精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ダニングクルーガー効果の建設的な使い方ガイド。

ここ最近、調べれば調べるほど、色んな意味で”面白い”と思っている語句がある。それは、「ダニングクルーガー効果」だ。

 

死ぬほど乱暴に言えば、正直浅い知識の人ほど、何故か自己評価が凄く高いよね、という傾向を指す言葉で、実はイグノーベル賞を受賞しているほどの研究である。

【知っておきたい】ダニングクルーガー効果とは? なぜ自分を過大評価してしまうのか | リカレント


詳しく調べるために元の論文を読もうとしてみたが、なんか有料のヤツしか見つからなかったので、曲解していないか少し不安は残るけど、今日はそれに関する記事である。

 

このダニングクルーガー効果を、自分や相手に対してのモノサシとして、きちんと機能させましょう。そんな提案を以下つらつらと書いていく。

 

 

ちゃんと下に見ていいコメントを選り分ける。

 

今はもう見れなくなったが、メンタリストDaigo氏の昔のブログに、ある面白い話が書かれていた。

 

はじめしゃちょーか誰かだったと記憶しているが、なんかの企画で筋トレを始めて、腹筋が割れてきた、みたいな報告の動画をアップしたそうだ。

 

すると、自称マッチョがわらわらと群がり、「そんなんじゃ甘い」とか、「俺のが割れてるよw」といった謎のマウント取りコメントが、結構書かれたのだという。

 

これについてのDaigo氏の解説が凄く的確だったので、雰囲気だけになるが、ちょっと紹介してみる。

 

確かにこの人たちは、はじめしゃちょーさんより筋肉について詳しいのかもしれません。自信があるのかもしれません。

 

しかし別に、はじめしゃちょーさん自体は、別に筋肉を鍛えることがコアじゃないわけです。

 

自分が得意とすることを、別にそこを得意としない人に当てて、自分の方が優れていると言いたいだけの残念な人たちです。生温かい目でスルーしましょう。

 

・・乱暴な例えになるが、数学で100点を取ったヤツに、「俺の方が国語の点が高いけんねw」と絡んでくるヤツと仕組みは同じということだ。

 

こういう絡みから学べることは、やっぱり無いと思える。それは先ほど紹介したグラフをみると、腹落ち感があるのではなかろうか。

 

言葉が強いが、「馬鹿の山」のてっぺんから飛んできたコメントをまともに受け止めると、むしろ自分の水準が下がる可能性の方が圧倒的に高いわけで。

 

仮にそれが成長に直接繋がるのだとしたら、そもそもアンチコメントなんて呼び方をしないはずだ。有難いアドバイスだと、皆評するはずである。

 

そうじゃないということは、そうじゃないのだろう。ただ自分のことをすごいと言ってほしい、すごいと思われたいという魂胆が見えるコメントは、スルーして良さそうだ。

 

「なるほど、これがダニングクルーガー効果の具体例か」くらいに割り切っておくのが、丁度いいんじゃないかと感じている。

 

自分の中で知識が弱いところを炙り出す。

 

とはいえ、自分がその効果に陥らないと思うのも大変危険だ。分野によっては、自分も気付かずにマウントを”取ってしまっている”ことがある

 

例えばこないだ、僕もゾッとした一幕がある。先日あるキャンプ番組を観ていたとき、ある芸人が魚釣りに挑むという場面があった。

 

キャスト、ポイントの選定、リールの巻き方、ヒットしたときの所作がなかなかにもどかしく、「こうしたらいいのに・・」と言いたくて仕方がない自分に気付いてしまった。

 

我に返った瞬間、血の気が引いた僕もまた、僕が冷ややかな目で見つめていた人たちの側に行ってしまっていた。知れた側なのだと思い上がり、恍惚としてしまっていた

 

自分を上に置いた独善的な思考が浮かんだことすら、猛烈に恥ずかしい。そう思ってその日は、それ以上番組が視聴できなくなってしまったくらいである。

 

だが冷静になって考えると、自分にダニングクルーガー効果が及んでいることがわかったときは、ある意味成長のチャンスなのではないか。

 

自分は所詮、馬鹿の山のてっぺんにいるに過ぎない。浅い知識を持っただけで「知れた側」に行けたのだと勘違いしている。そのことを、自分のメタに教えてやるのだ。

 

すなわち、馬鹿の山にいる自分を、絶望の谷に突き落とす自分が居る井戸の外へ無理矢理飛び出る。広い世界を知り、一度自分の鼻っ柱を叩き折るのだ

 

その具体的な行動として、釣りのプロの方(フィッシングアドバイザーとして著作やテレビ出演もある方)の連載記事を読んでみた。

memenet.co.jp

 

僕より遥かに深く広い知識量を持っているのに、押し付けがましい提案も主張も、一切なし。平易な言葉でとてもわかりやすく、かつ、楽しく釣りを語っている文体。

 

その懐の深さを知り、初心者にマウントを取りそうになった自分が恥ずかしくて仕方なくなった。なるほど、ちゃんと絶望の谷に落ちられたようだ。

 

―ただ同時に、僕は好奇心が強いタチだ。「じゃあ俺も、俺の好奇心のままに釣りの道を深めよう!」「あと、もっと雑誌なんかで勉強しよう!」という意欲が湧いてきた

 

何かを知っても、ベクトルが自分に向き、他者からの承認を欲しなくなったとき、わざわざ「俺の方が云々」と吹聴する必要性は皆無となる。

 

自分がダニングクルーガー効果に嵌っていると気付いた際は、一瞬恥じて、そこからその分野を謙虚に勉強し直してみよう。

 

自分の知識や経験の盲点を突き留めて、更に深い水準のそれらを得られるかもしれない。そしてそれは、その人の器をきっと大きくしてくれるものなのだろう。

 

ちなみに、ここで書いたことをイラストで視覚的に理解したい人は、以下のnoteにある漫画がとてもわかりやすいのでオススメしておく。

note.tsunodafumm.com

 

終わりに:プライドは、川底の石のように無くなっていくのかもしれない。

 

小物ほど人にものを教えたがる。そういう人たちの被害届をネットで見かける度、この仕事をしている自分はどう振る舞えば良いか、その都度自問自答してしまう。

 

だが今回、ダニングクルーガー効果を勉強してみて、多分自分は大丈夫だと確信することができた。何故か。別に僕は、生徒から承認してほしいとは思っていないからだ。

 

僕がする指導は、その子が欲する成果を手に入れるため、現状と理想のズレを客観的に把握し、足りないものを補っていくイメージで行っている。

 

「先生、本当に物知りですね!」と言われたくてやっているわけじゃない。仮にそんなヤツがもし校舎に居たら、僕は露骨に嫌悪してしまいそうな気がする。

 

僕は自分が得意とする単元については、啓蒙の坂か、継続の大地に至れているのではないかと、流石に信じたい。

 

「知れた側」なんてチンケなプライドは、知らない部分の巨大さを知り、もみくちゃにされるうちに、川底の石の如く削れていくものなのかもしれない。

 

そう思っておくと、僕にマウントを取ってくる人たちが今後いても、「頑張れよ」とだけ声掛けして、スッと視界から消せそうな気がしてきた。

 

ただし、「もうそこに僕は居ない」と、心の中でそっと毒づくくらいは許してほしい。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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