ついに「よりよく眠りたい」という欲望が、「酔っぱらいたい」に勝つようになった中元です。今日も寝るのが楽しみで生きている感じ。
はい。別のブログで長大な記事にまとめている最中なのだが、僕の価値観や、人生における「本当に楽しいこと」の輪郭が、31年生きてきてようやく言葉にできつつある。
今は「本当にそうか?」という確認作業を込めて、色々なことを考えては試して、反省して、というのを繰り返している状態なのだが、その一環で変わったことがある。
それは、【予習】への向き合い方だ。今までは、テキストに書いてあることをどう噛み砕いて、どう面白おかしく伝えるかに主軸を置いていたが・・・。
最近は、少しその辺の心掛けが変わっている。それが正解かどうかはわからないけど、どう変わったのか、この記事で説明してみたいと思う。
【問い】を発見するために予習する感じ。
それは、自分とは異なる考え方を発見し、それが生徒にとっていいものかどうなのかを教えて、確認するというものだ。
響きだけなら無責任なのだが、むしろ自分の考え方や教え方がハマらないとき、他人のそれを参考にすることは自然な話ではなかろうか。
例えば僕はフレミングの左手の法則を考えないと、電磁石の辺りの意味がわからなくなる。しかし理系に言わせれば、「そんなことせんでもいい」らしい。
この辺りのギャップは特に、その科目を得意とする人と苦手とする人の間で顕著となる。そしてここは、目に見えないことであり、気づくだけでも至難の業だ。
勉強が得意なだけの人が講師に向いているわけではない理由が、ここにある。生徒に対して押し引きをするためには、他者の考え方というネタがたくさん必要なのだ。
―今は予習をするというより、「自分のものとは違う考え方」を探す作業という感じに近い。国数英理社関係なく、だ。
特に自分の説明がイマイチハマらなかった単元については、完全に他人のそれを拝借するつもりで、プライドもかなぐり捨てて、自分なりに理解しようと努めている。
最近の実例。
最近教え方で少し考えさせられているのが、【分詞】だ。ちなみに対象は中学3年生である。
例えば、「a sleeping dog」「a broken window」「a dog sleeing over thre」「a window broken by Ken」みたいな、名詞のカタマリとしての記述はできる。
しかしこれが、和文英訳になった場合はどうすればいいか。「向こうの木の下で眠っている男の子はMikeである」といった風に。ここの正答率は、やはりかなり低い。
ここが今年、特に低学力の全然生徒にハマらせることができず、少し困っている。確かに、名詞のカタマリから文の一部に用いるまでの間には、大きな飛躍があると思う。
だから他人の考え方を参考にすることにした。尚、使っている学習法は、「ひろゆき式情報収集術」である。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
そんな中で「お?」と思ったのは、訳し下すという考え方だ。(ちょっと詳しく調べる時間が無かったので、語意はちょっと曖昧だが)
簡単に言えば、日本語のまま、英語の語順に並べ替えて、その後で英語にしていく・・・というステップである。
具体的にはこんな感じ。
① 木の下で寝ている少年は私の弟です。
② 少年は/です/私の弟
③ 「木の下で寝ている・・」という部分は、"少年"を修飾するので、その直後に置く↓
④ 少年は(木の下で寝ている)/です/私の弟
⑤ 順に英語にすると、【The boy (sleeping under the tree)/ is / my brother.】になる。
・・・これは、英語の語順に関する意識が弱い中1の生徒に対しては、僕も積極活用してきたが、難度が高い英文法になる度、ここに立ち戻るという考えは抜けていた。
確かに、修飾節という考え方は、初見だと意味が分かる方がレアだろう。この後に待ち構えているのは、関係代名詞なのを考えても、ここは徹底して噛み砕く方がベター。
―こうやって、「試してみよう」という仮説が見つかったら、それを少し裏紙か何かに書いてみて、練習してから、授業で発射となる。
ここ最近、これが僕の予習の流れである。尚、転用可能であれば、他学年の単元に同じ考えを応用することもあるが、大体は他者の考えを調べて、考えることが多い。
自分の内で「教え方」を完結させることを完全に否定はしないけれど、最近は自分が独断に陥っている気がしたので、意識して開放している感じだ。
一度「我」をわきに置いておいて、人の考えを吸収する時間を設けてみてはどうだろうか。
では今日はこの辺で。