精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

長い会議がやっぱり嫌いなので、その理由を考察し、より良い『授業』に応用したい。

今日は会議の日だったが、本当に苦痛であった。なぜかというと、何人もの社員が雁首を揃えて集まり、2時間近く使いながらも、ほぼ話し合いが進まなかったからだ。

 

言い換えれば、2時間×社員数の労力を注ぎながらも、そのリターンがあまりにも少ないと思ってしまったのだ。

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 正直僕は集中力が無いため、人の話を聞くのが苦手であり、白状すれば結構な発言をスルーしてしまった。(その割に、議事録を見れば十分理解できる程度の量という)

 

ぶっちゃけ、『この時間であの仕事してぇなぁ・・』というやるせなさが強く、『時間を無駄にしてる』という感覚は拭いきれなかった

 

―そして、この会議を終えた今、ふと思った。『この感覚を生徒に抱かせたら終わりだな』、と。

 

時間を割き、一堂に会し、同じテーマについて聴講する。時には各々が課題に向き合ったり、話し合ったり。

 

大雑把に言えば、会議と授業は同類であり、良い・悪いの基準も多分同じである。

 

 ということで、ここで僕が抱いた不満は、その原因をしっかりと考察し、自分の授業から取り除けば、しっかりと活かすことができそうだ。

 

今日はそんなお話。

 

 

『目的』の見えない時間は苦痛。

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まず僕がもやもやしたのは、『会議の目的』がよくわからなかったという点だ。つまり、最終的にどこを目指し、どんな意見が必要なのかという『指標』がわからない

 

正直、『○月○日にこんなことをしようと思うのですが、どうですか?』と言われても、『お好きに。』というのが本音である。

 

―しかし、これが自分目線になると、意識が及ばないことが多いから厄介だ。

 

忙しいと、『今日はどこの単元を教えよう?』とだけ考えて、『どこまでの深さにするか』『どんな問題を解けるようにしたいか』という段階にまで意識が及ばない。

 

結果、教科書に書いてあることを自分の言葉で読んだだけ、という新たな知識も工夫もない授業になり、生徒からすれば利益の少ない時間になるリスクがあるワケで。

 

したがって、毎度毎度使いまわしでも構わないので、何かしらの『狙い』は設定するようにしたい。

 

『終わり』が見えない時間も苦痛。

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僕が大嫌いな会議の共通点を振り返ると、『一体どれくらいの時間で終わるのか』という目安がわからないというのにまず気付く。

 

やはり 意識したいのは、パーキンソンの法則と呼ばれる、いわば仕事における『あるある』の現象だ。

仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する

 

乱暴に言えば、会議は時間が許す限りどこまでも膨張するという意味で、僕が時間制限を設けない話し合いが大嫌いな理由はここにある。

 

そしてこれは生徒も絶対に同じだ。やはり、どこまで頑張れば良いのかという目安は、その都度要る。ゴールが無いマラソンが辛いのと同じだ。

 

だから僕は、授業開始時や合間合間に、『説明は15分で終わらせる!』みたいに宣言し、その尺に合わせることを死守する。(ただしライブは難しく、成功率は8割超・・)

 

また、演習中はタイマーを使い、時間を意識させるようにもしている。そうする方が、集中力が結局高まるという実感がある。

 

この項目の対策は簡単にして効果抜群なので、もし意識として抜けていたなら、急ぎ授業に盛り込もう。

 

『まとめ』が無いと尻切れトンボ。

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偉そうなことを言うと、僕は『不毛な時間』が大嫌いであり、どういう時にそれを感じるかというと、『結局何が決まったんだ?』等のまとめがない場合である。

 

しかし、これを僕が毎授業生徒に伝えられていたかと言われれば微妙であり、今後は強く意識してそれを確認できるような声掛けが必要だと感じている。

 

そのためには、その授業で説明する単元の『見出し』が必要であり、その『見出し』の中身にあったテーマを選定し、短いフレーズにまとめる作業が求められる。

 

例えば『不定詞』と『動名詞』の使い分けなら、それぞれのみを目的語に取る代表的な動詞(finishやwantなど)を、最後に当てて確認するなどだ。

 

となれば、付け焼刃であれこれ対応できる次元を超えてしまうので、多少の時間を確保しての予習をせねばならないだろう。

 

とはいっても一度作りこめば何年もベースとして使いまわせるので、ここは腰を据えて取り組みたいところである。

 

終わりに。:会議はどこまで必要か?

 

最後に、ぶっちゃけ授業と関係ない愚痴をば。

 

結局、会議がどこまで必要かというのを考えると、こればかりは一度、『今まで会議で決めていたことを全てメールやLINEでやろうとする』作業が要るだろう。

 

頭の中で考えるのも限界がある。その中でも、例えばアイデアの根詰め等のリアルタイムなやり取りが求められるもののみ、会議の議題に絞れば良いと感じるワケで。

 

極論、テンプレな集団授業も、集中が欠けたり寝てたりする聴講者をライブで管理できる別のシステムがあるのなら、オンラインで済ませればいいと思っている。

 

全部がネット上で完結することの賛否はあるだろうが、僕自身はそうすることで教育の機会が良くも悪くも均等化することから、はっきりと賛成派である。

 

―会議一つで妄想レベルに話が膨らんだが、これを機に皆様のもろもろを考えてみれば面白いのではと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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