精神年齢9歳講師のブログ

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【英文読書ルーティン日記121】"START WITH WHY"読書感想ブログⅩ ~WHYというメガネで世界をみよう~

いよいよ本書も佳境に入ってきた。視座が上がると言えばかっこいいが、なし崩しで長になった身なので、恐ろしい勢いでフレーズが自分にしみこんでくる。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

そして本書を通じて著者が伝えたいことも、段々と深いところに入ってきている実感がある。言葉遣いこそ平易なままだが、メッセージの抽象度が増していっている。

 

もしかしたらそんなこと言ってないという風に、意味を取り違えている点もあるかもしれない。いや、絶対にそんなのはあるに決まっているのだが・・。

 

僕なりに受け取って、自分の糧にできたらそれでいいやと割り切ることにする。ということで今週も読んでいきましょう。

 

 

4月3日(月) 象徴というコミュニケーション。

 

理念は目に見えない。その人の思想や思考もまた然りだ。だから言葉を通じて伝える必要があるし、人はそれを読み取る必要がある。

 

ある意味その究極体こそが、シンボルとされるものだ。例えば仏像がわかり易い。仏像は仏という目に見えない存在を、形あるものに落とし込んだものである。

 

実際に形があって、目の前に存在していれば、実感を伴って信仰しやすい。像を通じて仏に思いを馳せることができるのだ。

 

そう考えると、僕が注目していた「世界観」へのテコ入れ(具体的には校舎の飾りつけなどのこと)は、大枠で間違っていないと自信を深めることができた。

 

僕はこういう考えを持っている。であれば、校舎の内装はそれに合ったデザイン・設計になっているはずだ。それがきちんと連動しているか。

 

象徴を通じてコミュニケーションを行う。ここを理解し尽くした人が、伝説として語り継がれるのではと、そんな壮大なことを考えた。

 

4月4日(火) 「ひとりひとりに手渡し」。

ではどうすれば、その会社や組織の理念を色濃く象徴するようなものが創れるのか。優秀なデザイナーを雇えば、それでいいのだろうか?

 

本書でははっきりと、順序が逆だとされている。まず、きちんと腹落ちした理念があること。そしてそれを既に、何度も何度も発信し、普及させていること。

 

丁寧に商品の情報を伝え、周知させ、その集積されたものを表わすものは何かと考えていく。ロゴを先に作ってそちらに合わせていくのは、確かになんかズレている。

 

自分の想いを形にするとはどういうことか。考えても考えても答えに近付いている手応えが無くて嫌になるが、考え続けなければ衰退するだけなので、諦めず続けたい。

 

4月5日(水) ビジョナリーカンパニーは宗教なのか?

 

著名な会社には、熱狂的なファンが居る。その様子を指して、「宗教的」とか、経営者を「教祖だ」という人もいる。言わんとすることは、理解できないわけではない。

 

ただ、宗教とビジョナリーカンパニーには、やや違いがあると感じる。それは信じる対象だ。神といった特定の存在を宗教は崇めるイメージだが、会社は少し違う。

 

「こういう理念でやってくと面白そう、世の中の役に立ちそう」といった、考え方そのものを信じる。そういう意味で、少しだけ宗教とは異なると、僕は感じている。

 

もちろん中には経営者のカリスマ性によって繋ぎ止められる会社もあるのだが、そのつながりは頑丈そうに見えて、意外と脆かったりするわけで。

 

結束があり顧客の支持も得ているけど、リーダーは誰なのか、調べないと出てこない。それくらいの存在感を維持しつつ、働く場を整えたいと、強く感じている。

 

4月6日(木) セロリ・テスト

 

「セロリ・テスト」という面白い手法が紹介されていた。これは例えば、どのアドバイスを受けて、どの戦略を使うか、自分にとってのベターを探す方法なのだという。

 

例えば、数名の人たちから、「M&Mがイイよ!オレオがイイよ!セロリがイイよ!ライスミルクがイイよ!」とオススメされたとする。

 

それらを全て購入してレジに持っていくと、あまりにもラインナップに一貫性が無いことから、特にそこから何かしらのメッセージを汲み取る人はいない。

 

だから、「WHY」のフィルターを通すのだ。目下の自分の懸念事項は何か?目的は何か?その辺に照らし合わせて、商品を選ぶのだ。

 

自分へのご褒美とか単にお菓子が好きならば、M&Mとオレオだけ買えばいい。反対に健康重視なら、セロリとライスミルクを買えばいい。

 

企業理念や信条といったフィルターを、意識の中で通してみる。そうすることで、取るべき戦略や、使えそうなアドバイスが、かなり絞られてくる。

 

成功法に再現性は無いくせに、やたらと種類だけは膨大だ。だからこそ、まずはそれらを取捨選択することが、活用するための第一歩なのかもしれない。

 

4月7日(金) 続セロリ・テスト

 

信頼は何から生まれるか。それは、一貫性だという。では、一貫性とは何か。それは、理念に反する行為、反していると思われる行為を避けること、だという。

 

色んなことに手を出すけど、結局何がしたいかわからない人は、それを見た人が共通項を見つけられないという意味で、ハンデを負っているのではなかろうか。

 

この話を読んだとき、あるフレーズを思い出した。それは矢沢永吉氏の、こんなセリフだ。

俺はいいけど、YAZAWAが何て言うかな?

 

ameblo.jp

 

解釈の仕方は色々あると思うが、僕はこれもまた一つのセロリ・テストだと思った。物事を採用するしないの判断について、他者から見た像というフィルターを通す。

 

判断が苦手な自分にとって、活かせそうな考え方だと、改めて思った。

 

4月8日(土) セロリ・テストを過つと起こること

 

フォルクスワーゲンはてっきり高級な海外の車だと思っていたのだが、どうやらどちらかと言えば一般向け、ありふれた人に向けた車を製造・販売する会社だという。

 

そんなフォルクスワーゲンが一度、超高級路線に転換し、素晴らしく性能がいい車を作ったそうだ。普通に考えれば、売れないわけがないくらい、秀でている。

 

しかしこれは、フォルクスワーゲンらしさが無いという意味で、セロリテストの失敗例になってしまったそうだ。つまり、売れなかったという。

 

こう考えると、理念は考え方を変えれば、諸手を挙げて掲げるべきものだけでなく、これ以外できなくなるという一種の覚悟に繋がると言える。

 

それを防ぐためには、抽象的であることが条件となるが、抽象的でありながら、信念を的確に言い表すという矛盾をクリアするという難問が、同時に発生する

 

今日考えて明日磨けばできるのが理念とか、そんな甘い話は無いようだ。WHYを形作るのは、非常に難しいのである。

 

4月9日(日) WHYが消えたあと

 

WHYを形にして、組織内できちんと固めたとして、決して安心はできない。ビジョナリー・カンパニーのその後をみても思うのだが、引継ぎに失敗すると、WHYは消える

 

そうなってしまった後は、やはり悲惨だ。理念に共感していた人材を失い、顧客を失い、結果として利益を失い、そして存在する理由を失う。

 

ウォルマートという店は名前しか知らないのだが、創業者が掲げ、徹底して守ってきた理念は、二代目になった後に形骸化し、そして大きく失速したのだという。

 

僕は現在31歳なので、自分が死んだ後のことまでは気が回るわけが無いのだが、「偉人は夢を遺す」という言葉の意味が、また一つ生々しく理解できたように思う。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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