精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記169】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログⅤ ~教科書的な理屈で脳を紐解く~

今、鬱っぽい。僕が鬱に突っ込む条件みたいなものはいくつか自覚しているのだが、その全てを凝縮したような時間が絶え間なく、この1週間は襲ってきている。

 

辛い報せは聞きたくない。毎日毎日、新しい出会いを求めやしない。ネットいじめは目に毒だ。その逆がすべてやってきた一週間、本当に疲れている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

こういうときに心をしっかり観察する材料や理由があることは本当にありがたい。洋書であればなおのこと、だ。言語が違う方が、要らぬ連想が湧いてきにくい。

 

トスカーを感じる今だからこそ学べることもあるだろう。それくらいの向き合い方で、いざ本をまた読み進めていく次第である。

 

 

3月11日(月) 僕とは何か。

 

脳は臓器というより、ネットワークの呼び名ではないか。この本を読みながら、つくづく思わされる。

 

脳を構成する細胞をひとつ取り出して「これは僕か」を問うと、それは違うという話になる。

 

ただ、脳全てを取り出してみても、「それは僕」とはどうにも言いづらい。しかし、思考している器官はやはり、脳だ。

 

僕は脳ではなく、脳が作り出した認識そのもの。ここまではなんとか思考が追い付くが、そこから先を考える知識がない。

 

それらはこの本を通じて、得ていければいいかなと感じている。

 

3月12日(火) 脳はいつでも僕を守ってくれていた。

 

脳の摩訶不思議な働きの説明は続く。よく考えたら脳は、呼吸という無意識のそれから、数学の問題を解くといった難題まで、思考とされるものは全て処理をする

 

と同時に指摘されて気が付いたが、情報としてインプットされるものはあまりにも膨大だが、そのアウトプットはよく考えれば最小限だ。

 

では、刺激の大半はどこにいってしまうのか。それは完全に霧散するものもあれば、潜在意識に経験値として残るものもある。

 

忘れなければ生きていて辛くなるだけだ。だが、必要なものは今も僕のどこかに仕舞われている。

 

脳は図書館だと誰が例えたのが初出なのだろうか。すごく上手いたとえだと思う。

 

3月13日(水) 沈黙しない臓器。

 

僕は高校の頃、一応生物を履修していた。だから今読んでいる話も、なんとなく覚えている部分がある。

 

僕の思考は煎じ詰めれば神経間の信号の行き来であり、それ以上でもそれ以下でもない。とても不思議な話だと思った。

 

今こうしている間も、僕の脳は働いている。主に不安を次々と僕の意識下に持ってくるのがその業務内容なのは、やや困りものだが……

 

とはいえ仕事をしてくれていること自体を無下にはできない。今こうしている間も、脳内では無数の信号が行き来していることに、時折思いを馳せてみようと決めた。

 

3月14日(木) 仕組みは分かった、だからなに?

 

メンタルの不調を遺伝子に求める研究は結構多い。僕も一時期それについてかなり調べて、自分に当てはまることの多さにガックリしたものだ。

 

だが今は思う。だからなんだ、とスヌーピーではないが、切られたカードで勝負するしかないのである。

 

もちろん、遺伝子というどうにもならない要素を調べることは悪いことではない。その癖を知ることは、制御や昇華には欠かせないプロセスだからだ。

 

だが、それが絶対とは思わないこと。メンタルは思った以上にデリケートだし、一言で表すことは不可能なのだから。そう思わされた。

 

3月15日(金) お前の頭の中はどうなってんだ?

死後に盗まれたアインシュタインの脳 その悲劇的な物語 - 日本経済新聞

 

明治の文豪の作品を読んでいると僕も思うのだが、「頭の中がどうなっているかわからない」という感想がある。

 

あまりにも緻密でありながら壮大で、どういう経験値や知識を詰め込んで編集すればその世界が構築できるのか、皆目見当もつかない。

 

そしてよく考えれば確かに不思議なのだが、僕らの頭蓋骨を抉じ開ければ、中に入っているものは皆大体同じ形状の臓器だ。

 

切られたカードは平等なのか、はたまた不平等なのか。よくわからない一例だと思わされる。

 

3月16日(土) 非効率的なリレーバトン。

 

脳内での情報のやり取りは、どういった場面を想像するとわかり易いのか。僕は勝手に、ニュートンのゆりかごのような場面を頭に浮かべていた。

 

だが実際は、さながらリレーバトンのように、神経から神経へそれが高速で伝わっていく感じらしい。なんて不確かな手渡し方なのだろう。

 

途中でバトンを落とすように、情報が曲解されたり、リアクションを間違えたりするのは、その仕組みが故なのだろうか。これは改善すべき余地ではないのか。

 

それとも進化の過程を経た「最適解」がこれなのだろうか。不確かであいまいでいい加減な部分こそが進化に必要なのだとしたら、なかなかに面白いモデルだ。

 

例えば、計算ミスをする方が、しない人より何かが秀でているのかもしれない。これ自体はなかなかに困りものだが、どうにか活用する術は探し続けたいと感じている。

 

3月17日(日) 感情の正体とは。

 

感情を作り出すのはホルモンというのなら、この2つはイコールで結んでも良いものなのだろうか。感情とはつまり、ホルモンなのだと。

 

脳内に分泌される化学的な何かが、僕らが日々感じるものや思い浮かべる思考の正体なのだろうか。

 

当たり前だが、そんなことは成り立たない。ホルモンはあくまできっかけだ。その刺激に対してどんな反応が出るかは、一人一人違う。

 

数学の公式と異なり、同じ刺激でも、結果出てくるものがまるで異なるのが脳科学の厄介で面白いところなのだという。

 

原理が解れば全て解る、ということにはならない好例だと、つくづく思わされる。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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