精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記177】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログⅫ ~不安を分解して観察する~

勉強をすることの利点の1つは、自分を説明する表現や観点を得られることにあると感じている。

 

僕はなぜ、他の人ができるこの反応ができないのか。思考ができないのか。そういった謎の一つ一つを言葉にするにおいて、先人の知恵や言葉、研究はとても役立つ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

そして今、偶然に別の心理学の本を頂いたことがきっかけで、メンタルについての興味が小爆発を起こしている。

 

僕はもっと体系的に、科学的な側面からも、心というのを理解したい。もちろん、仏教哲学も好きなので、それらを丁寧に検証しながら、頭に入れていきたい。

 

言語・分野も超越した知識を、僕は心の中に育めるだろうか。そんな壮大に見えてなんてことない読書感想ブログ、今週もつらつらと書いていこう。

 

 

5月6日(月) 適応という進化。

 

どんな技能や思考法だろうと、繰り返し続けることで、脳はそれに習熟・熟達するようになるという。具体的には、意識しなくても実行できるようになる感じだ。

 

逆に言えば、自分にとって好ましくないとされることでも、何らかの要因で繰り返し続ければ、脳がそれを無意識下に刷り込んでしまい、改善が困難になるともいえる。

 

実際、僕はよく突発的に不安な気持ちが湧いてくることがあるのだが、それはそういう思考を空き時間にするように、脳が学習した結果なのだという。

 

そして学習を深める、継続できるということは、何らかの報酬が、その思考をした際に与えられているがため、ということらしい。

 

なかなか酒を止めるのが難しいのは、飲酒をすることで快楽という報酬を得ているためだ。このあまりにも強い報酬は、上書きが可能なのだろうか。

 

神様が授けてくれた本能に抗う様な行為になるが、結果として僕を幸せにしているとはやや言い難いので、できるだけ落としどころを探り続けたいと思う。

 

5月7日(火) 不安なとき、人はとても忙しい。

 

不安が起きているとき、脳内神経はどうなっているか。実はさながら赤信号のない交差点のごとく、狂乱の有り様らしい。

 

緊張が高まれば、「逃走か闘争」という警戒モードに切り替わる。このときはある種、集中力が限界まで研ぎ澄まされているのに等しい。

 

フルスロットルで脳の機能を解放し、脅威に備える。そんな状況が続けば、心身がおかしくなるのも至極当然だ。

 

この警戒モードは僕も自覚のある感情だが、それを意識的に解除する方法はあるのか。本能が呼び覚ました警戒を解く方法など、存在するのだろうか。

 

実はその鍵を握るのが、慈悲と呼吸なのだという。他者は敵ではないと自分を納得させつつ、ゆっくりと呼吸を行う。

 

不思議なことに、確かに落ち着く自分を実感している。これはすごく大切なことに気付けたということなのかもしれない。

 

5月8日(水) 万物は流転する。それが自然の状態。

 

思考を含めた僕らのコンディションは、目まぐるしくスイッチングを繰り返す。

 

落ち着いたり興奮したり、逆に凍りつくように何も感じなくなったりする。そしてこのゆらぎは、実際とても自然なことだ。

 

いわゆる不安障害などは、不安に対して強く意識が向いた状態のまま固定されていることが、心身に悪影響を引き起こしているといえる。

 

だからといって、ずっとリラックスすることが理想なのではなく、都度手放して「揺らがせてあげること」が本来の神経の姿のようなのだ

 

手放すことの意味がまたひとつ、腹落ちした話だと思わされた。

 

5月9日(木) ドキッとする。これは興奮か鎮静か?

 

真新しいものや意表を突くものへのリアクションは、いつだって瞬発的に沸点に至る。

 

例えばお化け屋敷で驚かしを食らった際は、理性だ何だを超越した速度と熱力で、大抵は金切り声を上げるだろう。

 

だが希に、そういった対象に攻撃をするタイプもいる。逃走か闘争、その顕著な例ではないかと思う。

 

ただどちらにせよ、このときは交感神経が一瞬で活動的になっているということだ。解除のためには、まずは落ち着くことが肝心である。

 

真新しいものに触れると、ポジティブかネガティブかは抜きにして、交感神経が反応する。自己観察の観点として、これは面白いのではないかと感じている。

 

5月10日(金) 不安ではなく警戒という定義で理解し直す。


プルチックの感情の輪を見ていて気が付いたが、不安とは警戒と予期・関心の混合感情なのだという。つまり不安を覚えるとき、脳は意識を割いて何かを警戒しているのだ。

 

突如野生動物が襲い掛かってくるかもしれない。そういうことを予期しているとき、警戒が加わって不安に変化する。不安とは、ネガティブな集中なのだ。

 

となれば、不安モードを解除するために呼吸を緩めたり、強張った胸郭を広げたりして、身体を落ち着けにかかるのは、ものすごく理に適っていると言える。

 

「不安よ、鎮まれ!」といくら念じても無駄で、まずは警戒モードを解除するために、自分が漠然と恐れていることから注意を反らすことが要なのだ。

 

不安を分解して考えると、その見え方が様変わりした。新たな学びは、こういうところからも得られるから、本当に面白いと感じる。

 

5月11日(土) 不安と憂鬱の違いとは?

 

不安と憂鬱は似たような感情だと思っていたが、実は一点、大きな違いがあると知った。

 

不安とは、漠然とした未来への恐れであり、警戒も伴って、脳は大量の可能性をシミュレートしようとして疲弊していくものである。

 

一方憂鬱とは、過ぎ去った記憶やトラウマなどが起点となり、それだけをくよくよ悩む感じにとても近い。

 

将棋で言うなら、次の1手の候補を考えている際は不安を覚えて、ミスした1手の記憶には憂鬱を覚える感じだといえる。

 

今の自分に立ち込めるモヤモヤの時間軸は過去か、未来か。この観点を問うのは、とても面白いかもしれない。

 

5月12日(日) ゆるす。

 

不安や緊張、憂鬱に対処するには、「ゆらぎ」がすごく大切な要素になる。

 

いわゆる向精神薬が目指すのは、警戒モード、あるいは闘争モードに入っている状態を揺さぶり、その緊張を解くことだ。

 

別のモードに強制的に入れ直すというより、しがみついている手を解して放させるような、そんなイメージなのだ。

 

僕は辛いときこそ笑うとか、楽しいときこそ気を引き締めろとか、そう言う教えをちゃんと守ってこようとしてきた。

 

だが最近は、辛いときや楽しいときは、自分がそうあると分かっていればそれで十分かと、シンプルに考えようと誓っている。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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