精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

衰退・破滅の兆候は驚くほど”自然な現象”である。

最近、【ビジョナリー・カンパニー3】を読んでいる。僕自身は今の校舎の運営状況が健全だとは全く考えておらず、むしろ歪みと改善余地だらけだと考えているからだ。

 

夢を語る前に、目の前の現実をもっと残酷なくらいに、悲観的すぎるくらいに観察した方が良いのではないか。ネガティブなメガネを得るため、手に取った次第である。

まだこれを読んでいる途中ではあるのだが、背中をヘンな汗が伝う感覚があるかの如く、身につまされる話が山盛りだ。それを自分や校舎に当てはめて、考える。

 

そして思ったこと。衰退・破滅の兆候は確かに存在するようだが、それは驚くほど”自然な現象”ゆえ、感知は極めて困難なのではないか。

 

今日は軽い読書感想文として、この話を書いてみる。

 

 

”あるある”の現象や施策。

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階 - kawaguti’s diary


企業はどう成長し、そしてどう凋落するか。それを視覚化したのが、↑の折れ線グラフだ。自分もどこかの段階にいるはずだと、それくらい悲観的に、僕は見ている。

 

誇張抜きに、僕は今、第4段階の入り口にいる気がしている。成功した記憶も拡大路線を採った記憶も無いが、いつの間にかここにいるような体感がある。

 

その理由は、一発逆転策をたまに夢見てしまうからだ。ギャンブルで倍率が高いところに人生を賭けるようなもので、傍目から見れば愚かな行為のはずなのに、だ。

 

そして同時に、リスクと問題の”否認”に思い当たるところもある。例えば校舎全体を通じて、特定の部署の集客が振るわない流れは、数年前から”気付いてはいた”。

 

だがそこは時流というか、ガラケースマホに駆逐されたような現象だとヘンに納得し、それはそれとして他の部分を見ていたように思う。今思えば危険な思考だ。

 

頂点と言える業績から下り始めると、人は焦燥する。だから劇薬に頼りたくなる。その劇薬は、その都度作用するにはするが、すぐにそれ以上の副作用が襲ってくる

 

気付けばもう取り返しのつかないところにまで落っこちている。となれば廃業、最悪倒産だ。僕は今、更に細かく見ていけば、どの段階に居るのだろうかと本当に怖い。

 

そして何より恐ろしいのが、こういった衰退に関する知識もないまま我流で立て直そうとすると、逆にこの流れを採用しがちだという人間の特性だと思う。

 

引き継いだ、とりあえず立て直しがいる、となればダイナミックな作戦が必要だ、壮大なビジョンをぶち上げて、皆俺についてこい!・・と、泥舟に先導する

 

これを知った僕が今やるべきことは、いわゆる堅実で規範に則った再建策を打ち出して、誰よりも愚直にそれを実行し、徹底させることだと、改めて気が引き締まった。

 

そして何より、”小さな成功”をたくさん設計して生み出すことで、再び組織に活気を与えていくことが必要ともあった。

 

何も一発逆転は要らないのだ。力は総計であればよくて、だからコツコツ、加え続ける必要があるのだ、と。

 

チームとして成果を生んでいるという感覚。皆の働きが活きているという感覚。僕はどうすればそれを生めるだろうか。中から外へ、再び活気を取り戻したい。

 

同じような指摘は、斎藤一人さんも著書で触れていた。「苦境に陥ると、人はお世話になった人を忘れて、外にアプローチをするけど、それは違うよな」という風に。

 

もっと校舎を綺麗にできないか?もっと今のお客さんにより良いサービスを提供できないか?という基盤を固めて初めて、再び復活の流れに乗るのだとすれば?

 

―正直、実はこの本を手に取ってから、勇気をもって開くまで、2週間くらいのタイムラグがあった。

 

良薬は口に苦し、自分にとって辛くも的確なことが書いてあると思うと、まずはそれを受け止める覚悟が必要だったためだ。

 

しかし今は、衰退・破滅に至るプロセスを知ったからこそ、それを避ければなんとかなるという、たまたまだが最悪マネジメントに成功した気がしている。

 

もちろん、今の僕を他の人が見ても、「あいつは変わった」なんて全く評さないだろう。行動が伴わない変化宣言など、ただの妄言だ。そこはきちんと意識したい。

 

読み切ったらもう1つ、きちんとした感想文を書こうと思う。では今日はこの辺で。

 

 

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