精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

我思う。過剰な【期待】は不幸を生んで、現実的な【ネガティブ】は結果を生む、と。

今日から増量始めます。とりあえず肩トレをいっぱい入れました。中元です。

 

はい。今、酔った勢いで買った、この本を読んでいる。(まだ第2章までしか読めてないけど)

今年僕がモデルケースとして追いかけているインフルエンサーや実業家の方たちと似た考えもあれば、違うけれど至極その通りという考察もあり、学びが非常に多い。

 

読みながら「あの人の言っていたことに似ているな」とか、「自分の仕事のこの部分で、こう使ってみよう」という風に問答を楽しんでいる。

 

―そして、だ。まだ読み切っていないのに、早速僕の中で長年もやもやしていたことが、書いてあったヒントで氷解する一幕があった

 

それはタイトル通りのことなのだが、今日はそれについて記事をしたためたい。

 

 

「期待なんてするな」

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まずいきなりだが、「僕は誰にも期待なんてしていない」というセリフについて、どう思われるだろうか。もしかしたら、とにかく冷たい人だと思われるかもしれない。

 

しかし僕自身は、この上なく等身大だし、非常に建設的な前提だよなとすごく腑に落ちている。どういうことだろうか。

 

これを考えるために、同一場面において、期待をした場合と、しなかった場合を考えてみたいと思う。それは、生徒がやや悪い点を取ってきたときだ。

 

ここでいう悪い点とは、定義が難しいのだが、前回の成績から落としたのみならず、期待していた数値を下回った場合もそうという感覚がある。

 

となれば、図式としては、「いい点を取ってきたら当たり前」であり、「下回ったら努力不足」という具合になる。そう、勝手に幸せの閾値が上がってしまうのだ。

 

褒めづらくなるばかりじゃなく、結果慢心が生まれて、打てる手が不十分になる可能性もそこには感じられるのだ。【期待】には、ちゃんとダークサイドが存在する。

 

では、どうすればいいのか。僕は、生徒に口で言う分には、「期待している」という声掛けをするのはありだと思う。

 

だが言った本人は、もっとネガティブに構えた方が良い「とはいっても、多分下回るよなぁ~」というくらいに思考を置いておくのだ。

 

すると、色々な手が見えてこないだろうか。とりあえず下がったとして、フォローの声掛けを考えようとか、その材料を今から仕込もうとか。

 

あるいは、このままだと多分〇点くらいになるから、何の課題を出そうかとか、どう講師に作戦を伝えようかとか、そういう具合である。

 

こうやってドライなところに基準を置いておけば、良い点を取ってきたら超めっけもんになるし、悪い点でも「予想通り」になるのだ。つまり、ダメージが減る。

 

これを最悪マネジメントという言葉で表現する人もいるが、結局は同じことであり、【期待】のダークサイドを如実に言い表していると思う。

 

やはり【期待】とは、とりあえず現状の位置から高めることを、相手に一任して、しかも放任するという無責任な側面も孕んでいると思う。

 

一方、【期待しない】と決めておけば、最悪の状況からシミュレーションが始まるので、大抵の場合それよりはマシなんだから得しやすいというメリットもある。

 

そしてこの考え方を広げていくと、僕が感じていた不安やストレスも、一気に減っていく実感があった。続いてはその実例をご紹介。

 

どうせマインドセット

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時折、誰かに依頼するときとか、何かしらのアンケートを実施することがあるのだが、その都度強い不安感がちらと思考を横切ることが、未だにある。

 

この正体はなんなのか、そしていったいどうすれば減ってくれるのかずっと考えあぐねていたが、【期待】がその原因かもと仮説立てると、かなりすっきりしたのだ。

 

依頼する際に不安を覚えるのは、「相手が受けてくれるものだ」と期待しているからだとしたら?だから断られると、ダメージを負った感じになる。

 

その仮の未来が、「不安」として出てくるのではなかろうか?そうであれば、最初から「多分断られるだろうな」と思っておけばどうだろうか。

 

そうすると、いくつも手が打てる。他の人にも依頼を出そうとか、交換条件を用意しようとか、そういった風に。行動がわかれば、この辺の不安もだいぶ減った

 

また、アンケートについても同様だ。「いい結果じゃなかったらどうしよう」と思うから、及び腰になってしまうのだ。

 

そういうわけで、「どうせ悪い」と思うことにした。辛辣なコメントは並ぶし、講師を変えてほしいという不満もどうせ出ると思うことに決めた。

 

僕にクレームが来れば、自分を変えるより、人を変えればいい。それは他の講師も同じだろう。なんだ、それだけじゃないか

 

一度期待を止めて諦めてしまうと、その対象の本体が見えてくることがある。そういうわけで、僕は「誰にも期待しない」という人を信頼する。

 

終わりに。

 

ということで申し訳ないのだが、学年末試験爆死」という未来を想像してみた。その場合は全力でフォローTELをやりまくる。

 

だがそういう未来は結構嫌なので、逆算して今から打てる手を考えていこう。そのために必要なデータは何だ?それを基に、どんな指示を出せる?

 

・・次々とアイデアが湧いてきた。諦めることは明らめることという言葉があるが、その言わんとすることが今よくわかった

 

勢いで書いたので時折変な箇所もあったが、直すのがめんどくさいのでこのままアップすることにしよう。では今日はこの辺で。

 

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