自分で言うのもなんだが、ここ最近打ったライフハックが次々とハマって、僕という個人の生産性が凄く高まっている。
なにか大きなことを成し遂げたとかそういうわけではないが、日々の細分化されたタスクが未消化のまま終わることが無くなり、嫌いな電話への抵抗も、かなり減った。
この方法論について、別に科学的な根拠など無いし、あくまでも”僕に”ハマったというだけの話だ。だが、もしかしたら何かしらのヒントになるかもしれない。
ということで今日は、ここ最近自分にバッチリハマッたライフハックを、3つほど手前味噌だが紹介してみる記事である。
- 朝のだらだらを激減させた、死ぬほど単純なひと手間。
- 日々のタスク処理をゲーム的に処理できるようになった方法。
- クソ嫌いな電話の抵抗をかなり減らした前中後策。
- 終わりに:これからも僕は、自分を被験者としてイロイロやり続ける。
朝のだらだらを激減させた、死ぬほど単純なひと手間。
昔から朝起きるのが苦手だ。今も得意だなんて口が裂けても言えないのだが、当事者比では過去最高で、起きるのがラクに、そして早くなっている。
心掛けたことはただ一つ。身体を起こすこと。それだけだ。起きたらベッドの上で胡坐をかいた姿勢になり、カーテンを開ける。追加した行動はこれだけである。
たったそれだけなのに、朝の身支度に掛かる時間がとても圧縮されて、すごくゆとりをもった時間を過ごせている。ボトルネックを完全に排除できたのだとさえ感じる。
実際僕は、目が覚めたら簡単なパズルゲームをして目を覚まし、その後で10分間読書をするのがルーティンなのだが、そのままYouTube等へ流れてしまうのが課題だった。
気付けばそのままだらだらと1時間近く、さしてエキサイトするわけでもないショート動画をザッピングしてしまい、朝にゆとりが無くなって・・という悪循環だったのだ。
それまでは「寝床から出る」「目覚ましを遠ざける」「まずは水を飲む」といった施策をずっと試していたのだが、どれも続かなかった。
それだけに、ただ身体を起こせばいいという発見は、とてもいい意味で驚いた。一度起き上がってしまえば、二度寝したいという欲も割とすぐに霧散する。
ということで、起きてすぐに歯磨きをするとか、そういうことを試そうとしてそもそもの一歩目も出ない場合は、まずはベッドの上に座るというのも面白いかもしれない。
とりあえず僕は、その心構え1つで、朝がだいぶ充実してきたので、自分事としてはすごく気に入っている。
日々のタスク処理をゲーム的に処理できるようになった方法。
先の「ベッドでとりあえず起き上がる」ことと同等かそれ以上に効果が高かったのが、日々のタスクリストとの向き合い方をちょっと変えたことである。
乱数メーカーという、指定された条件で特定の数値を返してくれるサイトがあるのだが、これを活用することがミソである。
まずは、その日にするべき仕事を全て書き出す。そしてその後で、それぞれの頭に番号を振る。ある日のリストを紹介すると、こんな感じだ。
1花壇の水やり
2高校生向けプリント作成
3新規問い合わせ電話対応
4集団教室の掃除
5体験授業の用意
6〇〇くんにテスト結果を尋ねる
7・・・・
日によって前後するが、6,7個で止まる日もあれば、12,13個くらい連なることもある。もちろん増減もするのだが、ここからはある意味、反射でこなしていく。
僕はポモドーロ・テクニックと併用しているのだが、25分間ひたすら、乱数メーカーが返してくる数値に該当するタスクを処理していく。これだけだ。
そしてこれが、自分にとって凄く合っている。感情を排して取り組める手応えがあり、「出たからしゃーなし」ということで、電話も事務連絡も、さっさと行えるのだ。
ある意味双六を楽しんでいるも同じであり、このやり方を始めてからというもの、実はしなくてもよかった作業等を除けば、やり残しが生じることはなくなっている。
クソ嫌いな電話の抵抗をかなり減らした前中後策。
相変わらず電話が嫌いだが、以前より抵抗感はかなり和らいでいる。一度がっつり胸の内を言語化したのが効いたのかもしれないが、試したことは他に2つある。
まず1つは、電話をする前に、すごく雑にイメトレを入れるようにした。自分ですら判読できないくらいの糞みたいな字で、その電話の流れを書き出す感じだ。
それだけでも気持ちは楽になるのだが、掛けている最中の心構えも変えた。何を言うかというより、どう言うかに意識を強く向けるようにしたのだ。
ゆっくり、大きすぎず小さすぎない声で、半音上げて、喋る。気の利いた返しをすることより、自分の”声”に意識を全振りしたところ、何故か嫌悪・不安が凄く減ったのだ。
そして電話が終わった後は、自分が作成したメモを振り返り、シミュレーションがどこまで正確だったかを振り返る。そこまでやると、本当に気持ちが楽になる。
それは一体なぜなのか、論文や研究の有無を調べるつもりはないのだが、何か理に適った手段をたまたま引いたのかもしれない。
相変わらず嫌いではあるが、それに伴う嫌悪や不安はケアできるんだなと学べた、ある種の好機だとも感じている。
終わりに:これからも僕は、自分を被験者としてイロイロやり続ける。
僕は自由研究が好きだ。皆がめんどくさいという風に、すごくネガティブにそれを捉えるのが不思議で仕方ないくらい、課題発見とその確認が好きなのだ。
現状に満足したい気持ちもあるが、いつでもどこでも、「もっとラクに」「もっと上手に」「もっと楽しく」する方法はないかと考えてしまうのがクセづいている。
友達と遊ぶ際も、どこかYouTubeやテレビ番組の企画みたいな括りや縛りを持ち込んでしまう。そしてそういった集まりを企画するのは、大体が僕発信だ。
この思考がデフォルト設定になっていることは、つくづくラッキーだと思う。周りから子供っぽいと言われても、それは誉め言葉だと僕は受容する。
これからも自分を被験者として色々やり続けていく所存だ。また何か知見が溜まったら、こうして記事にして言語化していこうっと。
では今日はこの辺で。