しきるのではなく、視界の端にあるものもきちんと意識する。
具体的には、眉間にしわを寄せて、眼球をひっこめるイメージを持ち、視界の端にも何かがあることをしっかりと意識することで、視野は勝手に広がりを取り戻す。
こんな風に、視野が狭まっているのを自覚したら意識的に広げ、心の囚われを察知したら、これも意識的に中立に戻していく。
そもそも頭の中にあるものは、自分でも理解しきれないほど未分化で曖昧で、かついい加減なものだ。だからまずはそこに形を与え、しっかりと観察できるようにする。
結果としてこれにより、僕の心は中立を取り戻しやすいのではないかと感じる。何かしらの対象への過度な集中を解除し、ぼんやりと全体を見渡す感じだ。
語弊があるかもしれないが、実は「ぼーっと」している状態こそ、心が中立に戻っている際のサインなのかもしれない。脱力状態の思考版が、何も考えない、ではないか。
こんな風に、心を最速で整えて、素早く凪の状態へそれを移行させる。僕にとってのその術は、文にせぬまま書き出すことが、そうらしい。
今のところ、ペンとメモ帳は僕にとっての最高のパートナーに等しい。まだしばらく、おんぶにだっこでお世話になろうと思う。
では今日はこの辺で。