精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】ストレスが多い学校の先生や塾の講師ほど、仏教的な思考法を会得しましょうというご提案。

久しぶりに飲酒したら、ストンと体重が減って怖い中元です。

 

はい。この間、【不安】について記事を書いたが、その中でも「仏教」の考え方や心がけが自分にしっくりきており、あれ以来も勉強を続けている。

 

まだまだ色々未熟ではあるし、手探りではあるのだが、この考え方を自分に移植して、意識的に試していくうちに、ふとあることに気が付いた。

 

自分のストレスが驚くほど減り、かつ仕事がスムーズに流れるようになったのだ。

 

この感覚はすごくうれしい。特に、日々ストレスに苛まれている方には、きちんと伝えた方がよさそうなヒントだとも感じられる。

 

そこで今日は、僕が今のところ得てきた経験則とか効果を、なるべく言葉にしてみようと思う。疲れたあなたに、ぜひどうぞ。

 

 

大体の未来も過去も、ただの”妄想”です。

 

辞書で調べて少し意外だったのだが、実は【妄想】とは仏教の言葉でもあるのだ。それによれば、意味はこんな風に定義されている。

 

とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。また、その誤った考え。

 

という感じだ。この定義は、僕にとっては非常にしっくりくる。なぜかというと、【不安】や【ストレス】の正体が、ここに凝縮されているためである。

 

例えば、とある生徒の問題行動が気になるとする。通知表は2ばかり。授業中に寝る。問題は解かない。それなのに、志望校はかなり上のレベル・・。

 

俺の物言いが気に食わないのか?狙ってやっているのか?話を聞く気が無いならそれでもいいか。だが放置したら、親からクレームが来そうだ。面倒だな・・。

 

―と、言葉にすればわかりやすいのだが、実際には、現実と妄想の境目はかなりファジーであり、「あ、今妄想に突っ込んだな」と気付ける人など、皆無である

 

こんな風に、捻じ曲げられた認知を通じて、自分にとって都合の悪い何かを想像し、それが実際に起きてると思い込み、それに悶々とすること

 

僕はこれこそ、【妄想】の正体だと考えている。言い換えれば、【解釈の歪み】と捉えてもよさそうだ。

 

そう考えれば、自分の黒歴史を恥ずかしがるのも、他者の言動にくよくよするのも、最悪な未来を想像して絶望するのも、全てが【妄想】であると言える。

 

自分が抱えている感情(特に悲と怒)は、大体は妄想のせい。起きていない現実を捻じ曲げて解釈しているだけ。

 

一旦、その観点から気になる生徒の様子などを眺めてみてはいかがだろうか。そして、少し冷静になられてから、次項に目を通してみてほしい。

 

魔法の言葉:「あとでね」「ではどうする」「そういうものだ」「ちょうどいい機会だ」

 

最近、麻雀の勝負師の言葉や、プロ棋士が書いた本をよく読む。彼らは、存在するはずなのに目に見えず、感知もできない世界に、ある種一番触れ続けている人たちだ。

 

その人たちが思っていること、考えていること、感じていることは、学びになることが多いはず。そう捉えているからだ。

 

すると、ある共通点が見えた。彼らは、「囚われた」状態こそ「よくない」と考えており、そこに嵌ればすべてが悪い方へ回る、とも説いていたのだ。

 

そして、「囚われ」の状態が全ての苦しみの基のように考える思想は、先述の通り、仏教の中にも見て取れる

 

つまりここをどう打破するか、そこからどう抜け出すかが、苦しみから抜け出すカギに直結するのだとみてよさそうである。

 

では、「囚われ」とは何なのか。もはや漢字がその意味を強く表わしているのだが、ある特定の対象に、意識が完全に集中してしまっている状態である。

 

お金がないことが不安だ。模試の成績が上がらなくてマズい。ここでリーチできなければヤバい。もしかして、読み逃した筋があるのでは・・。

 

こういう風に思考が硬直化すると、運は逃げるし、ミスは増えるし、ネガティブな考え方がスパイラルするしで、とにかくすべての不幸の始まりという印象がある。

 

厄介なのは、ほとんどの場合、当人はそれを"囚われている"と感じられないということだ。大体は、「考えている」「悩んでいる」という言葉に置き換えられる。

 

だからこそ、実は思考が堂々巡りして、どんどんそこにしか意識が向かなくなっていることに気付かぬまま、グルグルと奈落の底に落ちていくことになるのだ。

 

―では、その状態から脱するには、どうすればいいのか。また、その状態から脱するために、先に挙げた方々は、何をしているのか。

 

実は、その対処法も、驚くほど似ていた。自分への問いかけだ。雀士も棋士も仏教僧も、まずは自分で自分に問いかけをすることがいいと説いていたのだ。

 

例えば、「ではどうする?」「そういうものだ」と頭の中で、自分に向かって言い聞かせる。たったこれだけなのだが、実践している人は非常に多い。

 

―こういった問いかけをすることで何が変わるのか?僕の体感だが、ごく自然に、思考が現在に戻るという感覚がある。

 

僕の場合だと、今考える必要が無い不安が立ち込めてきたら、自分で自分に、「あとでね」と伝達してやる。そして本当に”あとで”時間をとって向き合うのだ。

 

また、決断に際しネガティブな予測が立ち込めてきたら、「ではどうする?」と自問するし、理不尽な仕打ちを受けたら、「そういうものだ」と切り捨てる。

 

この問いかけのフレーズは、できるだけたくさん作っておく方がいい。オリジナルでもいいはずだ。

 

ただし、感情的なワード、自分を責めるような言い回しにはならないよう気を付けること。これで心は、”今、このとき”に戻ることができるのだ。

 

基本はやはり、目の前のことを一つずつ。

 

 

では最後に、心を今に引き戻した後の心掛けを書いてみる。それは、【目の前のことに集中して一つずつ解決すること】だ。

 

過去にも未来にも自分の妄想を飛ばさない。他者の目を気にする"慢"に気を取られない。今、ここ!目の前の、これ!それだけに集中する感じだ。

 

ただし、もちろん、言うのはシンプルだが、実行は結構難しい。理由は、これだけ情報網が発達した今、僕らの気を散らす存在は周りに溢れているからだ。

 

例え山奥に行っても、電波が届く限り、連絡は容赦なく入ってくる。自分のことに向き合おうと決めても、テレビを観ると、嫉妬したくなるほど優れた人がたくさんいる。

 

だからまず、心掛け云々の前に、可能な限りそもそもの刺激を減らすことがオススメだ。スキマ時間のYouTubeを止める。インスタも見る回数を半分にする。こんな風に。

 

デジタル・デトックスを推す人も多いが、恐らくその理由はここにある。自分に意識を向けて、現在に集中するためには、まずノイズを減らすのが先なのだ。

 

その上で、自分が2つ以上の考え事や作業を同時にしようとしていたら、意識して止める。これを終わらせて、あれをやるという感覚を再認識する

 

例えばシャワーを浴びている際に考え事が立ち込めてきたら、「まずは頭を洗い終える!あがったら、考え事を再開する!」と言い聞かせてみよう。

 

目の前の作業中に別の作業が気になったら、「あとでね」と自分の中で呟いてみよう。結構これだけで、心は落ち着くし、なんなら仕事も早く終わる。

 

本当に仕事が早い人は、同時並行で取り組んでいるからではなく、1つ1つを集中して速攻終わらせることにより、トータルでも速いというのが実際のところだ。

 

マルチタスクは聞こえがいいが、聞こえがいいことは必ずしもいい作業方法とは限らない。そのことも知っておかれたし。

 

では、長くなったけど、今日はこの辺で

 

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