僕は我ながら、物事を悲観的に捉えることが得意だ。例えば何かしらの連絡を発信する際、必ず「理不尽な顧客からのクレーム」をそこに想像してしまう。
例えば未納告知の連絡をすれば「銭ゲバが!」というバカなコメントが来たら面倒だと考えるし、子供を叱れば「虐待!」というアホからコメントが来ることも想像する。
なんというか、病気である。一度文字にすれば、そんなバカはこっちから出禁にすればいいと判断できるのに、咄嗟であったり脳内問答であったりすると、それが難しい。
このネガティビティ過ぎるバイアスを、どう御すか。その一助になりそうなのが、【観察力の鍛え方】に書いてあった、「自問自答を通じて観点を変えること」である。
そして僕においては、「冷徹・豪快なあの人ならどう考えるだろう?」という問いを自分に向けることが、そのバイアスを弱るために必須だという仮説に至っている。
今日はそんなお話である。
内なるサイコパスを”コンサルとして”呼び覚ませ。
『龍が如く』シリーズ キャラクター総選挙 | セガ公式サイト
時折、「生まれ変わりたい」という人を見かける。それについては、ほぼ例外なく不可能であることが、長い人類の歴史や科学的実験によって、ほぼ裏打ちされている。
しかしながら、要所要所で自分の考え方を制御するという風に限定すれば、どうやらそれは工夫次第で可能なようなのだ。
この辺のヒントは【私とは何か】を読んでも書いてあるのだが、僕らは固定の”じぶん”を持っているわけではなく、あくまで他者との関係性でそれを押し引きする。
逆に言えば、一時的に自分の思考を変えるためには、架空の誰かと打ち合わせをしている自分を想像し、その分人を用いればいい、と考えられるわけで。
色々と長くなったが、その考え方の最たる例は、頭の中に冷徹・豪快な人を召喚し、その人ならどうするかをイメージしてみることである。
これはフィクションの人でもいいし、自分の知り合いでもいい。とにかく感情的な反応をしない人を頭の中に呼び出して、その人と現状を打ち合わせてみるのだ。
例えば、他者に謎の皮肉や陰口を言われた際、感情的にキレる前に、脳内のその人と問答するのはどうか。
「こいつのやり口は、相手を怒らせて揚げ足を取るパターンだな。なら、失言が出てくるまで、一旦踊らされてみるのがいいだろう」
という風に。よく人の意見はスルーしろといわれるが、スルーの極致は自分が言われたという感覚を意識的に捨てることである。自問自答はその最もお手軽な術だ。
ちなみに、サイコパス性を研究した本にも、自問自答を起点として彼らの思考のいい部分を学び取ろう、という提案が書かれている。
そんなサイコパス達の思考と類似しているといわれるのが、熟達した仏教僧だ。彼らもまた、感情を切り離して観察する術を、座禅などを通じて修行している。
”切り離し”に秀でることが、ストレスを減らす人生に寄与する。ここ最近、僕はそう確信しつつある。
さて。自分事として受け止めると、誰だってイラつくし、誰だってバイアスが働いて冷静な判断ができなくなる。
だから自分事として受け止めない。「どうしましょーね」と気軽な気持ちで相談をする。難しければ最初のうちは、ChatGPTに相談してもいいと思う。
そんなくらいの構え方で過ごしてみてはどうだろうか。では今日はこの辺で。