精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自分は集中できてると思ってたら、全然できてなかったことに気付いたの巻。

「集中」している状態を、狙って作るのは難しい。生徒をみていて、常々思うことである。

 

だが、ある程度知識を得て、かつ人生経験と訓練を積んだ今の自分なら、狙ってその集中モードに入れると、内心自負していた。

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さながら、ある程度野球の練習を積めば、バッティングセンターで空振りすることがあまり無くなるかのように、だ。

 

だが最近、そんな自分は、実際のところあんまり物事に集中できていないのではないかと、ふと疑問に思った

 

そしてそのことが、最近なぜか不安感が強まったり、一日を長く感じたりすることの直接的な原因でないか、とも。

 

今日はそんなことをテーマに、思うことを書いてみる。

 

 

本来の集中とは?

 

「集中」している状態はどういうものかを言葉にするのは、とても難しい。

 

なぜなら、対象に強く没頭しているがため、どんな気持ちか、身体的反応は何かなど、客観的な観察さえ忘れてしまうからだ。

 

だから、できることの限界は、後になって「こんなだったかなぁ」と精度の低い反省と検証をすることだけなのである。

 

しかしこないだふと、「あっ、俺、今、かなり集中できてた!」と気付く瞬間があった。

 

過去の嫌な記憶も、未来の面倒な仕事も頭から消えて、目の前の課題にだけ意識が向いている感覚。それにあることを、何故か急に自覚できたのだ。

 

―ただ、それ故、同時に思ったことがある。それは、「あれ?この感覚、今まで思ってた集中の状態と、少し違うぞ?」という疑念だ。

 

これまでも仕事が捗るとかそういう感覚を抱いていなかった訳ではないが、それがつまり「集中」状態だったかと言われれば、少し違う気がしてきている。

 

例えば歯磨きは、特に意識しなくても、勝手に手が進み、気付けば終わっている。定義だけなら、集中状態と、とても似ている。

 

しかしこれは、集中というより自動化されているだけであり、意識を向けていないという意味では、むしろ対義の話だと言える。

 

自動化された行動は、確かに早くこなせるという面もあるが、頭を使っていないので、余計な思考が浮かびやすいという弱点もある。

 

脳内のおしゃべりが激しい僕みたいなタイプは、自動的に作業をすればするほど、メタに邪魔されマルチタスクに突っ込むのだ。やはり集中とは程遠い。

 

人ができないことを自分はできる、という風にどこか上から構えていたことが違うと解り、猛烈に恥ずかしい。神から冷や水をぶっかけられた気分だ。

 

だから改めて、集中状態とはどんなものかについて観察を深め、しっかりと再現できるようにならねばならない。でないと、救いが無い。

 

ということで次の項では、暫定解だが、集中状態への入り方の基礎基本的なことを述べてみる。

 

集中状態は瞑想で再現できる説。

 

気付いたらまた止めてしまっているのだが、僕は一時期、瞑想を日課にしていたことがある。

 

その最中頭の中で心掛けていることと、集中状態の導入は、実はすごく似ていると、改めて気が付いた。

 

瞑想は、頭の中にポコポコ浮かぶ雑念の1つ1つではなく、例えば呼吸や外の音、身体の感覚などに意識を向ける訓練である。

 

意識が反れたら、それを自覚し、再びそれらに意識を引き戻す。それを繰り返すうちに意識は彷徨わなくなり、一つの対象に向き続ける状態が訪れる。

 

そのプロセスは、日頃の作業における集中状態への持っていき方と、本当にそっくりだ。

 

「勉強だりー」「ゲームしたーい」「高校受かるかなぁ・・」という雑念を払いのけて、目の前の方程式を解くことに集中すると、気付けば没頭しているのと同じだ。

 

そしてその感覚を既に経験値として持っている手前、僕はむしろ積極的にそれを活用すべきなのではないかと思えてきた。

 

1つのことに集中するとは、他のことに意識を持っていかれないようにセンサーを張っておくということでもある。

 

「あ、今気が反れてる。目の前の作業に向き合え」と、メタが僕を監視するような思考。それを使いこなせれば、更に高い精度で、狙って集中状態に入れるのではないか。

 

もちろんゾーンのような超集中状態は難しいだろうが、ある程度の深さは、瞑想を深めていくのと同じやり方で再現できると感じている。

 

集中とは受動的・静的な思考というより、むしろ動的な思考によってなされるのかもしれない。これはまた新しい観察対象ができた。

 

やることが多いときこそ、敢えて絞って集中する。基本的すぎることだからこそ、自分はできていると思い上がらない方が良いのかもしれない。

 

謙虚になろう。そう思った。

 

では今日はこの辺で。

 

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