皆さんが思う理想の先生とはどんな方だろうか。
例えば、不必要に怒らないとか、親身に指導してくれるとか、そういう手厚く優しいケアを提供できる方ではなかろうか。
それを承知で言うが、得てしてそういう先生は小数派だ。圧倒的に数が少ないからこそ、みんながそういう先生を熱望して止まないとも考えられる。
しかし、曲がりなりにも5年近く講師をしてきて思うのだが・・・。
ぶっちゃけ『優しい』とか、『人の気持ちに強くシンクロできる"だけ"』の人は、早晩講師として終了するとしか思えない。
むしろ、ある種の『サイコパス』的な気質を持った人こそ、現代(特に日本)では、絶対に講師に向いているとさえ考えている。
今日はその切り口から、色んな闇とか私見とかを書き殴ってみる。
優しく人の気持ちがわかり過ぎる講師の末路。
かなりダークな見方をすれば、教育の現場には他者のストレスが蔓延している。
受験。クラス運営。子育て。家庭の事情。成績。今でいえば、コロナウィルス。
本当にめんどくさいと僕は思ってしまうのだが、なぜかそういった種々雑多の問題は、【教育者】に帰責されることが多い。
「お前の指導がマズいからだろう!謝罪!」「あなたの管理が甘いからでしょう!謝罪!」
―もちろんこういったモンスターが多数派ではないが、時たま面倒な人はいて、概してそちらにばかり目が向いてしまうのもまた事実である。
また、ネガティブな情報は、ポジティブな情報の4倍強く、人の記憶に残るという話を聞いたことがある。
しかも、他人のネガティブは伝染するのだという。これは『受動ストレス』といって、結構深刻な問題とされる。
さて、ここで話を繋げてみよう。
教育の現場にはネガティブが蔓延しており、それは人から人へ伝染する。しかも、その強さはポジティブなワードや出来事の4倍である。
―こんな状況下で、他人の気持ちがよくわかる、優しい先生”だけ”の先生は、果たして生き残れるだろうか?僕はそうとは思わない。
いずれ染み込んでくるストレスに心を壊されて終わるだろう。自衛の手段が無ければ、心は結構簡単に崩れ、下手すれば二度と戻らない。
優しい先生は理想の教育者像として、主に『教育の受け手』から唱えられるものである。
だが皮肉なことに、そういった先生は『教育の受け手』からのダメージで、ドロップアウトしていくことが多い。
例えば教員の鬱病体験談を読むと、本当に人の気持ちがわかり過ぎる、自分の責任だと強く信じる、真面目な人が多いとよくわかる。辛い話である。
―となれば、一体どういう『気質』の講師は生き残れるのかという話になる。僕はそれこそ、【サイコパス】だと考えている。
ここからは、それについてまとめてみよう。
【サイコパス】が講師に向いている理由とは。
『サイコパス』とだけ聞くと、何やらヤバい殺人鬼とかそういう人間が持つキャラと言うイメージだと思う。ただ実際は、
他者の感情にも自分の感情にも鈍感
というのが『サイコパス』的性格の正しい意味合いで、それがヤバい行動に振れるか良い行動に振れるかなのだという。
つまり、受動ストレスに無茶苦茶強い性格だと言える。それに強いからこそ、教育的に必要だが感情が邪魔して取れない行動も、いくらでも取れる。
また、かなりドライな性格であるため、論理的に考えてイミフと思ったら、それを頭から簡単に締め出すこともできるらしい。
意味不明なクレームは意識して無視できるし、生徒が多少傷ついても、教育上必要ならどんな指導も取れる。そして、受動ストレスは徹底スルー。
―これこそ最強の講師の条件な気がしてならない。したがって、健やかに講師業を続けたいのなら、何かしらのサイコパス性は身に付けた方が良さげである。
ということで最後に、この【サイコパス性】を身に着けられそうなトレーニングを紹介して終わりとする。
【サイコパス】の考え方を手に入れる術。
①瞑想
感情を切り離して合理的思考ができるという意味では、仏教僧とサイコパスは、脳の機能レベルで似ているのだという。
となれば、鍛え方も存在するという話だ。それこそが『瞑想』である。
一時期10分程度のそれを2週間くらいやってみたが、確かに頭がぼーっとする感覚を覚えたし、悩みを他人事に見るということも、何となくわかるようになった。
やり方は簡単で、床に↓のポーズで座り、
呼吸にだけ意識を向ける感じ、である。時間は最初だと5分程度で十分だと思う。
とりあえず最近僕も受動ストレスに弱くなってる気がするので、再び日課として取り入れてみようと思う。
②日記をつける。
要は『出来事を他人事として見つめる感覚』を身に付ければいいので、そういう意味だと日記もオススメだと思う。
何よりその日に起きた出来事を文字にするのは、頭もクリアになるし、文章力も鍛えられるしで、結構メリットが多い。
コツは、なるべく一人称を使わないことだと思う。自分の身に起きた体験を材料に、他者を主人公とした短編小説を書く感じである。
別にゴツい日記帳は要らない。ExcelでもWordでもバッチリなので、気軽に就寝前の習慣として始めてみてはどうだろうか。
③曝露トレーニング
簡単に言えば、
『一度ワザと猛烈に恥をかいて、それでも意外となんとかなるじゃねーかという経験を積むトレーニング』
である。つまり、『恥ずかしい』と思うラインを大幅に飛び越えて、自分の中の閾値を高めるということだ。
僕も大昔、不可抗力でヒラヒラのスカートで某アイドルのダンスを人前で踊ったことがある。思い出すと死にたくなるが、とりあえず僕は生きている。
そして、その経験を引き合いに出すことで、大抵のことは怖くなくなった。これは事実である。
例えば指導の中で取り入れるのなら、
・授業の中でダジャレを10個言う
・クロちゃんの真似を全力でやる
・満面の笑みで『やっほー!』と挨拶する
・ヘンなネクタイで仕事する(怒られない範囲で)
等がオススメかなと。意外と、自分にとっては大恥でも、他者は忘れているものだ。だがこれも、経験しないと分からないこと。
「これをやったら帰りに良い寿司を食べに行く!!」みたいな自分へのご褒美を用意したうえで、是非ともやってみてほしい。
終わりに。
ということで、優しいだけでも、人の気持ちがわかるだけでも、ハッキリ言うが講師には向いていないという話だった。
言い方は悪いが、『他人事は他人事』という目線を意図的に発動できるタイプでなければ、生徒や保護者のネガティブを全て吸収し、心が壊れる。
そしてそのトレーニング法は一応存在する。講師という仕事を長く続けたいのなら、やはり身に着けておくべきだと感じる。
以前、日本は『教師のメンタルケア』に関心が弱すぎじゃね?という趣旨の記事を書いた。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
この辺の価値観は、やはり急激なブレイクスルーは期待できない。少なくとも数年は、自分で自分の身を守らねばならなさそうだ。
講師が心を病む色んな話を聞くたびに、僕自身もやはり辛い。そういった人が一人でも減り、最終的には0になることを願ってやまない。
それでは今日はこの辺で。