精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

暇な他人が気になるときは、大体自分が時間を持て余しているとき。

長いことダイエットをしているせいか、脂の味すら忘れ始めた修行僧中元です。

 

はい。師走という月名に違わず、最近忙しい。正確に言うと、あえて忙しくしている感じが強い。(昨日の記事に理由は書いた)


校舎の飾りつけをしながら、面談の準備をしつつ、それと並行して講習会の人選を進めながらも、もちろん授業に励み、教材作成のための予習もする。目が回る。

 

―しかしながら、僕がドタバタ忙しいことと、周りの人もそうであることには、やはりあまり関係がない

 

食事休憩がギリという僕がいる一方で、食事休憩で1時間以上寛げる人もいる。ただ、こういう光景にいちいち目くじらを立てていたら、僕のメンタルは早々に荒れる。

 

とはいえ最近、どうにもそれを看過するのが厳しくなってきた。「オメーも働けよ!!」と机をぶん殴りたい欲が湧いたことも、無くはない。

 

自分で勝手に忙しくしときながら、なんと迷惑な人間であろうか。ただの八つ当たり、人として小物である。そのときはちゃんと、己のクソさに猛反省した。

 

―3秒だけ落ち込んだ後、「ではなぜ、スルーしきれなくなったのか?」ということを自問してみた。すると、あることに気付いた。それが、表題にしたことである。

 

「暇な他人が気になるときは、大体自分が時間を持て余しているとき。」

 

今日は似たような働き方をしている同志に向けて、カリカリしている僕から、誰目線かよくわからないヘンな話を、つらつらと書いてみたいと思う。

 

 

他人は己の鏡説。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉がある。これを乱暴に言うと、基本似た者同士が友達やら恋人やらになるよね、みたいな意味だと考えている。

 

この言葉はどこか牧歌的な、なんか平和なニュアンスを纏っているが、この解釈を変えると、少し穏やかではない話に転じる

 

例えば、自分が属するコミュニティに、何か合わないというか、自分の価値観とは馴染まない人がいたとする。あるいは、そんな行動が散見するとする。

 

その上で、そういう人なり言動なりがいつまでも排他されず、そのコミュニティから消えないとしたら・・多分僕らの言動もまた、それに染まっているというわけだ

 

類は友を呼ぶ。この言葉をそのまま裏返せば、自分もまた、呼ばれた友の一人である。そうでなければ、そもそもそのコミュニティとは縁が無いだろう。

 

仮に自分の属するところに陰口が蔓延しているのなら、多分あなたもどこかで、それを無意識的に肯定しているのではなかろうか。ちょっと怖い話である。

 

これを僕に当てはめると、どうか。他人が暇にしていることを肯定しきれない際、実は僕自身も暇なのではと仮説立てて、少し見つめ直してみた

 

すると、ビンゴ暇そうにしている他人が気になる際はいつも、自分が一区切りついて、一服入れている時なのである。尚のこと迷惑な存在ではないか!!

 

やはり他人は、己を写す鏡である。そこに映った像が気になる際、結局僕は、自分を肯定しきれていないということなのだ。

 

ではどうするか。もっと働くか?いやその前に、そもそも自愛すべきだと思えてきた。自分のケツを叩くのも別にいいのだが、それで一度病んだ僕なので、もう嫌だ。

 

暇そうな人に対し心に小波が立つとき、僕はきっと疲れている。そういうバロメーターと考えて、重大事として捉えない方が健全だろう。

 

詳しくは言えないが、ここにきて一気に夢が叶うことが確定した折でもある。無理しなければならない場面も無いことは無いが、今から始めるにはあまりにも早すぎる。

 

緩急自在。自分をぶっ壊さないように、心掛けたいテーマである。

 

では、今日はこの辺で。

 

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