精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

講師に一番向いている性格は、優しいとかじゃなくて【サイコパス】説。

皆さんが思う理想の先生とはどんな方だろうか。

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例えば、不必要に怒らないとか、親身に指導してくれるとか、そういう手厚く優しいケアを提供できる方ではなかろうか。

 

それを承知で言うが、得てしてそういう先生は小数派だ。圧倒的に数が少ないからこそ、みんながそういう先生を熱望して止まないとも考えられる。

 

しかし、曲がりなりにも5年近く講師をしてきて思うのだが・・・。

 

ぶっちゃけ『優しい』とか、『人の気持ちに強くシンクロできる"だけ"』の人は、早晩講師として終了するとしか思えない。

 

むしろ、ある種の『サイコパス』的な気質を持った人こそ、現代(特に日本)では、絶対に講師に向いているとさえ考えている。

 

今日はその切り口から、色んな闇とか私見とかを書き殴ってみる。

 

 

優しく人の気持ちがわかり過ぎる講師の末路。

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かなりダークな見方をすれば、教育の現場には他者のストレスが蔓延している。

 

受験。クラス運営。子育て。家庭の事情。成績。今でいえば、コロナウィルス。

 

本当にめんどくさいと僕は思ってしまうのだが、なぜかそういった種々雑多の問題は、【教育者】に帰責されることが多い。

 

「お前の指導がマズいからだろう!謝罪!」「あなたの管理が甘いからでしょう!謝罪!」

 

―もちろんこういったモンスターが多数派ではないが、時たま面倒な人はいて、概してそちらにばかり目が向いてしまうのもまた事実である。

 

また、ネガティブな情報は、ポジティブな情報の4倍強く、人の記憶に残るという話を聞いたことがある。

 

しかも、他人のネガティブは伝染するのだという。これは『受動ストレス』といって、結構深刻な問題とされる。

tokusengai.com

 

さて、ここで話を繋げてみよう。

 

教育の現場にはネガティブが蔓延しており、それは人から人へ伝染する。しかも、その強さはポジティブなワードや出来事の4倍である。

 

―こんな状況下で、他人の気持ちがよくわかる、優しい先生”だけ”の先生は、果たして生き残れるだろうか?僕はそうとは思わない。

 

いずれ染み込んでくるストレスに心を壊されて終わるだろう。自衛の手段が無ければ、心は結構簡単に崩れ、下手すれば二度と戻らない。

 

優しい先生は理想の教育者像として、主に『教育の受け手』から唱えられるものである。

 

だが皮肉なことに、そういった先生は『教育の受け手』からのダメージで、ドロップアウトしていくことが多い。

 

例えば教員の鬱病体験談を読むと、本当に人の気持ちがわかり過ぎる、自分の責任だと強く信じる、真面目な人が多いとよくわかる。辛い話である。

kokoro.mhlw.go.jp

 

―となれば、一体どういう『気質』の講師は生き残れるのかという話になる。僕はそれこそ、サイコパスだと考えている。

 

ここからは、それについてまとめてみよう。

 

サイコパス】が講師に向いている理由とは。

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 『サイコパス』とだけ聞くと、何やらヤバい殺人鬼とかそういう人間が持つキャラと言うイメージだと思う。ただ実際は、

 

他者の感情にも自分の感情にも鈍感

 

というのが『サイコパス』的性格の正しい意味合いで、それがヤバい行動に振れるか良い行動に振れるかなのだという。

 

つまり、受動ストレスに無茶苦茶強い性格だと言える。それに強いからこそ、教育的に必要だが感情が邪魔して取れない行動も、いくらでも取れる

 

また、かなりドライな性格であるため、論理的に考えてイミフと思ったら、それを頭から簡単に締め出すこともできるらしい。

 

意味不明なクレームは意識して無視できるし、生徒が多少傷ついても、教育上必要ならどんな指導も取れる。そして、受動ストレスは徹底スルー。

 

これこそ最強の講師の条件な気がしてならない。したがって、健やかに講師業を続けたいのなら、何かしらのサイコパス性は身に付けた方が良さげである。

 

ということで最後に、このサイコパス性】を身に着けられそうなトレーニンを紹介して終わりとする。

 

サイコパス】の考え方を手に入れる術。

 

①瞑想

daigoblog.jp

 

感情を切り離して合理的思考ができるという意味では、仏教僧とサイコパスは、脳の機能レベルで似ているのだという。

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となれば、鍛え方も存在するという話だ。それこそが『瞑想』である。

yuchrszk.blogspot.com

 

一時期10分程度のそれを2週間くらいやってみたが、確かに頭がぼーっとする感覚を覚えたし、悩みを他人事に見るということも、何となくわかるようになった

 

やり方は簡単で、床に↓のポーズで座り、

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呼吸にだけ意識を向ける感じ、である。時間は最初だと5分程度で十分だと思う。

 

とりあえず最近僕も受動ストレスに弱くなってる気がするので、再び日課として取り入れてみようと思う。

 

②日記をつける。

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要は『出来事を他人事として見つめる感覚』を身に付ければいいので、そういう意味だと日記もオススメだと思う。

 

何よりその日に起きた出来事を文字にするのは、頭もクリアになるし、文章力も鍛えられるしで、結構メリットが多い

 

コツは、なるべく一人称を使わないことだと思う。自分の身に起きた体験を材料に、他者を主人公とした短編小説を書く感じである。

 

別にゴツい日記帳は要らない。ExcelでもWordでもバッチリなので、気軽に就寝前の習慣として始めてみてはどうだろうか。

 

 ③曝露トレーニン

daigoblog.jp

 

 簡単に言えば、

 

『一度ワザと猛烈に恥をかいて、それでも意外となんとかなるじゃねーかという経験を積むトレーニング』

 

である。つまり、『恥ずかしい』と思うラインを大幅に飛び越えて、自分の中の閾値を高めるということだ。

 

 僕も大昔、不可抗力でヒラヒラのスカートで某アイドルのダンスを人前で踊ったことがある。思い出すと死にたくなるが、とりあえず僕は生きている

 

そして、その経験を引き合いに出すことで、大抵のことは怖くなくなった。これは事実である。

 

例えば指導の中で取り入れるのなら、

 

・授業の中でダジャレを10個言う

 

・クロちゃんの真似を全力でやる

 

・満面の笑みで『やっほー!』と挨拶する

 

・ヘンなネクタイで仕事する(怒られない範囲で)

 

等がオススメかなと。意外と、自分にとっては大恥でも、他者は忘れているものだ。だがこれも、経験しないと分からないこと。

 

「これをやったら帰りに良い寿司を食べに行く!!」みたいな自分へのご褒美を用意したうえで、是非ともやってみてほしい。

 

終わりに。

 

ということで、優しいだけでも、人の気持ちがわかるだけでも、ハッキリ言うが講師には向いていないという話だった。

 

言い方は悪いが、『他人事は他人事』という目線を意図的に発動できるタイプでなければ、生徒や保護者のネガティブを全て吸収し、心が壊れる

 

そしてそのトレーニング法は一応存在する。講師という仕事を長く続けたいのなら、やはり身に着けておくべきだと感じる。

 

以前、日本は『教師のメンタルケア』に関心が弱すぎじゃね?という趣旨の記事を書いた。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

この辺の価値観は、やはり急激なブレイクスルーは期待できない。少なくとも数年は、自分で自分の身を守らねばならなさそうだ。

 

講師が心を病む色んな話を聞くたびに、僕自身もやはり辛い。そういった人が一人でも減り、最終的には0になることを願ってやまない。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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