今日は本当に不思議な日だった。↓の記事で書いた過去の確執が、全くの偶然から再燃し、退路を断たれた状態で自分に投げられたのだ。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
この仕事を始めて結構な年月が流れたのもあり、クレーム対応の電話なり面談なりをしたことは、一度や二度ではない。
ただそのいずれも、例えば講師がすっぽかしたとか、必要な連絡が抜けていたとか、そういう「ごもっとも」な理由があるものであり、僕としても平身低頭である。
―しかし。上記のやり取りは、色々振り返っても・・・あまり詳しくは書けないが、"理不尽"だと感じている。揚げてない揚げ足を取り、ひたすら責めてくるように。
そういう人に、僕が長としてTELをしなければならない。日本語は通じるが論理や筋が通じないとなると、これはこれで、胃が痛い。(実際に痛くなった)
意を決して発信のボタンを押したが、繋がった瞬間から、案の定予想した通りの展開になった。これはぼかしながら、後述するけど。
―そんな憂鬱な30分を過ごした後、胃痛に苛まれながら深呼吸し、冷静にやり取りを思い返して、ふと頭に浮かんだこと。
それは、「すごく将棋の対局みたいだったなぁ」という感想だ。と同時に、「感想戦をきちんと自分でやって、血肉にした方が良いな」とも思った。
正直言って不愉快だった時間を、いつまでも心の中に抱えておくわけにはいかない。とっとと取り出して、他人事にしてしまうのがベターだ。
今日はそんな感想戦を書いてみる。
悪手を絶対に打たない。
こういう対応で鉄則なのは、相手のペースに乗せられて、過剰な譲歩やサービスを与え無いことに尽きる。その「となりのクレーマー」の教えは、肝に銘じていた。
感情的にヒートアップしない。相手の声色やトーンにビビって、こちらから無理な提案をしない。これを怠った後の末路が知識としてあっただけに、すごく慎重にはなれた。
さて。まず掴むべきは、相手の出方だ。将棋で言えば、飛車の位置はどこで、囲いはどうするのか、その戦略はなんになるのか。
経験値が無さ過ぎたので僕が基本防戦する形になったが、振り返って検証すると、その手の内は大体こんな感じであった。
① 抽象論の質問を何度も繰り返す。
② 「自分が間違っているなら謝るがどうか」という攻めを多用する。
③ 意図的に沈黙の間を置く。
④ 「お前には話が通じない」というメタを言葉に込める。
―この点を調べてみたところ、ちょっと驚くことがわかった。これらは、クレーム慣れしている人の常とう手段らしいのだ。
となれば、「大体そういう人ってあちこちで似たようなことをやっている」と教えてくれた教員の方の指摘が、凄く腑に落ちる。なるほど、場慣れしているのだ。
ということは、慣れた人が使うこれらの作戦とは、いわば向こうの切り札であり、これで落とすことができるから、序盤からバンバン打っている、ということだろう。
そう考えたら、攻撃型のやり口だ。ゴキゲン中飛車のような、ガンガン攻める手。それに対して僕がやったことは、徹底して足を揚げないこと。これに尽きる。
今思えば、これはまさに「受けきる」ということであり、悪くない作戦だった。これは良い経験値を得られたように思う。
―正直、言葉の節々から、僕に「そのようなことはございません」とか、「それだけはなんとか」という一言を言わせたいんだという雰囲気を強く感じた。
相手にとってはそれこそが詰み筋で、僕がその言葉を発した瞬間、そこを取って一気に押し切りたいんだろうというのが透けて見えた。
そう思えば、僕の中で急激に冷めた。なんなら、萎えた。なんだ、ただのそういうことか、と。人間と応対し、言葉をやり取りしていると思うことは、この時点で止めた。
だから応対の30分、実は話半分で、以下のループをひたすらに繰り返しただけである。
① 抽象論の質問を何度も繰り返す。➡「さようでございます」「滅相もございません」「不快にさせてしまったこと、申し訳ありません」
② 「自分が間違っているなら謝るがどうか」という攻めを多用する。➡「滅相もございません」
③ 意図的に沈黙の間を置く。➡一言喋ったらこちらも待つ
④ 「お前には話が通じない」というメタを言葉に込める。➡無視
―最終的にはある程度僕が受け切ったのか、なんか吐き捨てられて、そして電話の向こうで、「フッ」と鼻で笑われて電話を切られた。
そのとき一瞬、感情的にカチンときたっちゃきたのだが、その後に脳裏に、ひろゆき氏のインタビューで書かれていたフレーズが浮かんできた。
「頭のおかしな動物が何か言っている…」
ひろゆきがコールセンターのバイトで実践した、無敵のクレーマー対応
真摯に相手をしなければと考える必要はいっさいない
あぁ、そうか。言葉が通じない以上、僕ばかりが神経をすり減らしてどうすんの、と。相手の狙いは、ただ僕を貶すことだけなんだから、付き合う意味はないよね、と。
そう思って初めて、ふっと肩の力が抜けて、胃の痛みが和らいだ。こうして感想戦も終えた今、なんか無駄な時間を過ごさせられたなと、それだけが体感として残っている。
そこで見えた課題。
感想戦は実体験を通じた最大の勉強の場【将棋と教育】|将棋コラム|日本将棋連盟
収穫もあったが、今後検討が必要な課題も得られた。つまりは糧という意味でこの2つは同じなのだが、せっかくなのでそれについても触れておく。
今回のやり取りを通じて僕に見えた課題。それは、オウム返しのネタの不足だ。質問責めで詰めるタイプに太刀打ちするには、謝罪と共感を避ける方が吉だという。
たら・ればの応対、条件付き謝罪といった戦法を身に付けて、もっと「受ける」というより「いなす」技術が必要だと感じている。
また、仮に乗り込んで来たらどう応対するかのイメージができていないのも危ういなと思った。
正直対面だろうが電話と変わりは無いのだが、録画や撮影を、必要とあらばできるようにする準備も要るのではないか。
つまり「経験不足」もそうだけど、要は手数がまだまだ少ないことが浮き彫りになったのである。これに関しては、「そらそうだ」なんだけれど。
ところで、こういう風に言葉と駆け引きを武器に丁々発止のやり取りを繰り広げる代表例が、いわゆるグレーゾーンの方々である。あるいは、弁護士もそうか。
圧倒的に不利なハンデを背負いながら、カタギを骨の髄までしゃぶるような芸当がなぜできるのか。堂々と弁護が、なぜできるのか。
後者はさておき、前者については、龍が如くにハマり始めた時期に興味本位で買った本たちが、ここにきて生きてきそうだ。
過去受けたクレームの雰囲気や温度を思い出しながら、そこで書かれた武器を何度もイメトレする。
そうすれば僕の応対力も上がり、めんどくさい相手をもっと平穏に、無感情で御せるのではないか。そういうことも思った。
―後はあれだな。気持ちの切り替えを少しずつ早くしていく練習が要るな。今も正直、デカい犬にワンワン吠えられたときのような嫌な感情が、胃の辺りに在る。
相手からすれば「しめしめ」という状態なので、それ自体が猛烈に不愉快だ。これ以上タダで僕の意識に住まわせてなるものか、と。
ただこれについては、ショート動画を数本観てくすっと笑ったら、どうでもよくなった。意識を切るって大事だな。エンタメに感謝感謝。
とりあえず、帰ったらとっとと酒を飲んで寝ることにしよう。もし明日もそこから電話があったら?知るか。目の前の生徒とご家庭の方が大事だ。
優先順位を履き違えないように、しっかりと気をつけよう。では今日はこの辺で。