「仕事の速さ」について考えを深めて以来、自分にとって理想のアウトプットの方法を改めて見直し続けている。
何故かというと、僕にとっての最善の方法は、現在採っている方法とは異なるのでは、という手応えが強くなってきたからだ。
僕は仕事が遅いと言われるが、その原因が思考の癖のみならず、手段にもあるとなれば、ちょっと盲点なだけではなく、大きな伸びしろかもしれない。
今日はそんなことを考えながらあれこれ思い巡らせたことを、一旦頭からの棚卸しということで記事にまとめておく。
「文字を書くこと」は僕の最適解ではない説。
そもそも論、アウトプットという言葉は何を指しているのか。まずはここを整理したい。そう思って、ChatGPTに質問をしてみた。その答えは以下の通りだ。
「アウトプット」とは、主に情報やアイデアを外部に表現したり、具体的な成果物を生み出したりすることを指します。
アウトプットは、自分の考えや知識を他人と共有するための手段として使用されます。
これは、書かれた文章、発表されたプレゼンテーション、制作物、プログラムのコード、絵画など、さまざまな形態をとることがあります。
アウトプットは、自己表現や情報の共有だけでなく、自己成長や学習の一環としても重要な役割を果たします。
これを読むとすごくしっくり来た。僕はアウトプットとは、端的に言えば頭から出すこと、例えば問題を解くことがそうなのだと、ぼんやり考えていた。
だがもっと広く言えば、自分の考えや知識を他人に共有できる形にする作業や手段、そしてそれによって現出された物自体も、アウトプットと呼ぶようだ。
自分の頭の中にあるものを、他人が見れる、読める、聴ける状態にする。そう捉え直すと、改めて今すごく、強い腹落ち感を得られている。
だが、同時に違和感も抱く。僕はアウトプットというと「書く」ことを真っ先に連想するが、僕自身は何を隠そう、書くことが嫌いなのである。
正確に言うと、筆記用具を用いて、紙などの媒体に文や文章を書くことが、とても嫌いなのだ。だからノートはろくに取れないし、メモもすごく苦手である。
その理由を考えてみたのだが、勿論脳の特性もあるだろうけど、思考とアウトプットが追い付いていない感じが強い、というのに気付いた。
イメージは、タイピングに不慣れな人が、その練習の初期に強い苛立ちを覚えるあの感じだ。頭には文が浮かんでいるのに、指がそれに追い付かず、もやもやする。
僕が不慣れな文章を手書きしている間に、思考はどんどん先に行く。だからすごくもどかしい。知らない間に僕は、手書き自体をほぼ捨てるに至っている。
それなのに、アウトプットというと、なぜ僕は手書きが頭に浮かぶのだろうか。これは簡単で、学校教育を12年以上積んできたがゆえ、である。
学校では、黒板に書かれたこと、先生が話したことは、基本的にノートに控えておき、最終的にはテスト用紙に書き出すことが求められる。
それ以外の方法は教わらないし、その可能性に意識を向けることさえない。社会に出てあれこれ学ぶまで、学習方法自体に全く無頓着だったのは、確かな事実である。
ここでふと疑問に思うことがある。学校に入学し、そのやり方を強いられるまで、僕は何を使って頭の中のことを周りの大人に伝えていたのだろうか。
物心つく前の、【熟達論】で言うところの【遊】の段階の僕は、書き出すという【型】の前に何を無意識に選び取って活用していたのだろう。
そしてハッとしたのだが、子供の頃の僕は、とにかく絵を描くことが好きだった。絵を通じて、僕は頭の中に在ることを、周りに伝えようとしていた記憶が確かにある。
恥ずかしくて見返しては居ないのだが、子供の頃の僕が描いた絵は、結構な量が実家の押し入れに残っており、大きい収納ボックスがパツパツになるくらいである。
それくらいたくさんの物が生めているということは、僕にとっては図示こそが一番しっくりくるアウトプットなのではないか。改めて、そう納得しつつある。
そう考えると、繋がりに一つ気付く。実は未だに、落書きをする癖が直っていない。30歳を過ぎても相変わらず、僕の手帳は人に見せられないくらい混沌としているのだ。
例えば講演や会議などで、話が脱線してつまらなくなると、心に浮かぶよしなしごとを無意識に、抽象的な絵という形で描き起こしてしまうことがとても多い。
不思議なもので、そうしている間はすごく集中できるし、安らぎも得られる。頭の中に澱のようにたまっていく未分化の刺激がどんどん出ていくのは、とても気持ちがイイ。
以前別記事にしたのだが、僕にとって本当にしっくりくる手応えに従うと、メモは以下の通りになってしまう。
これが一番情報を保持できるから不思議なものだ。どういう思考の型を僕は使っているのだろうか。類似例をたまに探すが、そもそもこれを定義する言葉が見つからない。
と同時に、僕は単に「しっくりくる」とだけ感じていたが、これが最速のアウトプットの方法にもなっているのではないかと、そんな風に感じ始めている。
頭に入ってきた刺激を、文では無く単語・文節・イラストでとりあえず書き殴る。それらを矢印や不等号で繋ぎ、関係性を起こしておく。それらを後で統合する。
そうやって僕は、なんとか英検1級のリスニングもクリアした。頭の中で処理するより、なんらかの形を与えた方が、何倍も速く、そして楽に、処理が可能らしい。
僕は思考・思索が大好きだ。それが弱点だとも言われていた。その折り合いをつける方法が、もしかしたら見つかったかもしれない。
徹底的に図や記号、単語という形で頭から取り出していくこと。アウトプットの方法は一択ではなく、そして個人差も相当に大きい。なんと奥が深い話なんだろう!!
とりあえずこの仮説を検証するため、寝床、作業机等をはじめ、僕の生活圏内のあちこちに、メモとペンを置いておく、というのを試してみようと思う。
スマホのKeepメモに打ち込むだけでは不十分だった。僕は正直、文章で思考しないということなのかもしれない。脳みそが子供の時点で止まっていやしないだろうか・・。
少し不安に思う部分もまだあるが、それ以上に学びのヒントを得られたという手応えの方が大きい。そう思うので、今日はとりあえず満足することに決めた。
では、今日はこの辺で。