精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記82】"WHEN TO ROB A BANK"読書感想ブログⅢ ~値下げの儀式とネタバラシ~

久しぶりのフル休みなのですが、することがないので、勉強したいことを勉強しに校舎に行こうと思っています。出現頻度が異常の中元です。

 

はい。この本に取り組み始めて2週間チョイなのだが、過去最高のペースで進んでいるため、非常に気持ちがいい。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

時折わけのわからない文構造や単語、造語が出てきて苦戦することがあるが、全体的には悪くない進捗だから、ポジティブに考えられる。

 

そんなはぐれ経済学とでも言いたくなる良書、感想文は以下からドゥゾ。

 

 

7月4日(月) 値下げの儀式

 

高額の買い物や、一対一の取引の場合、値下げや譲歩を行わず、言い値で買うのは愚か者だといわれる。これはまぁ、真理だろう。

 

交渉の基本中の基本戦略として、初っ端にバーンと価格を高く出すのはよくある手段で、例えば100万円の商品を200万で設定し、値下げして150万で売るという具合。

 

こうなれば、結局50万円得するし、買った側も、「値下げできた!」と嬉しく帰れる。これが基本中の基本である。

 

だからこそ、ある程度の手順が必要なのも頷ける。

 

これでどうですか?➡高い!➡ではこれで・・➡まだまだだな。別の店にいくよ➡待ってください!相談します!

 

➡上司と相談しました、ここまでならなんとか・・➡ふぅむ、わかった、ここに決めよう。悪いね、無理聞いてもらって➡いえいえ!あなた様のためですから!

 

という風に。筆者はこれを、【儀式】と名付けていた。しかしこの【儀式】も、インターネットの台頭で、廃れつつあるのだという。

 

どこの方が、より安いのか?そういった情報は秒で広範囲に拡散される。だからこそ、儀式は単に、めんどくさいステップとなっているのだ。

 

寂しい話ではあるが、人見知りでめんどくさがり屋の僕にとっては、こういう買い物での交渉は手間なだけなので、嬉しくは思う。

 

7月5日(火) 懸賞金の魅力逓減の法則

 

少し時代を感じるのだが、ある組織の壊滅のため、アメリカがその指導者に25ミリオンドルの懸賞金を掛けていたことがあるという。

 

さっき調べたが、現在の価値だと【3,399,562,500円】ということだった。天文学的過ぎてよくわからね。

 

しかも、この額でも全然効果が無いことに業を煮やしたアメリカ政府は、この額をにまで引き上げる投票を、圧倒的多数で可決したのだという。

 

ーさて、その効果はどうだったのか?どうやら、高すぎる懸賞金や報酬は、その魅力をさほど感じないというデメリットがあるようなのだ。

 

例えば今すぐ5万くれるといわれたら僕は結構嬉しいのだが、5億とか言われたら、詐欺・嘘・ヤバい仕事を疑い、それらが期待による幸福に勝る

 

実際、最終的にその組織はネットの情報等により居所を掴んだアメリカ軍によって潰されることになる。懸賞金役に立たず、である。

 

あまりにも魅力的な餌をぶら下げると、人は期待を一気に萎ませる。インセンティブ設計の難しさの好例だなと、改めて思った。

 

7月6日(水) 秘匿が守る利益

 

僕は知らなかったのだが、ペプシ社の幹部がコカ・コーラ側の人間を唆して、秘密とされるレシピを盗みださせようとした事件があったそうだ。

 

仮にこれが成就していたらどうなったのか。経済学的な考え方を用いれば、両社大損という結果になるらしい。(つまり共倒れ)

 

まず、レシピを盗んで、それを公表したとしよう。すると巷に、パチモンが溢れることになる。パチモンが溢れれば、それらが炭酸飲料市場の価値を暴落させることになる。

 

「家で作れるなら、コーラ買わなくてよくね?」という感じだ。結果、価格を下げなければ売れないという循環が始まり、薄利多売のレッドオーシャン突入だ。

 

一方、それを秘密のままにして、ペプシの味をどこまでもコーラに近づけたらどうなるか。こうすれば、要するに全く同じ商品が2つ並ぶことになる。

 

この場合、やはり消費者からすればどっちでもいいので、少しでも安い方に手が伸びる。やはりまたしても、値下げ競争待ったなし、なのだ。

 

