今、左腕と左足のハムがプルプル震えている。小さい男の子のどこにこんな筋力があったのか、事が収束した今も、心のどこかで驚いている。
何があったのか。タイトル通りだが、低学年の男子が1人、塾に来るや否や暴れ始めた。トリガーはよくわからないが、虫の居所が悪かったのだと思う。
あーね。こういう風に爆発”したまま”来ることもあるのかよ。正常バイアスだろうが、僕は何故か物凄く冷静に、暴れ狂うその子と向き合った。
そして、手前味噌だが、それは概ね教科書通りに達成できたと考えている。もちろん新たな課題も見つかったが、これはこれで一つの貴重な経験値だ。
だから今日は、それがまだ新鮮なうちに、記事にして言語化しておく次第である。
まずやったのは「安全の確保」。
まずはその子が怪我をしたり、周囲に怪我をさせたり、モノを壊したりするのを防ぐため、そういったアイテムが少ない場所に、多少力づくで連れて行った。
手を離せばすぐにでも駆けていって、周囲の子や先生を蹴り飛ばしそうだったので、しばらくは力業もやむ無し。ひたすら抱えて、僕の腕の中で暴れるに任せた。
普段から筋トレをしていた恩恵か、腕とかをボカボカ殴られても、僕自身に大したダメージはない。そこは棚ボタだが、すごくラッキーだったと感じている。
芳賀セブン著の「死にたくなったら筋トレ」という本に、「生物として上位に立ったら心に余裕が生まれる」とあったが、こういうことかと少し合点がいった。
さて。その間も空いた手で背中をさすったり、「危ないから手を離せないんよー」と敢えて棒読みで伝えながら、暴れるその子を逃がさぬよう宥め続けた。
その間も野次馬として様子を見にくる他の子を教室に戻らせたり、先生たちに教室管理を任せるよう指示を出したりと結構忙しかったが、なんとか冷静に対応ができた。
そうやって安全を確保してからは、少し腰を据えた長期戦となる。これもまた今まで調べてきたことを反芻しながら、愚直に実行した次第である。
ひたすら調子を”ゆっくりにする”。
冷静に観察できた自分に驚いたが、暴れているその子はとても呼吸が浅く、息を切らせながら色んなものに八つ当たりしていた。
うっかり僕が締め過ぎたかと思ったが、最後の安定期でも息切れしていたので、良くも悪くもアドレナリン全開、戦闘モードに入っていたのだろうと思う。
「五輪書」にもたまたま似た話があるのだが、まずはその「呼吸が浅く早い」という状態から解除していくことが、対応として大事だとあったので、そうしてみた。
「はい、ゆっくり吸って―、で、吐いてー」という風に伝えながら、背中をさする。そして僕自身も、数息観を心掛けた呼吸を、大袈裟に実行しながら、声掛けを続けた。
そして暴れ始めてから大体10分弱で、その子の呼吸が少しずつ深くなり、僕の手を殴ったり強く押したりすることが無くなってきた。癇癪のピークは越えたらしい。
だが、このタイミングで指導を入れたら、また火に油を注ぐ結果になりかねない。完全に鎮火できるまでは油断できないのだ。
ということでさらにもう1つのフェーズが要る。これ自体は、知ってはいた。ただ、これが一番難しく、勉強と修行が必要だと、強く感じている部分でもある。
その振り返りを、続いては書いていく。
(完璧にはできず)質問を重ねて感情を言葉にさせてあげる。
余談だが、その子はとてつもなく無口であり、実は塾内で声を聞いたことが無いくらいである。全てのコミュニケーションを首の動きで完結させるタイプなのだ。
だから、なるべくゆっくりと問いかけつつ、感情を言葉にしてもらおうとしたが、そこは上手くできなかった。だが、全て無駄だったかと言われれば、それは少し違う。
例えば「頭痛がするとか?」と聞いたら、その子は首を少しだけ横に振った。これにより、体調不良が原因では”ない”という意思は得られたので、大きな収穫ではある。
とはいえ、感情を言葉にすることは、「できれば」というレベルの話らしい。時には、相手が何かしらのレスを返すまで、ひたすら待つというのが最適手なこともある。
ただ、要するに僕はまだ、その子にとって、嫌な胸の内、感情をさらけ出すに相応しい相手ではないのだ。ラポールがまだ足りない。それ以上でもそれ以下でもない。
そう受け止めて、あまり感情を上下させないことにする。
落ち着いた頃を見て、声掛け。
暴れるのを止めて、ゆっくりと呼吸をするようになり、こちらの質問次第では頷いたり、席についたりする。こうなるとやっと、少し声が掛けられるようになる。
では、何を伝えるべきなのか。今回は、嫌なことがあった際、周りのモノへの攻撃でその意思を表明するのは良くないことだ、というのを伝えたかった。
だから背中をさすりながら、まずは暴れてしまったことに、理解は示してあげた。「嫌なことがあったんやね」という風に。低く、それでいて優しい声を目指したつもりだ。
その上で、「でも今度は、もっと言葉で伝えるとか、他の方法を考えようね」といった感じのことを話した。その子は目を反らしていたが、耳はこちらを向いていたと思う。
ただやはり、僕とその子にはラポールが足りない。僕というより大人とそれを切り結びたいという欲をその子から感じないのだが、これもまた偏見だろう。
というわけで、課題は残るが、それ以上に収穫も多かった、ガチンコな勉強の場だったと感じる。そして面白いのが、もう1つ副産物を得られたことだ。
それは、「このレベルの事件が冷静に処理できたんだから、俺もよくやったよな」と自分を強く肯定できたのだ。ここまで自然に自分を褒められたのは何時ぶりだろうか。
成功体験は人を変えるという。僕はそれがよくわからなかった。だが今はよくわかる。そんな気がする。この成功体験は、一時的かもしれないが、僕を変えているからだ。
毎日こんなのを食らうのは勘弁願いたいが、メタル狩りではなく本当に強いモンスターを戦いまくって経験値を得るようなこともまた必須なんだと、そんなことを学んだ。
では今日はこの辺で。