精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「心の目」の意味が少し腑に落ちた、かも。

有名な漫画からガチガチの武術の指南本まで、「心の目」という表現がよく出てくる。

 

「とにかく深く見ようね」といったすごく浅い意味で僕は納得していたのだが、最近その意味が少し更新された。

 

そのきっかけは、五輪書【水の巻】を読んだことにある。ここの「観見」という言葉がヒントになったのだ。

今日はだいぶ抽象的なテーマになるが、僕なりの「心の目」についての理解の現在地を、ざっくり言葉にしておこうと思う。

 

 

観ると見るの違いを整理する。

 

観る。見る。どちらも「みる」と読むのだが、別々の漢字がある以上、何か差異があってそうしたのだろう。

 

辞書などの媒体を参考にしながら色々調べたが、以下のような違いがある、とのことだった。

 

見る➡️目で見えるものを注視する、意識を向けること

観る➡️目に見えないものに意識を向けて、観察すること

 

乱暴な例を出すなら、「なんか機嫌が悪いな」という風に子供の表情や様子を読むときは、「見る」となる。

 

その後で、「家で何かあったのかな?」といった風に心中などの見えない部分を推察することが、「観る」ということではないかと捉えている。

 

さて。宮本武蔵はこれら「観見二つの目付」を、両方日頃から研ぎ澄ますべきだと説いている。もっぱら剣術のための指南だが、これは普遍的な心構えだと思う。

 

ただし、どちらかと言えば「観る」方に重きを置き、鍛えるべしとも書かれている。「近きものを遠くに・・」という意識の仕方が、その要諦だという。

 

これは、「観る」ことは意識せねばそもそも行われない行為であり、それゆえに経験値自体が「見る」に比べてはるかに不足しているからだと考えている。

 

僕らは目で見た情報だけでほぼ全てを判断する。言うことを聞かない子はすなわち、自分を挑発している、という風に。

 

心の目とは、眼球から得た情報をそのまま受けとることをせず、その背景、事情などまでを「観よ」という比喩表現ではないか。

 

短絡的に物事を考えない。目の前で起きていることを、意識の中で遠くに置いて、そこに隠れた論理や理由をしっかりと”観る”。

 

なるほど、日頃はこんなことを僕は意識しない。本能には組み込まれていない、後天的な思考なのだ。だから訓練が要る。どんどんまとまる。とても納得だ。

 

ところで武蔵は五輪書の中で、「偏り」を忌み嫌うようなことをしばしば書いている。逆に、中立や中庸という言葉の大事さが、何度も書かれているほどだ。

 

「観る」は確かに大事だが、これは全てを解決する魔法の手段ではないし、「見る」ことを否定するわけでもない

 

例えばカメラの画角において、単焦点カメラはダメで、広角こそイイという意見は、ただの独り善がりな持論なのに似ている。良し悪しではなく、ただ対義というだけだ。

 

観たら、見る。見たら、観る。これを繰り返し続ければ、偏りなく中立でいられる。反復横跳びでも、すぐに切り返せば中央にいる時間が伸びるのと同じだ。

 

そうすれば無駄な敵意を受信することもなく、無駄に感情を逆撫でされることもなく、無駄に疲弊することもない

 

武蔵は心が囚われない状況を戦闘の内外でどこまでも深く観察し、かつそれを言語化してみせた、卓抜した思想家なのではないかとも思えてくる。

 

では僕は、心の目で、生徒を、環境を、現状を、きちんと観られているのか。正直、「できてます!!」なんて傲慢なことは、永遠に言えないと思っている。

 

まだまだ僕はすぐに、「見る」ことに固執してしまう。現代的に言えば、「バイアス」というところだろう。

 

そしてここまで考えていくと、【観察力の鍛え方】で佐渡島氏が書いていたことと、深い繋がりがあることに気が付いた。

 

良い観察のためには、対象をあえて説明口調で描写し、他者のコメントを読み、データに当たることが大事だとある。

 

これらはいずれも、「観る」ことに当たるのではないか。目で見て終わりにせず、心の中で、更に深く、広く問いかける。

 

くっきりと把握するのではなく、あえて輪郭を曖昧にしていく。対象とその周り、対象とそれを支える何か、そこまで想像を巡らせて、観察する

 

「見る」ことは、「観る」の始まりなのだ。ただし、「観る」ことによって得た仮説を確認するためには、またしっかりと「見る」ことが必要となる。

 

400年くらい前の本ではあるのだが、そこに書かれていた学びのヒントは、とてつもなく深い。そして時を超越している。僕は一層、武蔵が好きになってきた。

 

懐かしいゲームである「ブレイブフェンサー武蔵伝」と「龍が如く 見参!」が僕のルーツなのだが、伝説や逸話だけでなく、思想の部分も、もっと学ぼうと思いなおせた。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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