とんでもないリスクを冒して秘密を暴露したとき、得をするのは消費者である。市場原理に基づいた話に着地して、こっそり感動しているのは秘密ではない。

 

7月7日(木) 惰性の不要物が消えないワケ


アメリカには、1セント硬貨というものがある。別名【Penny】であり、日本円で言えば1円チョイの値段である。

 

これについて著者は、【5本の指にプラスして、半分の長さしかない指を1本足した程度の利便性】しかないとこき下ろしている。

 

実際、チップとして置いてくるか、さもなくばゴミ箱に捨てちゃうか、そういう扱いなのだという。

 

これの問題点はいくつかあるが、特に製造コストがそのものの価値より高いというのが重大な欠陥といえる。作れば作るほど、損していくのだ。

 

しかし、亜鉛製造会社(1セント硬貨の主原料)などと繋がったロビイストの熱心な活動により、反対の声が多数上がる中、1セント硬貨の製造が止まる気配はない

 

もっとも、そういった端数を計算するコインがあるからこそ、募金額が増えるという指摘もあるので何とも言えない。(根拠もないのだけれど)

 

みんなが要らないと思っている制度やモノが消えない裏には、一部の消えてほしくない人の努力があるのだなと、改めて思った。

 

7月8日(金) 新手のクラウドファンディング

 

デリケートな問題には、基本過激な反対が付きまとう。アメリカでも、例えば中絶などを行うクリニックの回りには、過激な反対派がよく集まるらしい。

 

暴言、攻撃的なハンドサイン、なんでもあり。中には人殺しというシャウトさえあるという。なんというか・・絶句。

 

こういう声は基本的に強く、心が折れる方が早い。しかし、この運動を逆手に取った、ある面白い実例があるのだという。

 

それは、【抗議に集まった人×〇ドル募金します】というタイプの寄付制度だ。例えば僕が1ドルを選んだら、抗議に100人来た場合、100ドル寄付、という感じ。

 

そして毎日、何人集まって、結果何ドル集まったかを、掲示板で思い切り貼りだすのだ。

 

要するに、デモ活動=病院の利益という図式に持って行ったというワケ。これ、めちゃくちゃ上手だなぁと感心した。

 

インセンティブの極み。僕もこういう発想がしたいなと、常々思う。

 

7月9日(土) 目に見えるか見えないか

 

少し面白い人間の特性についての話であった。適当な例を出すが、僕がしっかりローンを組んで、4000万円のマイホームを建てたとする。

 

そしてしばらく過ごした折、ネットニュースで、【住宅価値、平均で6%下落】というのを知ったとする。僕は多分、一切の意識をそこに向けない気がする。

 

ーだが本来、これってとんでもないニュースとして反応すべきなのだ。だって僕は、1年で240万円の資産を失ったに等しいからである。

 

240万円入った財布を盗まれたら、そりゃぁその日からしばらく泣きぬれて蟹と戯ることになるだろうが、ぴんと来ない数値には、人間は鈍感になるようだ。

 

だからこそ、自分が何を得て何を失ったか、なるべく数値に起こしたり、イメージしやすい別の例を頭に浮かべたり、そういうことが大切になってくるという。

 

僕も無自覚に、さながら樽の底に空いた穴からちまちま水が漏れ出ていくかのような現象になってないか、改めて色々見ておこうと思う。

 

7月10日(日) 対照実験とファンクラブ

 

【支払いのタイミング】と【支援額】について、自分のコミュニティを使い、独自に調査を行ったシンガーソングライターがいるらしい。

 

結果、支払いは後払いにして、平均支援額を可視化しておくという組み合わせが、押しなべて一番支援額が多くなるという感じだったらしい。

 

これを受けて、Freakeconomicsブログで取り上げたところ、あまりそれを快く思っていない的なブログを、この歌手の人が書いたらしい。

 

「今度はこういうプランで行くけど、ネタバラシする気は全然ないです」

 

ちなみに筆者は結びで、「僕らは手品師とかギャンブラーとかには全く向いてないね(だって全部ネタバラシしちゃうもん)」みたいなことを書いていた。

 

なんというか、おしゃれだなぁ、と思った。

 

ってことで今週はこの辺で。

 

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