今日は、少し関係のない話から始める。10月8日(日)、皆さんもご存じかもしれないが、日本選手権というボディビルの大会が行われた。
その大会で2位になった木澤大祐選手のYouTubeチャンネルを、実はずっと観ている。そんな木澤氏は、来年の大会を最後に、競技者からの引退を明言している。
その宣言の上での今回の大会は、観ている側としても特別であり、その上で準優勝という成績も素晴さも相まって、が揺さぶられ、とても熱いものを感じとった。
・・・この話から突然始めたのは、自分も次年度の終わり、もとい再来年の3月頃を目途に、前線での授業から引退することを決意しているからだ。
もちろん大企業勤めでも無ければ、カリスマ性のある個人でもないため、完全に引退し真っ新となることは不可能なのだが、意識の上では引退という線引きを考えている。
実は、この話は以前から考えていたことだ。なんなら、このブログでも、去年の今頃を目途に、その胸の内を記事にしたためている。
では、現状はどうなのか。その途中経過を僕自身、腰を据えて振り返っていないことに気が付いている。今日は、そんな内省の話を書いてみよう。
教えるのが嫌いになった、わけではない。
初めてこの考え方に気付いたのは2、3年前だ。始めは、このまま10年後も教壇に立ちたいかと考えた際、違和感を覚えたことからスタートしたような気がする。
生徒に直接教えて、彼らの能力が向上し、やりがいや充実感を感じるのは、もちろん確かだ。しかし、それが最上かと言われると、疑問符が付く。
自分が直接力量を伸ばすこと以上に、自分以外の皆が教えること・教わることを楽しみながら、やりがいや使命感を持って働いているのを見る方が、楽しいのではないか。
そんな仮説を持ってから、自分なりにその確認作業を繰り返したところ、バイアスもあるかもしれないが、その方向で間違いなさそうだと、日に日に確信が強まっている。
となれば、僕が”単元の指導”に全振りするような状況やマインドセットは、目指すべき夢からズレていると言わざるを得ない。
もちろん、全員が実働隊として、スポーツみたいに協力して戦う価値観も素晴らしいとは思う。しかし現実的には、それは監督あっての戦い方だ。
ただ、この考え方は社内では少数派だ。実際、僕以外の皆様は、皮肉でもなんでもなく純粋な尊敬として、皆生徒に授業をしたいというモチベーションが高いようだ。
そんな風に、僕の代わりに監督の役目を果たしてくれそうな人がいない手前、僕は選手という働き方や意識から、少しずつ脱却していく必要がある、と。
そんなことを2年前に近い、そして今。僕は引退に向けて歩みを進められているのだろうか。肝心の報告は、以下にまとめておこう。
立場による後退。しかしこれはジャンプの前のしゃがむ動作に等しい。
端的に言えば、実は今年の3月以来、その目指す夢からはどんどんと遠ざかっている。しかしそれはある意味見た目だけで、実際は準備も同時に進めているのだが。
僕は今、なんだかんだで昇進し、教室長として1年目を迎えている。正直、右も左もわからない状況のため、とりあえず手を出し、間違えては改めてを繰り返している。
その結果、前線で働く必要性が大幅に増えた。今年度は前年度より休日の数が2/3になっているのだが、これはある意味先行投資だと思っている。
正直、今の状況は割とガタガタで、楽観視しようもんなら即座に校舎長を後退して然るべきなくらい、ギリギリなところで踏みとどまっている。
基盤が緩い状態で、僕自身の理想の引き際なんて考えても仕方ないのだが、だからこそ時折腰を据えて、しっかりと取り組む所存である。
指導法の研究はするが、己のスキルアップのためではなく、後進のためをメインにする。必要な教材も残し、再現性のある仕組みも徹底させる。
正直、焦っている。休みを削りに削って働き詰めても、一向に近づいている気がしないゴール。そこにあと1年で到達しなければならない。
しかし、1年くらいなら、無茶ではなく無理をしても耐えられるはずだ。そんな風にプレッシャーを感じつつも、まだやり遂げたいという気持ちと意欲は健在だ。
まだまだ中途だが、前進はしているはずだと、そんな何とも言えない報告をもって、おしまいとする。
では今日はこの辺で。