精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

『わかる授業』一辺倒の講師に未来はない。そう思っちゃう昨今。

少し思い出話を語ってみる。

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入社して1年目は、とにかく『売り物として恥をかかない授業』を意識して、先輩のコピーとその忠実な再現に意識を全て向けていた。

 

入社して2年目は、『自分がしたい授業』と『コピー』の落としどころを探る一年であった。前者の難しさと、後者の楽さが身に染みてわかった記憶がある。

 

入社して3年目は、『自分らしさ』の発掘に全振りした年である。他の人のコピーは、授業そのものがマンネリ化した際のスパイス程度にしか使っていない。

 

入社して4~5年目は、『もっと自分の理想の授業』がしたいと思い、色んなことを調べては試し、しくじれば消し、という作業を繰り返している。

 

―特にこの数年の話なのだが、『わかる授業』"しか"しない状態では、講師として終わるなぁと、強く危機感を抱いている

 

『学力』を伸ばすためには、『わかるばっかり』ではダメだからだ。そして往々に、ガチで点を伸ばしにかかるとき、授業は面白くなくなる。生徒の評判が落ちるのだ。

 

だがそれをスルーして、感情論抜きでやることができて、初めて点数向上に繋がると僕は考えている。

 

今日はそんな持論をつらつらと。

 

 

『わかる』だけで点が伸びるとか、すげぇ楽な話です。

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生徒がわかってくれた時のリアクションは本当に心地が良い。お笑い芸人が狙って笑いを取ったときの感覚と近いのではないだろうか。

 

説明に頭を使い、自分なりに工夫をして、それが生徒にハマったときの幸福度は病みつきになるほど高い。その日のビールがマジで美味くなる。まず、これは否定しない。

 

そもそも『わかる感覚が1ミリもない授業』は、ボランティアなら好きにしてくれという感じだが、月謝を頂いている以上あってはならない時間である。

 

だから『わかる感覚』は満足度を高めるため、勉強の一歩を踏み出させるためにはマストだし、講師を名乗るなら絶対に狙いに行かねばならないファクターだ。

 

・・・問題は、そればかり狙いに行っているときである。その理由については、僕がウダウダ書いた記事があるので、そちらを参照頂きたし。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

てことで今回は、もうちっと別の目線で書いてみるのじゃ。

 

『わかる』授業に全振りする心理的カニズムとは?

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これは僕自身も一時期ジレンマを感じていたので、ぶっちゃけよくわかる。『楽しいから』だ。

 

『わかる授業』を提供しているとき、こちらは非常に心地よいし、生徒もわかるから嬉しい。つまり、一見ウィン・ウィンの時間になっているのだ。

 

しかしこれは、厳しい言い方をすると、生徒はほぼトクをしていないことにご注意いただきたし。

 

僕らが説明をしているとき、一番賢くなっているのは実は僕らだ。『説明』とは、アクティブラーニングの最たるものだからである。

 

一方生徒は、説明を『聞く』という定着度5%の時間をたくさん過ごすことになる。これは非常にアンバランスだ。

 

だから、わかり易い説明が楽しいのはわかるが、なるべくそれを削り、『演習』を行う時間は絶対に必要だ。

 

もちろん聞いてすぐわかるヤツなど少数派なので、問題にぶち当たれば『わからん』の声が飛び交うことになる。僕も最初、それで自分の評価が下がるのではと怖かった。

 

―しかし、これも慣れだ。そういう『教わったのにわからんマウント』は、次第に全く怖くなくなり、今や『だろうね』と感情ゼロで返せるようになっている。

 

やはり得点アップは、『わかりやすい説明×演習時間』がその基本原理と考えておいた方がいい。演習がゼロなら、得点の伸びもゼロである。

 

わかり易い授業ができるようになってきたのなら、次を見据えてそれを『削る』のを、ちょっとずつベテランの域になってきちゃった僕から提案しておくことにする。

 

『わかりやすい授業』に全振りしてもいい唯一の例外。

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―ただしこれには、レアケースだが『わかりやすい授業』に全振りしてもいい例外ケースが存在する

 

それは、非常に勉強が苦手な生徒だけを相手にしているときだ。ちなみに僕は、そういう生徒を2~3名担当している。

 

悲しいかな、先週教えたことが翌週ゼロになって戻ってくるケースはたまにある。中には、3分前に教えたことが全く理解できないケースもあるほどだ。

 

こういう生徒の満足度を高めようと思ったら、全力でピエロになるべし。教えた瞬間でも良いからわかってもらう。そこがスタートだ。

 

ビジネスの話で割り切れば、私塾も個人も、『ファン』を作らねばこれからは絶対に繁盛できない。

 

その方法は、成績を上げるという実利的なモノももちろんだが、教わればわかるという精神的充足も多分含む。実際、後者のケースで数年通っていただいている生徒もいる。

 

こういう場合であれば、説明に全振りしても良いと思う。覚えておいて損はない・・かなぁ。

 

終わりに。

 

ということで乱暴にまとめれば、『わからせるというのは確かに心地よいが、それだけでは成績が伸びない』という話だ。

 

だからこそ、そこに全振りするのは頂けない。そういうことを書いたつもりである。

 

では今日はこの辺で。

 

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