【観察力の鍛え方】を読むと、僕らは絶対に認知バイアスからは逃げられないと書かれている。1年くらいぼんやり考えてきたが、どうやら本当にそうだと思えてきた。
それを意識的に切り替えて、良い観察を行うにはどうすればいいか。その術として紹介されていたのは、自分がバイアスに掛かっていることに気付くというものである。
例えば確証バイアスに掛かっていると察知したら、反対の可能性もしっかりとシミュレーションする、といった風に。
―そのためには、なるべく早く、そして意識的に、視点を【俯瞰的】に変える必要がある。
特に感情剥き出しな子どもたちと接していると、こちらも簡単に感化されるので、自衛というか、それに対する手段はマストではなかろうか。
ということで今日は、そのために開発したといったら大げさだが、僕が使っている手段を、手前味噌ながら紹介しておく次第である。
観察瞑想
ここ最近意識的に取り組んでいるのがコレ。簡単に言えば、瞑想するときの心の持ちようのまま、自分の感情や状況を観察するというものだ。
自分にとってしっくりくるメンタルモデルは、虫かごに入った生き物(≒自分の感情)を、外から好奇心を持って眺めるような感じ(≒メタ)である。
そんな風に、自己と感情を切り離し、距離を取って接する。まだうまく言葉に落とし込めていないが、この思考をうまく再現できると、心が穏やかになるのでオススメだ。
小説を読む
小説を読んだ後は、すごく不思議な感覚に包まれる。己の目で見ているはずの世界なのに、さながら活字を読んで頭に浮かべた想像上の世界のように見えるのだ。
僕という登場人物の一人称視点を通して、別の場所から世界を見ているような感覚。これを言葉にするのは容易ではないが、それくらい距離を感じるようになる。
ざっくり15分程度小説を読むと、こういう謎の客観視モードに僕は入ることができる。そのため、なんかメンタルが疲れたなと思った際は、最近は小説をよく手に取る。
ちなみに、こういう不思議な感覚を強く得られる本は、夏目漱石著の「門」「こころ」、村上春樹著の「風の歌を聴け」が僕の場合そうだった。
参考にされたし。
一点にだけ意識を向ける
言うのは簡単だが、実行するにはなかなかに集中力を要するのがこの考え方だ。自分を取り巻く刺激の内、たった一つにだけ集中するのが、これの要旨である。
例えば、今僕のいるオフィスの右方から、エアコンのゴウゴウという音がする。それにだけ意識を強く向けて、部屋の光や外の音は、意識的に無視する。
当然、手も止めて、目の動きも止めて、自分がどこに座っているといった現状も忘れる。ここまで没入できて初めて、一点への集中ができたと言っていい。
このモードに入るには結構時間を要するが、それでも2~3分程度である。早めにもっと習得したいなと思うスキルである。
終わりに。
俯瞰的という言葉は、イメージこそし易いが、それが果たして本来の意味合いとズレていないか不安になったので、今更意味を調べてみた。
俯瞰(ふかん)の意味は、「高いところから見下ろす」「物事の全体像を捉える」です。物理的な意味としても、比喩的な意味としても使われます。
―こう考えると、「意識的に距離を置く」というニュアンスが内包されていると見て、間違ってはなさそうだ。
だからこそ、どのようにしてそうするかがカギとなる。ちなみにそれは、スポーツ等のコンテストの舞台に身をさらしてきた人は、自然と開発される能力らしい。
これからもこの方法については意識を巡らせたいと改めて思った。
では今日はこの辺で。