やはり、羽生善治氏の著書が好きだ。文体が非常に論理的なのも理由だが、抽象的な思考をも論理的に解説してくれるため、すごく腑に落ちるから、というのが大きい。
その中で【感性】についての話があった。【感性】については佐渡島庸平氏も「観察力の鍛え方」で触れていたが、その考え方は結構似通っている。
将棋以外の時間、人生の過ごし方で総合的に研ぎ澄まされていくもの。あるいは、観察の対象から受信する情報の感度。こんな風に捉えているらしい。
そしてこの【感性】こそ、講師歴が長くなってきた講師にとっても、更にそこから力を伸ばすために大事なファクターだと、僕は感じている。
今日はそんなお話を書いてみよう。
僕よりできる人間はこの世にたくさんいる。
超どうでもいい話から書く。先日、キン肉マンに登場する「カナディアンマン」が、読者からのアイデアで生まれた超人だと知った。
そこにはその読者の名前も書かれていたので、今何をしてるんだろうと検索してみたところ、多分別人だが、ものすごい経歴と能力の人の紹介ページがヒットした。
帰国子女であり、弁護士であり、英検1級に一発合格、勿論TOEICも満点。それくらいすさまじい人が出てきたのだ。
以前までの僕だったら、自分の完全上位互換のような存在に対し、頭がおかしくなるほど敗北感を覚え、屈辱に震えたのではなかろうか。病気である。
ただ今回は、「まぁいるよねこういう天才って」という風に、興味を持つことも無かった。自分はすごく成長したなと、手前味噌だが考えている。
―何が言いたいかというと、自分より能力に秀でた人は、この世に必ず存在する。それは紛れもない事実であり、一点突破でのし上がるのには必ず限界があるという話だ。
実際、コミュ力もあり、その科目そのものの知識も持つ学生講師が何人も在籍しており、別に僕はその中で一番指導力に長けているわけでもない。
そういう存在に、能力で挑むのは滑稽だ。それにそもそも、80点と81点の能力の違いを、顧客は見抜けないというごもっともな指摘もある。
なにか1つで80点以上を取ることは、いわば参加資格を得ることに過ぎないのであって、そこからは総合力勝負の世界なのだ。
総合力は広さというより厚みのようなものだと僕は考えており、一つ一つの所作や思考の下に、どれほど大きな立方体のような知恵が詰まっているかが大事だと思っている。
では、立方体のような知恵とはなんだろうか。ここを言葉にするのは難しいのだが、実はこの部分が【感性】と強く結びついている気がするので、頑張って言葉にする。
全ての道は・・・
ここでいう【感性】とは、日頃接する情報の中から、授業の質の改善に使えそうなものを感じ取る力ではないかと僕は考えている。
とある解説動画の言い回しがわかり易かったのなら、それを意識的に真似してみるのもそうだ。お笑い番組のMCの立ち回りを見て、集団授業に活かすのも然り。
本を読んで得たトリビアルな知識も、授業の掴みに使えるかもしれない。そんな風に、常に「授業に使えるか」というメガネを通して、世の中を観察すること。
その心掛けが【感性】であり、その感度が高ければ高いほど、他人から見たら理解不能な深さで、独創的なヒントを得られるのではないか。
その道一筋の職人もカッコいいのだが、僕はその哲学が、深いというより広い、さらに言えば厚い人の話が好きで、聞いていて満腹感を覚える。
講師歴が5年以上というベテランになってくると、その科目自体のスキルも大事だが、それ以上に、その他の総合力に求められるもののウェイトが高まっていく。
何足ものワラジを履けるように、80点以上取れる何かをいくつも作る。それらを頂点として全てを繋ぎ、自分の中に巨大な立方体を創り上げる。
こんな講師になれればかっこいいなと、直感ではあるが、思うことができた。そろそろ誕生日である今なので、次の年齢の目標はこれにしようと、今誓った。
じゃ、今日はこの辺で。