精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「先延ばし癖」もまた、発達障害の一種だという。それを踏まえて、どんな手が打てる?

スッと課題に取り組めない子は時たま見かける。自分なりの儀式やルーティンがあり、それを経ないと、宿題なりお稽古なりに向き合えないのだ。

 

時折ルーティンの方に過集中となってしまい、してほしいことをほぼできないままに時間が過ぎることもある。こういう場合無理に向き合わせると、大抵は暴れてしまう。


優先順位が目まぐるしい勢いで変化するという感じだ。これ自体は子供において自然な話なのだが、それが行き過ぎると疑った方がいいとされていたのが・・・

 

そう、発達障害だ。もっと狭義には、ADHDの特性の1つでもある。そしてそれ自身、自分事としても、僕は腑に落ちる心当たりが、無くもない。

 

何を隠そう、僕もまた、先延ばし魔の一人だ。HSS型HSPADHDの関係性は不明だが、事例を読むにつけ、やっぱ僕はなんか持ってそうだという確信に、改めて至っている。

 

ということで今日は、僕を含めた先延ばし魔全員に向けて、それを撲滅するための施策成り考え方なりを、きちんと調べてまとめておこうと思う。

 

では以下、本題である。

 

 

先延ばしはなぜ起こる?

 

「先延ばし癖」について調べていく中で、【実行機能】という言葉を知った。簡単に言えば「目標の達成」に伴う脳機能全般を指す、いわばファジーな言葉である。

 

以下の説明がわかり易いので、まるっと引用しておく。

 

 

そして、これらのスキルが低いときに発生する困りごとは、そのまま実は発達障害(ADHD)を持っているときに起こりがちなそれと、非常に似ているのだ。

 

 

つまり、非常に労力・手間暇がかかるし、成果もあまり出ないし、やってて楽しくないので、そもそも段取りというものを考えることを避けるようになる。納得だ。

 

実際、通っている生徒に一人、本来のお稽古ごとに取り組むまで20分以上の予備動作(ぬいぐるみで遊ぶ、校舎内をうろうろする等)が要る生徒がいる。

 

時折「そろそろやらん?」と尋ねても、全くスルーして「このぬいぐるみなんていうの?」と返してくるので、習い事が嫌いでやりたくないんだなと思っていた。

 

しかし最近は、本当に頭の中にそれしかないのだろうという気がしてきた。稽古という先の目標は完全に消えて、ぬいぐるみで遊ぶという今だけに集中している。

 

そうやって「気になる刺激」に衝動的に反応し、一通りのそれに飽きて、本来の稽古の存在を思い出すまでに20分掛かるというのが実際のところではないか

 

そう思うと、すごく腑に落ちるところがある。その流れを止めると怒ったり無視したりする理由も、理解できるところがある。

 

それこそ例えば、僕らが熱中しているときに、親が勝手にゲームの電源を急に切ったら、僕らはどう反応するかを想像してみたらわかり易い。

 

・・・ところで、実行機能が弱いことによる困りごとは、実は成長によって緩和はされても、一定値以上から先は、工夫をせねば改善できないらしい。

 

その証左は僕だ。いい年なのだが、実は以下のサイトに挙げられている困りごとの全てについて、すごく身に覚えがある

shimpre-houkan.com

diamond.jp

 

まず実は、油断すると僕は遅刻魔と化す。20代半ばまでケロッとしていたが、本気で友達を無くすと思い、色々試して矯正して今に至る、という感じだ。

 

正直、15分前集合が物凄く嫌いであり、ぎりぎりについてナンボという価値観は、腹の奥底に秘めているだけで、消えたわけではない。

 

また、3つ以上のタスクが頭に浮かぶとオーバーフローしてしまうのは、今も全く同じだ。しかもこれは、仕事関係なく、日常生活でさえ、発生する。

 

洗濯物の乾燥、朝食の準備、薬局への買い出し。全然関係が無い事柄であっても、「しなければいけないこと」として頭に浮かんだら、脳に過負荷が掛かる

 

そういうときに限って、やれ「粗大ごみの搬入」だの「ご家庭へのTEL」だの、マジで関係ないことが次々と思い出されるので、脳は爆発寸前だ。

 

ということでまとめよう。先延ばしはなぜ起こるか、それは実行機能の働きが弱いことに遠因がある。そしてそれは、大人になっても自然治癒はしない

 

すごくため息が出るような帰結だが、一応それが暫定解なので、仕方がない話である。

 

それを踏まえてできること。(声掛けの仕方含めて)

 

僕らは実行機能が弱い。それはわかった。じゃあどうすればいい?次はその疑問の答えが知りたくなった。

 

医者の言葉や当事者の試行錯誤など色々と読んでみたが、その大半に共通する考え方はざっくり分ければ2つだ。「時間で区切る」ことと、「客観的に見る」ことである。

 

前者については、効果のほどは僕が請け負っていい。すごく効くからだ。遅刻魔だった僕がそれを大幅に改善させたのは、時間を意識するようにしたからというのが大きい。

 

要は考え方を変えたということだ。例えば、集合場所はここ、集合時間は○○時というのを決めたら、まだまだ細かく区切っていく。

 

駅から〇分程度なので、その時間に着く一番近い便はどれかを調べる。そして、その便に乗るには、家を○時に出ればいいから、その10分前にアラームをかける。

 

アラームが鳴ったら、もうその時点でやっていることは絶対に放り投げて、身支度を開始すると決めておく。(ここも自制心が求められるが、このくらいならできる)

 

逆算思考と言えばかっこいいが、要はアラームで自己管理ができるまでトコトン考える練習をしたという感じで、つまり時間で区切る思考に変えたというだけである。

 

お父さんお母さんに「そろそろ出る時間よ!」と教えてもらうのではなく、携帯のアラームに「そろそろ出る時間よ!」と教えてもらう。実は行為は全然変わっていない。

 

―そしてもう一つ大事なのが、客観的に考える訓練だ。これはまだまだ僕も途上もええとこなので大したことは言えないが、ざっくりまとめておく。

 

脳がオーバーフローになるとき、実は目線がかなり主観的になっている。まずはこれに気付いて、意識的に視点を変えることがすごく大切なようだ。

 

僕は「確証バイアス」だと思うのだが、テンパっているときは何かしらのバイアスが強くかかっており、視野が非常に狭くなっている。それをどうにかして、広げる。

 

そのためには、「他人事として考える」というのが今のところ極めて有効だ。さながら第三者にアドバイスを与えるかのように、自分のタスクを分解する。

 

「洗濯乾燥待ってる間に買い物すればよくねー?」「クリーニングは正直後回しでよくねー?」という風に。メタとの会話は得意技だ。

 

ちなみに、こんな感じで「まずはテキストを机の上に出そう」という風に、小出しで声掛けをすることが、段取りが苦手な子供の行動の第一歩に有効らしい。

 

それについては、確かにそうかもなと感じている。

 

終わりに:特性は個性、劣等ではない。

 

特性や個性について散々書いてきたが、これは髪の毛が茶色いとか、巻き爪と言った風に、ただの一要素だ。

 

持っていたら有利とか不利とか、そういうのは割と局所的なはずである。ただし、社会的な場面に応じて、少しだけカスタマイズする必要があるだけだ。

 

叩き直す必要はないし、叩き直せるものでもない。明日から生えてくる髪の色を金にできるものならやってみろ、という話である。

 

これからも僕は、必要ないときは先延ばし癖を全開にして、だらだらと生きてやる所存である。性格は形状記憶合金だ。いずれ元に戻るのである。

 

てなわけで今日はこの辺で。

 

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