ついに6時間弱の睡眠なのに、Fitbitで「いいね」的な評価を貰えるレベルにまでたどり着いた中元です。
はい。今日はとあるブログ記事をベースに、話を書いてみようと思う。なかなかにパンチの効いたタイトルだが、以下の2つのブログを読んで、僕は衝撃を受けた。
これについては、間違っても「フェミニスト!」とか「女尊男卑!」なんて解像度の低すぎる感想を抱いたわけではない。(そんなことで記事なんか書かない)
2度も3度も読んで、咀嚼し、そして感じ取ったことを、一言でいう。
「あー、その通りだなぁ・・・」
である。そしてさらに読み進めていく内に、僕はワクワクした。肩の力も抜けた。なんかこう、霧が晴れて、道が見えたときのような安心感さえ抱いている。
一体何がどうしてそうなったのか。ここからなるべく、言葉を尽くして説明したいと思う。
- 女性講師がいなかった時代の校舎は、振り返れば割と暗黒時代だったという。
- 女性が働いてくれない校舎や上司は、場所や人としてそっぽを向かれている説。
- ”愛されるアホ”になれる才能を、手前味噌だが僕は持っている。
- 終わりに:それを具体的な目標に落とし込むとどうなるか?
女性講師がいなかった時代の校舎は、振り返れば割と暗黒時代だったという。
まずそもそも、【優秀】の定義が難しいので、なるべく色々な例を挙げて僕の考えを説明しようと思う。
僕自身は、大学の成績のつけ方のように、女性の8割は狙って【優か秀】を取れるという意味なのではと、さっきの言葉を理解している。(男性は逆)
つまり、そもそもの社会が求めるものを察する力と、それを完遂する力が、男を含めた全体の水準より上なのだ。(ちなみに結構頑強な研究データもある↓)
そう思うと、自分事としても、友人の例を考えても、逆に納得する。実際僕の大学の成績は、綺麗に優と秀は2割程度だったからだ。(ほとんどは可と良!)
ちょっと確証バイアスに捻じ曲げられてしまうのだが、振り返ってみれば、確かに女子のほとんどは”優秀”であった。僕の同期も、生徒も含めて、だ。
その辺のアホな僕みたいな男子よりよっぽど精神年齢が高くて、働き者で、色んな習い事に精通していて、器がとんでもなく大きくて。
このことも、言われるまでなかなか無知なのが恥ずかしい。優秀なのがほぼデフォルトだからこそ、日頃はそのことに気付けないのかなと、そんなことをふと思った。
優秀な男が際立って目立つのも、そもそも母数が少ないからだと考えれば、逆の納得も得られてしまう。ちょっと凹むけど、思い出も現実も、それを補強するなぁ・・。
―このことを裏付ける、ちょっと我ながら黒歴史なエピソードがある。
後述するが、僕は女性の扱いはおろか、接することからかなり苦手であり、気が付けば男性講師ばっかりで講師陣を固めた時期がある。
そんなとき、マジで思ったものだ。「むさくるしいな・・」「華やかさがないな・・」「てか、授業の盛り上がりがあれだな・・」という風に。
ここで本気で危機感を抱き、新規問い合わせを口実に即刻女性講師にアタックし、授業を持ってもらい、比率を一気に1:1くらいにまで引き上げた。
結果、生徒満足度は全体的に底上がりしたし、和気藹々とした空気感も生まれたしで、色々質が上がったのを感じている。
もちろん、男ならそれだけで悪というほど簡単で愚かな話ではない。バランスの問題だ。僕がそれを崩していたから、オカしくなっていたというそれだけである。
僕は別にサンジとか冴羽獠のような女好きではないし、中国の大富豪みたく囲まれたいという願望も無い。
無いのだが、意識して彼女らに活躍してもらわないとマズいと感じているし、それができない場合は、もう完全に色々崩壊しかけているという危機感もそこに覚える。
続いては、そんなお話に移りませう。
女性が働いてくれない校舎や上司は、場所や人としてそっぽを向かれている説。
僕は中学の頃、野球部だった。当然女子部員はいない。弱小チームなので、マネージャーもいない。するとどうなるか。部室がびっくりするほど汚くなる。
それだけではない。汚いという環境に順応してしまうのだ。そこにゴミが落ちている、机にホコリが溜まっている、だから何?という風に。
ついでに身だしなみも、仰天するほど適当になる。周り皆ダサいんだから、別にいいじゃん、という風に。思い出したくもない黒歴史だ。
すると例えば、教室掃除も適当になる。「ちょっと男子!」「なんだよ女子!」という手垢だらけの問答が、そこかしこで発生することになるだろう。
こんな風に、早ければ小学校高学年で、男女で掃除の仕上がりに求める水準が違ってくるのは、段々と活動する場所の清潔度に差が出るからだと、僕は感じている。
男子は汚い場所で、女子は綺麗な場所で。もちろん部活や家族構成等によって、双方に例外は発生するのだが、大数で考えると、そうなのではなかろうか。
―そして、だ。この価値観、考え方を矯正する機会に恵まれない男子がそのまま大人になると、非常にキケンだ。特にリーダーがこれを直せていないと、悲劇が待っている。
理由は簡単で、同じような汚さとダサさを、なんとも思わないヤツしかチームに集まってこない、しかも定着しないという状況が待っているからだ。
職場がゴミだらけ、テキストは煩雑に投げられている、ついでに皆身だしなみが不潔・・。目も当てられない。マジで、目も当てられない。
