結構前に、こんな記事を書いた。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
この時は色々と確信が持てないまま手探りで書いた記事だったのだが、今はそこからもう少しだけ知見を得られたところだ。
そして強く感じるのだが、多少『がさつ』な勉強方法にシフトしなければ、特に高校に入ってからの勉強は爆死する。
今日はそれについて書いてみましょ。
特に高校に入ってから顕著なのが、必修単元の膨大さだ。
国数英理社はそれぞれ複数の科目に分かれ、授業もテストも別となっていく。こんな状態で、『完璧』を求めることは正直不毛としか思えない。
―とはいえ、例えば受験情報誌等を見ると、『丁寧な学習を心掛けましょう』というエリートからのアドバイスが載っていることから、ジレンマを抱える生徒も多い。
ってことでハッキリと言い切りましょう。
秀才が言う『丁寧な学習』は、何も学習全体の話ではないのだ。
どういうことだろうか?
僕が思うに、『学習に丁寧さ』が必要なのは、2パターンしかない。初めて触れたときと、難問に登場したときである。
例えば楽器の演奏を覚えるのと、このプロセスは似ている。まずは弾き方とか音階とか、そもそも楽譜の読み方とかを丁寧に覚えなければ、何も始まらない。
そうしてある程度丁寧に覚えたら、次はそれをゴリゴリに使ってみるプロセスに入る。そしてここに丁寧さは不要だ。
『次は人差し指であまり強くない力で叩こう・・・』なんてことをずっと思いながら曲は弾けないのと同じだ。ここで必要なのは、夥しい反復練習である。
で、ある程度技能が習得出来たら、例えば演奏会での演奏など、普段と環境が違うだとか、求められるテクニックが似て非なるものになるとか、そういう差異は出てくる。
今度はそれを検証・反省することになるが、ここをケロッと流したら成長は無い。だから丁寧さはここでも求められるという話なのだ。
大抵の秀才も、演習中は丁寧さより量を心掛けている。それは時折様子を見れば、非常によくわかる。
全部丁寧にしなければならないなんていう謎の洗脳はさっさと打ち捨てねば、成長は絶対に無い。
―このことは、実例もあって、身に染みて感じるところである。
『がさつ』に勉強させたら10点アップした生徒の話。
こないだとある生徒から個別授業の申し込みがあった。科目は高校英語。聞けば、高校になって勉強してもしても点が取れなくなったのだという。
―話を色々聞いて確信したのだが、この生徒は『練習』の段階がずっぽりと抜けている。丁寧が祟って、時間が足りていないのだ。
イメージとしては、楽譜は完璧に読めて、どの鍵盤がどの音を出すかもわかっているが、曲が弾けていない段階である。
だからこの授業では、ひたすらに演習を特化させることに決めた。具体的には、テキストを用い、答えをとにかく音読させた。
何とか試験範囲の全問題は2周くらいできたのだが・・・。
結果、前回のテストと比べて点数が10点伸びたのだ。学年全体の平均点は下がっているのに、だ。
光が見えた気がした。『丁寧にやってるのに伸びない』のではなく、『丁寧にやってるから伸びない』ケースも存在するのだ。
これは大事な目線と知見である。もっと積極的にシェアしようっと。
【おまけ】高校で詰む生徒のコワイ特徴とは?
そしてこの『丁寧絶対教』の予兆は、実は中学生の間に気付くことが可能っちゃ可能である。
そう、それこそ『定期テストで点が取れるのに、実力テストで爆死するタイプ』である。
体感だが、定期テストの得点率と、実力テストのそれが2~3割くらいズレていたらほぼダウト。(逆は問題ない)
そういう生徒には、何十回も『ちょっとくらいがさつにやれ』と言わないと、高校で詰む未来が見える。
参考にされたし。
ってことで今日はこの辺で。