とある校舎を引き継いで3ヶ月が経ったのだが、ある違和感がずっと消えず、何なら最近、それが僕の一番の悩みとなっている。
その違和感とは、プレイングマネージャ―に関するものだ。どこもそうだろうけど、僕は講師としても、校舎を預かる者としても、結果を出すことが求められている。
そのバランスが、やはり難しい。講師としての自分に力を入れればマネジメントがおろそかになり、マネジメントに力を入れれば講師としての準備に影響が出る。
その折り合いがついていない僕は、何かが間違っている。だが、それがどうすれば是正できるのか、まるで取っ掛かりが無い。
病むほどしんどいわけではないが、違うことを感じ取りながら日々を過ごすのは、そこそこ大変なものがある。答えはどこにあるのか、ずっと悩んでいた。
今日もそんなことを感じつつ、プレイングマネージャ―であることを抜け出す方法についてぼんやりと調べていたのだが、そこでたまたま出会った記事で、少し目が覚めた。
それは、古田敦也氏のインタビューだ。
僕はその当時バリバリの野球少年だったので記憶に新しいのだが、彼は選手兼任監督としてスワローズを率いていた時代がある。
まさにプレイングマネージャ―だ。その彼が当時をどう語るのか、ものすごく興味が湧いた。そしてその言葉を読むうちに、ふと気づいた。
解決策は何も閃いていないのに、心が凄く軽くなったのだ。カリカリした気持ちが鎮まり、すごく冷静に、そして大局観をもって、現状を見られている気さえする。
僕にとって、それは答えを知ること以上に大事な話だったようだ。今日はそれを、記事としてまとめておく。
「ひとりじゃない」
同じことを悩んでいるのは、地球上どころか、日本でも、僕だけじゃない。そんな当たり前なことも、視野狭窄バイアスに陥ると、簡単に見失ってしまう。
孤独の痛みは、癌によるそれと匹敵するのだという。誇張と捉える人もいるだろうが、僕は「かもしれないな」と納得する気持ちの方が強い。
それくらい、孤独であるという思い込みによる精神の疲弊は、甚だしいのだ。だからこそ逆に言えば、孤独という思い込みさえ捨てられれば、心はとても軽くなる。
―それだけじゃなく、「あぁ、そう考えればいいのか!」という風に、凝り固まった考え方自体を転換させることができるような教えに出会えることもある。
僕の場合は、以下の言葉を読んで、自分の思い込みは、実にくだらないのだと悟るに至っている。
−−そして、40歳の時に監督をやらないか、というオファーを受けられた。野球の選手兼任監督は、古田さんが就任されるまで、29年間現れませんでした。これは選手と監督の両立が、いかに難しいことかを表していると思うのですが、引き受けられるときに迷いはなかったのでしょうか。できるかできないかで考えたら、できるだろうなと思いました。
というのも、世の中の40歳くらいのビジネスマンって、みんなプレイングマネージャーですよね。
自分も前線に立って、なおかつチームとして成果を上げるためにマネジメントをする、という働き方をしている人が大多数だと思うんです。
だから、野球だけが特別だとは思いませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・。
そりゃそうだよな。むしろマネージャーに専念できる人が圧倒的に幸福なだけで、それは恵まれた環境をたまたま引いたか、努力してそれを築いたかのどちらかなのだ。
そんな次元の低いところでブーブー言っていても仕方がない。なぜなら、僕と同じ状況下にありつつも、両方の立場で僕より秀でている人は、山程いるのだから。
弱音を吐いている場合じゃなかった。言い訳を求めている場合じゃなかった。そんなことを言っている間に、戦わずして僕は負ける。健全に前を向くことが、やっとできた。
一つの区切りを迎えて「あの頃はきつかったけど・・」という思い出が添加された話は、再現性が無いからヒントとして微妙だと、少し毛嫌いするところが僕にはあった。
しかし、それもまた固定観念だ。直接的なヒントにはならないかもしれないが、見方を変えれば視野狭窄バイアスを解除するための時間として有益だと言える。
偶然ではあるが、すごく良いことに気付けたと思う。それと同時に、僕が悩んでいることに関して一切かっこつけず、もっと素直に発信しようと、改めて思った。
では今日はこの辺で。