晩御飯を忘れた際は、買いに行く手間より我慢する方を選びます。ケトン体大量放出の中元です。
はい。最近、ちょっと面白い単発個別の申し込みがあった。それは、「勉強法がまるでわかっていないので、教えてあげてほしい」というリクエストである。
―この授業について、科目は理系だったのだが、一切躊躇なく僕が引き受けることに決めた。
理由は、断言するが、勉強法に最も詳しい人間は、社内で自分だと自負があるからだ。僕以上に勉強法を勉強し、日々実践している人を、組織内で僕は知らない。
もちろん表立っていうと、「なぜその教科担当の人に依頼しないのだ!舞い上がんな!」とやんわり言われるリスクがあるので、内々に受理した感じではあるけど。
ちなみにそれについても、ちょっと言いたいことがないわけではない。
「あんたができるからといって、その科目を習得するのに効果的な勉強方法、きちんと言語化できます?」
思うに、それが勿論できる人もいるだろうが、それは割とたまたまというか、これらの2つのスキルは似て非なる性質を持っていると僕は考えている。
・・・段々カオスになってきたので、ここからなるべく詳細に、言葉に落とし込んでいきたいと思います。
その技能ができることは、何を担保するのだろう。
勉強ができる人が陥りやすい、ある罠がある。それは、科学的には否定され気味な勉強法でも、自分は成果を出したのだから正しいと思い込む思考のクセだ。
最近実例として聞かなくなってきたが、例えば教科書をノートにまとめる勉強法とか、非現実的な量の単語を書きとるそれとかが該当する。
地頭が良い人は、ぶっちゃけ非効率的な学習法でも成果が出ちゃうのだ。だから、全体的に見たら何が正しくて何が違うのか、見えづらい。
遺伝子的に優れている人は、腕立て伏せだけしていても大胸筋が発達していくのと似ている。圧倒的大多数はそうじゃなくても、だ。
とはいえ、勉強法に関する知見が溜まり始めたのは、結構最近の話である。だからこそ、そういう話があることにすら疎くても、一概に苦言を呈することは難しい。
ただし、「その科目が得意なこと」と、「その科目の学習法に精通していること、成績を伸ばせること」は別物だと言っても、差し支えは無いだろう。
もしこれが完全にイコールなら、引退した物理学の教授とか、教師や講師として引く手あまたすぎて全身がばらばらになりそうなものだ。だが、現実はいかに。
そのことを考えても、この2つは明確に分けておいた方が安心だと思うのだが、どうだろう。
自分に合わずとも、血肉にしているか?
この辺りを補うにはどうすればいいのか?この項のタイトルにも書いたのだが、合う合わないを一旦棚に上げといて、自分で学習法を調べて試すしかないと思う。
実際僕も、生徒にオススメの学習法を伝える前に、いくつも「俺には合わないな」という優れた勉強法を捨てている。例えば英語のディクテーションもそうだ。
あるいは、自分が苦手とする科目に効く学習法を試すことももちろんある。ちなみに、それによって、数列をやや克服したのが大体去年の話だったりする。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
毎日自分を被験者にした自由研究を繰り返すような感じである。結果それによって、経験値だけじゃなく知識とかも頭に入るので、トクな趣味だと常々思う。
ちなみにその一環として、近く中学物理や化学・高校物理や化学の基礎を同時に進めてみようと考えている。興味はあった単元なので、ワクワクしているのが実際だ。
まあ結局は、ふんぞり返っている限りそこどまりという話である。いつまでも学習者でありたいものですな。
ってことで今日はこの辺で。