精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

一番講師の『理解度』がモノを言う科目は『社会』説。

持論だが、その人自身が抜きんでた能力を持つことと、指導が上手であることは、大体テストの点で言えば7割くらいまでしか比例してこないと考えている。

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例えば英検4級の人間と英検準2級の人間がいたとして、後者の方が良い授業をするのは間違いないと思って差し支えない。

 

しかし、英検準1級の人間より1級の人間の方が良い授業ができるかどうかは、あまり関係ないと感じている。

 

同様に、センター試験6割の人間と8割の人間がいれば、対象にもよるが後者の方がまず間違いなくいい授業をしてくれる。

 

しかし8割の人間と9割5分の人間を比較したとき、後者の方が絶対良い授業をするかどうかはわからない

 

100人以上の講師を見てきたが、大体こんな傾向があるような気がしている。

 

・・・だがある科目だけ、ぶっちゃけ例外な気がしてならない。それは『社会』だ。(『理科』も同類だが、今回は割愛)

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社会はマジで、指導に講師自身の得点力の差が出る。逆に言えば、勉強すればするほど独自性が出て、差別化に繋がるということだ。

 

今日はそんなお話。

 

 

 

『社会』は上手い下手がシビアに丸わかりである。

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色々な授業研修を受けてきたが、社会の研修はマジで何度もこき下ろされた。他の科目は予習をすればその分クオリティが上がり、褒められたことも多いが・・。

 

社会の授業は例え予習をしていても、情報に不足があったり、説明の背景を間違えていたり、一つの流れで出てくる語句を言い間違えたりすれば、それでアウトなのだ。

 

つまり、上手い下手がシビアに丸わかりということである。知識が頭にあることに加え、それをきちんと伝える力まで問われるからだ。

 

―このことは社会の授業を聞く側になって考えてもわかる。例えば教科書の太字を具体例もなく音読するような授業を『わかりやすい』と評することは無いはずだ。

 

しかし教える側に立つと、結構こんなことをやっちゃう人は多い。『てにをは』を変えて教科書を読むだけ。予習を履き違えると、大体こうなる。(実体験です)

 

社会の予習がしんどい理由は昔記事にしたので割愛するが、単に『得意!好き!』ってだけで社会をナメてかかるとマジで死ぬ。そこは念押ししたい。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

実際僕が見てきた中で一番中学社会が面白かった講師は、センター日本史で9割を超えるような逸材であった。

 

能力値はオーバーキルが前提、しかもすればするほどクオリティが上がる・・・。何というか、奥が深い科目である。

 

必要最低限という難しさ。

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とはいえ、脳内の知識を全部吐き出せばそれで生徒は満足するかというと、断言するがむしろ逆。嫌われる

 

例えば中3に国会期成同盟とかのくだりを説明するときに、開拓使官有物払い下げ事件とか黒田清隆とか明治十四年の政変とかを全部語る必要はない。消化不良になる。

 

もちろん語句のつながりが見えない分野を補足するとか、意外な時代背景があってこの事件が起きたとか、そういうのを伝えるためにレベルが高い知識を使うのは良い。

 

しかし不必要な場面でそういうのを振りかざしても、やはり煙たがられて終わりだろう。逆に成績は下がっていくのが目に見える。

 

とはいえ削り過ぎてもそれは教科書の音読に同じなため、非常に押引きが難しい。料理の味付けのような繊細さが要求される。

 

僕自身も『どこからが教え過ぎで、どこまでが最低ラインなのか?』というのは折に触れて考えているが、全く言語化できていない。終わらない宿題だぜ。

 

ただ、流石に5年以上もやっていると、『必ず外してはいけないポイント』に近づいている気はしている。そっちなら、何とか言葉に出来そうだ。

 

ってことで次は、それについてつらつらと論じてみる。

 

『社会』の授業準備のコツ。(※ただし私塾編ね)

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繰り返すが、僕自身もまだ試行錯誤の連続であり、体系だった板書の作り方は持っていない。それでも、心掛けると、ある程度の質は担保されるポイントはある。

 

それは以下の通り。

 

定期テストや過去問で出題があるもの

 

②生徒から質問されたことがあるもの

 

③例え話

 

④語句そのものの説明

 

⑤図の使用

 

よくわからないので、順に解説する。

 

①については、『こういうのが問われる』という見本市であるため、そこさえ押さえておけば"的中"という実績が狙えるという小技である。

 

またその研究を深めていくと、どうしてこの問題が頻出なのか?という理由も見えてきて面白いこともある。まぁ、僕もまだ言語化できてませんけど。

 

②も同様に、生徒が普通どこで躓くかというのを知っておけば、そこを回避するような教え方を工夫できるからに他ならない。

 

意外でも何でもないが、例えば扇状地と三角州の違い、保元の乱平治の乱の時系列、日露戦争前の外交などの質問はやはり多い

 

この辺の授業をすると、いつも身が引き締まる思いがする。

 

 ③はわかり切ったことなので割愛。これが無ければただの教科書の音読だ。

 

④はよくわからないと思うが、実は意外なまでに、『漢字から意味を推測する』ってことを生徒はしない。

 

例えばよくもわからず”征夷大将軍”を丸暗記するのと、『蝦伐するために派遣される部隊の将軍という意味も添えられるのとでは、色々と変わってくる。

 

他にも、僕らはナチュラルに意味が取れるけど、生徒はそうもいかない語句は多い。関税、院政建武の新政享保の改革六波羅探題

 

そこに敏感になれるかどうかも力量と評価を分ける気がしてならない。

 

で、最後。⑤について。ADHD系の勉強をしているとよくこれにぶち当たるのだが、具体的なイメージが無ければそもそも想定ができないって生徒は多いらしい。

 

程度の差はもちろんあるし、例えば僕も、立体を頭の中でぐるぐる回すことができないってのもある。

 

それを取り除き、理解のし易さを助けるという意味で、図は積極的に描いたり貼ったりするのをオススメする。

 

許されるならいっそ、パワポで板書を作って黒板に投影とかしたいけど、ハードルは色々と高く多い。

 

この5点をきっちり守った授業で、ド滑りしたことはとりあえず今のところ一度もない。(ただ、まだ上手くやれるよなという疑念も残っている)

 

終わりに。

 

僕自身は頭に知識をプールすることと、それを自分なりに解釈して吐き出すことがどっちも好きなので、この仕事、もとい社会の授業もしているというのがある。

 

ただ、少し怖い予兆も感じるんすよね。来年、僕は英語のみの講師になるかもしれない。これはちょっと危惧しているところ。

 

まぁ比較優位論じゃないけど、その人の一番得意なことに特化させたいという思惑は理解できる。

 

しかし、今の僕は複数科目を指導してるからこそ、シナジーが生まれているともいえるわけで。

 

国語の自立語を指導した後に社会の授業をしていると、自分でも見えていなかった語句の別の意味が分かった経験も、一度や二度ではない。

 

また、国語の説明文で登場した意味の違いがしっくりこない2つの言葉(想像と創造)も、英語を使うと氷解した何てケースはザラなくらいだ。

 

専門化することで僕は僕が退化するのではという危惧がある。退化した講師を待っているのは、管理側に回り、いつの間にか講師として死んでいる未来だ。

 

迷うところだが、来年すぐ僕は終わるとかではないので、前向きに考えるとしようかな。

 

では今日はこの辺で。

 

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