先日実家に帰ったとき、小~中学生の頃の自分が写った写真を、何枚も発見した。すると自然に、あの日々のことを思い出す気分になる。
野外活動、修学旅行、当時飼っていたハムスター、垢ぬけない学ラン姿。多少色は褪せていたが、かつての楽しかったメモリーが去来する。
―色んな思い出は数あれど、こういう仕事をしているからか、上記のほっこりしたそれに加えて、過去の自分にある疑念?を抱いてしまう。
「多分僕は、『多動性』を持っていたな~」
というものだ。(ここにもちょこちょこ書いたけれど)
今日はその前提に立脚し、あの頃の行動を分析する。
落ち着きが全くなかった子ども。
まずとにかく覚えているのは、『もう少し頑張りましょう』という事実上の最低評価の多さだ。
昔っからとにかく人の話を聞くのが苦手で、自分が『つまらねー』と思ったら、すぐに空想の世界や落書き、あるいは夢の中にフェードアウトしてしまうのだ。
結果、指示は聞いてないし、忘れ物はするし、テストの点も当然悪いしで、良い評価を貰う要素が何一つない。
また、自分が気になったところは他の人が何と言おうと、直したり納得したりしない限り気になったものだ。
例えば、家庭科のミシンの授業をする際、教室の棚の扉が歪んでいるのが気になり、それを直すのに10分作業を無視したほどだ。
その学期の関心・意欲・態度は、もれなく『C』を頂戴した記憶がある。
―何というか、当時の僕の行動規範は、『したくないことはしたくない』という理念が全てであった。
しかし、学校や社会というめんどくさい場所は、それを許してはくれない。だから、つまらない対象のスルーという行動に出てしまうのだ。
悪気は実のところ、全くない。困らせてやろうという意図など無いのだ。というより、そんな努力を傾けるほどの興味は無いので当然である。
そんな僕は、少しだけやってきた反抗期も相まって、中学時代に猛烈な困難とハンデを経験することになるのであった。
『意味あるんすか?』って言っちゃった。
音楽の授業が嫌いだった。音楽そのものにではなく、カリキュラムとして学ばされることすべてが全く興味が無く、時間の無駄だと考えていたからだ。
センスも興味もない対象を学ぶ時間はただの苦行だ。それが小爆発を起こし、僕はついに先生に言ってしまった。
『音楽のこんな理論とか習って、将来何になるんですか?』
―はっきり記憶しているが、大人を小ばかにするために言ったのではない。純粋な疑問だ。その時のレスポンスは忘れたが・・・。
成績には綺麗に『2』と『C』が並んでいた。当然ではあるが、以来音楽の勉強に、一切の資本を投資した記憶はない。
―そう、僕が本当に苦労したのは、興味の有無でモチベーションが激しく上下する特性から、内申点がどうしても低くなるということだ。
実はこれも先生に言ったことがあるのだが、『3年間良い子でい続けるのとか無理っす』とは、僕は言い得て妙だと考えている。
おかげさまで特に高校受験は、内申点がカスという猛烈なハンデを背負って戦う羽目になってしまった。まぁ、それも一興ではあるけど・・。
ちなみに、この辺の話は以下の記事にまとめたので、よろしければどうぞー。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
では、良かったことは何なんだぜ?
―という話で終えると、『つまりハンデを背負って生まれただけじゃねーか』という主張に聞こえてしまう。
実をいうと、それが評価されにくい義務教育という段階を終えた今、僕はこの性格が入っていることを感謝しているくらいである。
まず何より、あらゆることにすぐ疑問を抱くのだ。他の人からすればどうでもいいことや常識とされることが、ふと猛烈に気になる。
だから調べる。そして知る。ロジックがちゃんとしたものもあれば、クソみたいな理屈しかついていないものもたーくさんある。
おかげさまで、知識のネットワークはだいぶ浅く広くなった。尚、これは普段英文を読む際や、雑談のネタなど、幅広く活用させていただいている。
―次に、僕は基本どれだけハマろうと、飽きるときは一瞬だ。例えば4年くらいどっぷりハマったモンスターハンターというゲーム、もう6年くらい触ってない。
これが何を意味するかというと、あらゆる手段や興味の対象について、執着が無いということだ。昔の日本だったら論外な話だが、今の時代においてはプラスである。
僕は今の仕事を一生続けるのは空想だと考えており、必ずどこかでキャリアを変えたり、あるいは別の仕事を並行したりする必要があると考えている。
その際、如何に見切りをつけて、新しく必要なスキルを得にかかるか?実はこれについて考えるのも実践するのも、僕は執着が無いので得意である。
飽き性はその性格故、一つのことを長く続けるのが苦手。その代わり、たくさんの手段を次々試すのが得意。この辺は同じことを別の観点で見ただけだ。
そんなワケで僕は、やっぱり『多動性』があったかもという自分のカードに、ある種満足しているところはある。
終わりに。
白状すれば、自分の時間を無駄にしているという感覚を抱いたもの全てがいまだに嫌いで、露骨に態度に出ることもある。
そのボーダーは人に言わせれば驚くほど低いのだとか。
例えば、長い会議は当然として、電話や携帯電話の機種変更の説明が超嫌いである。
また、頼んでもいないお節介も嫌いだ。そして、それを完了するのに僕の協力が必要ならもう最悪だ。
例えば、部屋の掃除をしといたけど、どのプリントを捨てていいかわからないから仕分けしといて、とか。それで親とケンカしたことさえある。
―時には偏屈とか頑固とか容赦なく言われることもあるが、それはもう慣れっこだ。『だから何?』である。
『落ち着きが無い』あの人・あの子に少し戸惑っている方に、ヒントとなっていれば嬉しい。
では今日はこの辺で。