『レバレッジ』というFX等の取引で使う言葉がある。
簡単に言えば、担保にしているお金以上に、巨額の取引を行うこと。例えば、10万の元手なのに、100万円分の株を持っている設定でやりとりする感じだ。
成功すれば利益がむっちゃデカくなるが、しくじると冗談抜きで首を括る人も出るほどのハイリスク・ハイリターンな戦略であり、僕は絶対にしたくない。
―ここまで極端じゃないにせよ、対人関係において、『他者をレバレッジしている』ような働き方・動き方をしている人が、どうやらたまにいるらしい。
例を挙げれば、自分は動かず、指示や命令を使って他の人を動かし、それによって一人では出せないくらいの成果を挙げるという具合。幕藩体制にもちょっと似ている。
・・・ここだけ切り出せばリーダーのあるべき姿という感じがするが、実はこの体制、一歩間違えば『全てを失う』リスクも内包しているのだ。
今日はそんなお話である。
動かざること山のごとし。
僕が言うのもなんだが、『使われる側』は、『この行動によって生まれた時間や成果』で、『使う側』が何をしているかにものすごく敏感だ。
最悪なケースは、『他者の行動が生んだ時間で思いっきりサボっている場合』である。
これは、『上司は管理が仕事なのだ!!』という信念を曲解した人が抱いていることが多い。
―表立ってこれに異を唱える人はそこまで多くないだろうが、不満の一切を抱かない人は、多分もっと少ない。
自分が出した指令・命令で人を動かしながら、それによって生まれた余力を浪費しているとき、自分の信頼・信用は恐ろしい勢いで減っている。
そしてこれは、何もビジネスに限ったことではない。対生徒とのやり取りでも、似たような現象は起きている。
例えば、『いいからやれ』という一言だけでは、大抵の生徒は宿題をしなくなってきている印象である。やるからには、そこに意義や効果、理由が無いと動かない。
或いは、こちら側(つまり出す側)にある程度の工夫がみられるか否か、である。何も考えずにポーンと投げても、受け取ってくれる生徒はいない。
だから僕は、『平安時代について黒板使って授業するとしたら、何を書きながら説明するかを書き起こしてきて』といった変化球を良く投げる。
単にページを伝えるより、反応は良いと感じている。
はい。
話が少しそれたが、少ない労力で人を動かしラクするのは、今まで以上に無理ゲーになってきているのを、強く認識した方が良いタイミングだと言えそうである。
動かない人の背中なんか、ダレも追いかけないってことかもね。
そんな裸の王様になるのは怖いので、人望がある人や、僕からみて『スゲェ』と思う人を、頭に浮かべながら軽く分析してみた。
するとまずすぐに気付いたのだが、彼ら彼女らは、自分も積極的に行動しているのだ。
例えば、誰かに事務作業を依頼したら、その裏でその人にしかできないタスクを猛烈に行うという感じ。絶対に、浮いた時間をサボることに使うことは無い。
それは先生でも同じである。生徒にルールを課したら、自分も厳守する。生徒からの約束は、時間が掛かろうが絶対に果たす。
『当たり前』とされることを、部下と上司、生徒と先生の関係性を飛び越えて、フラットに実践し、猛烈に働くことが、やはり要なのだと言うことだろうな。
そしてこれまた当然なのだが、『感謝・ねぎらいの言葉や態度』も絶対に欠かさない。
やって当然という態度の人は、やっぱり裏でただ嫌われる。依頼しておいて不満しか言わないとなれば、もう救いようがなく最悪である。
なんというか、いつの時代も、『傲慢になったら終わり』ってことなんだろうな。先人の知恵、侮れないぜ。
終わりに。
一人で行ける世界はたかが知れていると、突き抜けちゃった人はほぼ漏れなく言う。だが、突き抜ける前からそれを言うと、勘違いが生まれるんだろうなっつって。
僕は元から超絶ネガティブであり、褒められると具合が悪くなるくらい自分を低く置いている。
すると不思議なことに、絶対に上からお願いできないし、言った以上は守らないといけないしと、自分に対して強迫観念を常々抱けてしまうのだ。
この状態って、さっき書いた理想的なスタンスそのものだよねと開き直っているため、僕はこれからもネガティブで元気に生きていこうと思う。
ってことで今日も、宿題をどう出せばやってくれるか、工夫を考えようかなと思う。
では今日はこの辺で。