精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「時間の見積もりバイアス(楽観バイアス)」という厄介な歪みについて調べてみた。

なるべく狙って「中立」の状態であろうと、最近は色々なことを調べている。具体的には、なにが認知を歪めるのかという正体を、試行錯誤しながら探し続けているのだ。

 

最近は先人が発見して、既に名前を与えてくれたバイアスをずらっと眺めて、そのいちいちに、「俺もそうなんじゃね?」という問いをぶつけ続けている。

 

そして最近、また一つ面白いバイアスの存在を知った。それは、「時間の見積もりバイアス」というものだ。別名、「楽観バイアス」ともいう。

 

僕自身はネガティブの塊のような存在で、起きている時間の6割くらいは悲観バイアスが掛かりっぱなしと自負しているが、時にヘンなポジティブさを抱くこともある。

 

なるほど、俺の中にも陽気な面があるのかと気楽に構えていたが、それはどうやら単なるバイアスに過ぎず、他人の言葉を借りれば認知のバグに他ならないようだ。

 

正体もろくすっぽ知らないまま、このバイアスに操られるのはなかなかに危険な状況だ。だからまずは、その正体をしっかりとつかんでおこう。

 

今日はそんな、バイアスに関する備忘録である。

 

 

「時間の見積もりバイアス」≒「楽観バイアス」とはどんな歪み?

 

このバイアスの意味はまさに字面通りであり、「この作業なんてこれくらいで終わるっしょ」という風に、所要時間と手間暇を楽観視するというものである。

ideanotes.jp

 

だから結果プロジェクトが後手後手に回るし、夏休みの宿題は終わらないのだ。楽観視の功罪は、思った以上に大きい。

 

例えば西野亮廣氏も、「なぜもっと行動を早められないのか?」という純粋な疑問を、メンバーに語ることがある。

 

もしかしたら、こういったギャップの遠因として、その底に潜むのが、このバイアスなのかもしれない

 

ということで、この正体はわかった手前、それを対処し、せっかくなら活用する方法について、更に考察と調査を続けたいと思う。

 

それの対処法、及び活用法はなにか?

 

いくつかのサイトを参照していて気付いたが、このバイアスは、その作業に対する検証・調査・分割・経験が不足しているときに発生し易いようだ。

www.insource-da.co.jp

 

だから一番単純な解決策は、とにかくその対象を細かく分解することである。わかり易例では、テスト勉強がそうだろう。

 

「がんばる」ではなく、数学のワークは範囲がここからここで、単元は関数だから計算が手間だろうから、所要時間は大体これくらいだ、と見積もる感じである。

 

そして、そのそれぞれについての見積もりを大体20~25%増しにすると、段々と正確な見積もりに近似していくそうである。

 

あるいはかつてその作業に取り組んだ人の意見・経験をヒアリングし、見積もりに反映させるのも効果的だとあった。

 

つまり、対象を丁寧に分割し、そして一連の作業が終われば丁寧に検証し、それをしっかり共有すれば、個人のみならず、チームのバイアスの解除にも繋がる

 

これはまさに、「楽観バイアスはチャンスである」と捉えた方が、健全なように思わせてくれる気づきではなかろうか。

 

なんかイケそうな気がするという自分を察知したら、まずは心の中で頬を張る。その後、目を覚まさせるため、タスクを細分化し、所要時間を2割増しで計算し直す。

 

それによって、あくまでもロジカルにバイアスから脱出していく。客観視のスキルがここにも生きるとは、我ながら意外な発見であった。

 

終わりに。

 

バイアスの海は思った以上に広大で深い。勉強してきたという自信すら、甘いことを今は身に染みて感じている。

 

現に今も、日中色々あった関係で、悲観主義バイアスと敵意帰属バイアスの2つが自分にかかっているのを認識している。

 

それでも、とにかく意識的に中庸であろうとあくせくしながら、この記事を書いているという状況なのだ。人はバイアスから絶対に逃げられない。

 

肯定的な諦めという言葉を思い出した。すごく、良い言葉だと思う。昔は「ちいせぇこと言いやがって」と思っていたが、含蓄の深さはすぐには理解できないもんな。

 

自分の認知は簡単に、そして知らない間に歪められる。そのことはずっと意識したいところだ。無理なんだけど、近づきたい目標である。

 

ということで今日はこの辺で。