実際、僕自身、「あの校舎はちょっと汚すぎる・・」「〇〇さんはちょっと不潔に思っちゃいます・・」という愚痴を、ぽろっと女性講師から聞かされたことがある。
恐ろしいのは、僕は一瞬「そうかな?」と思ってしまったことだ。刹那、自分もまだまだ染まっていることに気付かされた。血の気が、大袈裟でもなく、引いた。
僕はモテるファッションにはつゆほども興味が無いのだが、嫌われない程度の清潔感は意識してつくらないと本気でマズいとも感じている。僕は軽くおじさんなのだ。
美肌まではこだわらないが、ヒゲを剃らないのは大問題と考える。最新のコーデを追いかけはしないが、シャツが変色していたら人権剥奪くらいに捉えておく。
自分に対する清潔感に意識が向くと、自然と校舎のクレンリネスにも意識が向く。僕が思う”大丈夫”は、多分大丈夫じゃないのだ。(何度アンケートで苦言を呈されたことか)
繰り返すが、モテるモテないといった大学生までで卒業するべき類の話でもなんでもなく、女性にやたら嫌われたら、すごく弱いチームになりますよというハナシだ。
今すぐ方々を掃除したくて仕方がない。それくらい僕は、無頓着な他者にも、染まってしまった自分にも、焦っている。
”愛されるアホ”になれる才能を、手前味噌だが僕は持っている。
先に紹介したブログに戻るのだが、ではそういった優秀な人たちを集めるには、一体何がカギとなるのか。実はそのヒントも書かれていた。”愛されるアホ”だ。
”愛される”というのがミソであり、嫌われる、面倒な、関わっても得の無いアホというのは、こんな感じでカテゴライズされて、世間一般的に煙たがられている↓
面倒なアホと、愛されるアホを分けるのは何か。そこの解像度を高めていくのが僕の目標になるのだが、実を言うとこの後者のアホについては・・・
僕自身、才能があると感じている。理由は、我ながら、精神年齢が超絶低いままここまで生きてこれたからだ。(いくつなのかはブログのタイトルに書いてる)
精神年齢は意識して低くしておき、好奇心を殺さず、面白いと思ったアイデアを大事にする稚気を捨てず、しかし時折目の色を変えてグッと仕事に打ち込んで、また遊ぶ。
異性に対しヘンに恰好をつけることもなく、でも不潔じゃなく、「だんし」としての一面も持ちつつ、かといって真面目に仕事をするのも忘れず。
この辺のバランスを意識しながら、自分をスイングさせることは、ぶっちゃけ意識せずとも僕がこれまでやってきていたことだったりする。
能力で恰好をつけて、一方個性で呆れられたり笑われたり笑わせたり。それこそ、ソフトバンクホークスの柳田選手や、元阪神の糸井選手のような人に、僕はなりたい。
―そして、だ。僕自身が大きな才能と思っている、僕自身の個性がもう1つある。
それは、別に診断を受けたわけではないが、性嫌悪とアセクシャルを持っていることだ。ただ、詳しい胸の内とか症状は、別ブログに長文を書いたので割愛する。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
この特性があるため、実は女性に対し、異性として入れ込むことが不可能に近いのだ。(未だに、いわゆるエロスの関係の必要性が1mmもわからない)
逆に言えば、友達のノリを普通に持ち込んでしまうということ。つまり女子と男子だったあの頃の距離感を、未だに維持しようと思えばできるというハナシなのだ。
もちろん、度を越したおこちゃま発言はさすがにしなくなったが、時折呆れられるような疑問を口にしちゃったりすることはある。健全な男の子である。31歳だけど。
”愛されるアホ”とは何か。この滅茶苦茶難しい命題は、常日頃から胸に刻んでおきたいと思う。でなければ僕は、女性に限らず、色んな人から捨てられることだろう・・・。
終わりに:それを具体的な目標に落とし込むとどうなるか?
具体的な目標にするのはかなり難しいのだが、とりあえず直近のそれはできた。年内に、僕の校舎に入る女性非常勤を、2人増やすことだ。
そこから問いを始めると、どんどん話は進む。非常勤講師を増やすと言っても、例えば1日に最低2~3コマは組まないと、人件費的にロスがひどすぎて目も当てられない。
となれば、最低4コマの授業を、ここから生んでいく必要があるわけで。しかし新規問い合わせでそれを作っていければ一番いいが、それは運ゲーが過ぎる。
だから確率を高める努力をしつつも、別の面からコマを生んでいく取り組みが欠かせない、となる。
確率を高める努力とは、ポスティングやビラ配りなどで認知を高め、スポットスポットで問い合わせが生まれるきっかけを創っておくことに他ならない。
あるいは、主に成績が上がった、あるいは高止まりしている、または資格を取った生徒に対し、友人紹介を改めて推すのも良いと思う。
または、短期集中で個別授業を行うコースを作ってみたり、既存生に数検などの取得を目指そうとアプローチするのも良いと思えてきた。
こう考えていくと、僕の仕事は明白となる。明白になったのだから、達成できれば自信になるし、できなければ酒量が増えるだけの話である。
”愛されるアホ”というリーダー。悪くない。本当に、悪くない。モテるのとはまた違う、異性を惹きつける力。なんだこの哲学は。
そうだなぁ、まずは「あほのこ」とされる人たちのエピソードを読んで、その雰囲気を自分に憑依させるところから始めようかな。
では、今日はこの辺でッ。