精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「無理」はなぜ生まれるか? ―その新たな仮説について。

思い返せば、僕は7月頭からかなり無理をしている。法律的にかなり危ないことを言うと、7・8月におけるフル休みの日数は、盆を入れても7日である。

 

その原因は、中間・期末テスト➡教育面談➡夏季講習という風に多忙から多忙へシームレスに流れたことで、更にそこから面倒なクレームや社員のダウンが重なったのだ。

 

では9月は休めるのかというと、現状休日発射を結構重ねないと、溜まっている仕事を消化できる気がしないという体感がある。一人でやることの限界値はすぐそこだろう。

 

良くないことはわかっている。でもそれをどうこうしようという意欲が湧いてこない。というかどうしたらいいかもわからない。

 

このままでは「無理」が組織内に連鎖すること等、薄々察している。あるいは僕自身が急に壊れる未来がやってくるか。二通りの最悪の、どちらに行くかというだけである。

 

「無理」はなぜ生まれるか。それについて、抱え込みがその原因だと、こないだ記事に書いた。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

今回はそれとはまた別の仮説について、新たに気づくことがあったので、別物として括り、記事にまとめたいと思う。

 

 

「ヒーローモード」という厄介なモードについて。

そのヒントは、最近再読している「小さなチーム、大きな仕事」に書かれている。特に「なるほど」と思ったのは、「ヒーローにはなるな」というアドバイスだ。

blog.masuyoshi.com

 

すごく乱暴に言えば、目の前の仕事は絶対に投げ出さないし、手を抜かないという、グリッドが拗れたタイプの思考である。

 

さながら物語の序盤で何が起ころうが、どんな目に遭おうが、最後には結実させるヒーローの様に。

 

良いことに聞こえるだろうか。しかしこれが是とされると、僕は「無理」が推奨され、結果として悪影響が蔓延してくると、強く危惧している

 

教育界においては、効率化は手を抜くことと同義であり、つまり悪いことなのだから、一生懸命”がんばること”がこの上なく価値を持つという面があると思う。

 

ここが拗れるとどうなるか。例えば繁忙期が続いたら、その後しばらくはクールダウンの期間として、意図的に仕事を減らしたり分散したり、ケアの期間がマストである。

 

しかし不思議なもので、一度スイッチが入ってしまうと、本来異常である「ヒーローモード」を継続してしまい、無理を日常とすり替えるような状況が起きがちになる

 

本来、繁忙期が終わったら、単純に仕事量が減るはずなので、出社を遅らせたり、あるいは退勤を早めたり、休日を増やしたり、そういうことは可能なはずである。

 

ただ、無理が日常になるほど慢性化していると、空き時間や休日があることが、不安で仕方なくなってくる。この気持ち、実は理解できなくもない。

 

だから仕事の完成度について、自分に求める水準を不必要に高めたり、形骸化したシステムを復活させて業務量を増やしたり、無駄に残業したり、そんなのが増える。

 

こういった暴走は、誰にでも起こりうる。そして、体験者として語るが、これを自覚することは本当に困難だ。

 

ここまで考えると、見えてくるものがある。「無理」はなぜ生まれるか?そのもう1つの答えは、その人を止める人がいないというシステムに在るのではないか。

 

例えば月の労働時間に上限を設けるとか、独りが抱える授業のコマ数に制限を設けるとか、そういうシステムを創る人、運営する人、守らせる人が、いるかどうか

 

マネージャー批判にも聞こえてしまうが、頑張る人に感謝してその多忙ぶりを一任するのは、ものすごくハイリスクな未来の切り売りを推奨しているように思えてならない

 

多動力にも書いてあるが、仕事において大切なのは「完了」させることであり、時には70点くらいの出来で次に行っても大丈夫なのだ。

 

150点クオリティの仕事を1つ終わらせる人より、70点クオリティの仕事を3つ終わらせる人の方が、所要時間が同じなら、残念ながら超優秀である。

 

頑張ることそのものが正義になるヒーローモード。僕より上の立場の人がそうなったら僕にはどうすることもできないが、せめて自分はそうならないよう気をつけたい。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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